(「僕が旅行に連れて行ってもらうときは色々な音楽を自動車の中で聴かされます」とビーグル犬まろさんオス10歳)

 

 私が子供の頃、クラシック音楽を聴き始めたのは1960年代の終わり頃から1970年代の初めの頃のことですが、その頃はまだレコードというものが貴重でした。最初は家の客間に導入したステレオセットに本当にごく少数のレコードがあるだけでした。

家のレコードで最初期にあったものとして記憶にあるのは

1.ベートーヴェン交響曲第5番「運命」(ハンス・ユルゲン・ワルター指揮ハンブルグ放送交響楽団)/シューベルト交響曲第8番「未完成」(渡辺暁雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団)

2.ビゼー「アルルの女」第一組曲、第二組曲/「カルメン」第一組曲、第二組曲(ハンス・ユルゲン・ワルター指揮プロ・ムジカ交響楽団)

3.ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」(フランツ・コンヴィチュニー指揮ライプティヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団)

という廉価版のものでした。

 その後、船乗りだった父が海外から土産物で買ってきたもの、

4.ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」(アンタル・ドラティ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)

5.チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」「くるみ割り人形 組曲」(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

 

 これらあたりを随分と繰り返し聴き込んだものでした。

 今思うと、上の「1~3」の廉価版のうち、「1,2」は別の演奏家で聴いてみたらもっと別の感想を持ったかもしれないなと思うのです。「運命」とか「未完成」「カルメン」とかは名曲なので聴いてはいたけれども、今ひとつ音が、音量の問題とは別に「迫力不足」な感じがしてしまって、「その曲だから聴く」という感じで...

 「4」はその音の迫力に圧倒され、「5」は圧倒的な流麗な音にやられたのでした。弦楽セレナーデの音で、弦がつやつやキラキラとしてみずみずしくて聞こえていて、「なんだか綺麗な音だなあ」と思ったのでした。

 そのうちに、私が少し大きくなってクラシックのレコードを「誰でもいいからその曲のレコードがあればOK」ではなくて「演奏家も考慮して選ぶ」になると、「カラヤンとベルリンフィルの演奏が凄いらしい」、ということになって自然にカラヤンの演奏が増えていったのです。

 70年代の音楽評論家は「名曲の名演奏」なんて本を出せば、カラヤン指揮のベルリンフィルの演奏を推すものが非常に多かった気がします。そうでなければバーンスタイン指揮のニューヨークフィルとか、ワルター指揮のコロンビア交響楽団とか、ついでですが、ピアノならホロヴィッツかルービンシュタインかリヒテルの三択とか、割と権威主義な感じで。

 ではあっても、私がもう少し大きくなって自分でレコードを買うようになっても高かったから「この一枚」を評論家の言ってることを判断しながらせっせとカラヤンの指揮のレコードを買い足していったものでした。

 その中で、いまでも印象に残って私なりの「美の基準」が作られてしまったのが、

6.ブラームス交響曲第1番(カラヤン指揮ウィーン・フィル)

7.リヒャルト・シュトラウス「ツァラストラはかく語りき」(カラヤン指揮ウィーン・フィル)

 でした。

 この2曲をカラヤンがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と演奏しているのを聴くと、両曲とも弦の合奏がとんでもなく澄んだ綺麗な甘い音のする部分があるのです。他の指揮者の他のオーケストラでブラームスの交響曲第一番やリヒャルト・シュトラウス「ツァラストラはかく語りき」を生で聴いても、そのカラヤンの演奏ほどにとんでもなく澄んだ綺麗な甘い音がしているのを聞いたことがありません。もちろん、それにかなり近いような感じには聞こえますが、あのカラヤンのウィーンフィルとの録音ほどにとろけるような艶やかな滑らかな音には聞こえないのです。なんなら、カラヤンが後年にベルリンフィルハーモニーと録音したものでも、その前の時代のウィーン・フィルとの録音ほどには甘美に聞こえないのです。その当時のウィーンフィルのデッカ・レコードの音質と、ベルリンフィルのドイツ・グラモフォンの音質の違いなのか、オーケストラの違いなのかはっきりしないのですが。

 それはともかく、カラヤンの演奏は音が綺麗に聴こえて、リズムもピシッと決まっていて、とても滑らかではあるけれども同時にキレの良い音のように聞こえて、その後のCDの時代でも私はかなりコレクションしました。

 私にはそういうものなのですが、一時は「カラヤンの演奏なんて精神性が低くて深みがなくて上っ面だけで...」みたいな評論をするのがカッコ良いと思う評論家が増えたような時代がありました。この頃はあまりそういうのもないような気がしますが、それはもはや死後35年経って生々しい評論の対象ではないからなのか、単純にカラヤンの音楽が復権しているのか、クラシックのCDの単価が、新譜でもない昔の巨匠のものは安くなったから「この一枚」なんて選び方をしなくてよくなったからなのか、過去のものよりも新しいものを紹介する方がメインだからなのか、私はその世界の人ではないので詳しい事情はよく知りませんが。

 

 でも「音楽の精神性」とか「深み」とかいう意見・見解に関しては「そんなの知りませんよ、単に音が鳴ってるだけで『精神性』ってなんのこと?」ってついつい思ってしまう私にとっては、カラヤンの残した音楽は大迫力の綺麗な音の、素晴らしいもの、私の中にあるクラシック音楽の美の基準に永遠に影響を与えたのでした。