あの日のことを今も鮮明に覚えています。
東京はその日大きな台風が到来し、街はどこもシャッターを堅く閉ざし、さながらゴーストタウンでした。
夕方になって嵐は静まり、私は5時過ぎに出勤しました。
いつものバスの中から見上げた見慣れたはずの風景ですが、空の景色はなんとも美しく、その頃いつもメールを交わしていた友人にその様子をメールしたのですが、友人からはその叙情的な描写が大変印象的だったと返信をもらいました。
確かこんな記述だったと思います・・・
曙色のなんとも美しいピンクの空に
濃いグレーの雲が入り混じり
聖画の中のような・・・ ルーベンスの絵のような
えも言われぬ美しく、印象的な空でした
・・・と。
その日は9:30pmまでお仕事して、いつものバスで10:10pmに帰宅しました。
私が玄関を上がるや否や母が、
「大変よ 貿易センタービルに飛行機が衝突したのよ」
と言います。
母は玄関で帰るなり何かを言うような人ではありません
日頃はちゃんと出迎えてくれますので
それだけでも穏やかならぬ事態を察することが出来ます
えっ?!
貿易センタービルはよく知っています。
JR浜松町駅に隣接するビルで、何度も行っています。
すぐに私はリビングに入り、TVを見ました。
空が青い・・・
今日の東京はこんな空の色じゃない・・・
NY???
そのとき、飛行機がビルに激突して煙が上がっています。
横から母が 「ほら、あれよ」 と・・・
しかし...別な所から既に煙が上がっているので、あれはもう1機別な飛行機が衝突したのでは・・・
テロ? テロ・・・
悪夢のような映像が流れてきたのはそれからどれだけ経ってだったでしょうか。
あのビルの中には知人がいました。
でもすっかりそのことは忘れて、ただ映像を通して目の前に起こっている、全く予期しなかったこの大惨事に唯々言葉もなく見入ってばかりいました。何時間も、何時間も・・・
あの日は想像もしないような惨事に一睡も出来ず、ずっとTVを見守っていました。
知人の不明は翌日お昼頃発表され、外務省に問い合わせても「不明」とのことですが、マスコミでは目撃したという証言もありました。
なかなか安否の確認ができなかったのは、医師として救護に当たっていたので、安否報告が遅れたようです。
数日後にはフジTVのイブニングニュースでインタビューも放送されました。
あの事件は何を語っていたのか。
ちょうどその日の日本の台風明けの空がとても印象的で、『旧約聖書』の中の「ノアの洪水」の後の空はこんなだったかと思ったものでした。それとは好対照の澄んだ綺麗な青い空のNYであんなことが起こってしまって・・・
誰が想像したでしょう? ビルに旅客機が衝突して、超高層ビルが倒壊するなどと・・・
ほんの一瞬にして2749人もの人々が命を落としてしまうなどということを、誰が想像したでしょうか。
その後映画でツインタワーの映像を見る度、殊更その映像に見入ってしまいます。もう決して見る事のできない「ワールドトレードセンター」。
それから数ヵ月後、2002年の慶應義塾大学環境情報学科の論文入試で取り上げられた課題は、3つの課題文を読んで回答するものでした。
その(1)の課題文は「バベルの塔」について記述されたもので、ブリューゲルの「バベルの塔」が掲載されていました。
北方ルネッサンスを代表する画家ブリューゲルは、それまでの王侯貴族を描いた画家とは異なり、一般の人を多く描いています。
このバベルの塔は、ローマ時代の“コロシアム”をモデルとしていて、ローマ帝国の崩壊、一つの文明の終わりを描いていると言われています。
そして課題(3)では、「摩天楼」についての記述がされていました。
当時担当していた生徒が試験終了後、真っ直ぐ試験問題を持って教室に来ました。
そして問題を読んだ瞬間凍りついてしまいました。
それまでは少しも感じなかったのですが、あの出来事にはどんなメッセージがあったのか・・・ 私たちはあの出来事から何を読み取ればよかったのか・・・
慶應の先生方もそのようなことを意識して問題作成はしていなかったそうですが、あの問題には少なからず考えさせられました。
そして今もその答えが読み取れません。
あれから5年。今でもあの出来事は鮮明に記憶しています。
日本にも、知人を亡くされた方は随分いらっしゃるでしょう。
私はあれ以来NYをまだ訪れていません。ある友人は、遅い夏休みの予定を変更し、今自分に出来るのはNYを訪問することと、事件直後のNYへ向かいました。
人が集えば意見の相違が生じるのは必然です。
それを暴力で封じようとするのは、最もあってはいけないことです。
地球上から争いを消し去ることはできないかもしれない。
けれどテロリズムだけは、決して許されないことなのです。
その後の行方に賛否はあっても、5年前あの映像を目にした人々の心は、少なからず同じ方向に向いたはずです。
しかし願わくば、不幸の中にではなく、良き事に向かって人類が心を一つにできるときが来ることを、切に願わずにはいられません。



