(「僕の場合はそもそも狙われる心配がありません」とビーグル犬まろさんオス10歳)

 

 私はミステリー小説やミステリーのドラマが好きです。名探偵が出てくるようなものも、警察小説というジャンルも、いわゆる「犯人」がいて、殺人事件とか何かの事件が起きて、主人公が解決する、そういう小説のことです。それで、そういう小説やドラマでときどき出てくるのが、「自殺と見せかけて実は殺人事件だった」という状況です。

 遺書は残っていて、本人が残したように見えるのだけれど、実は殺人事件が起きる直前に「家族がどうなってもいいのか」とか脅迫されて無理やり偽遺書を書かされて、その後、暗殺者の手によって縊死(いし:首つり自殺)や刃物での自殺をしたように見せかけられてしまうもの。どういう訳か警察は自殺説にすぐに飛びついてそれ以上の捜査はしない。或いはそこに疑問を持ち最後は殺人とされる。

 遺書などはないのだけれども、あたかも自殺であるかのように、トラックやトレーラーみたいな大型の輸送車の前に飛び出すもの。実は謎の犯人に後ろから急に押されて事故に遭ってしまう。どういう訳か警察はこれも単なる事故・自殺として片付けてしまう。或いは、最後にこれも真相が暴かれる。

 

 これまで、そういう目で見ると「本当なの?」と思えることが幾つかありました。いやあくまでも妄想、なのは分かっていますが。

 もうほぼ10年にもなるけれども、2014年8月に理化学研究所CDBの笹井芳樹副センター長が、小保方晴子研究ユニットリーダー(当時)を一躍有名にしたSTAP細胞に関するNature誌の論文不正を取りざたされ、先端医療センター研究棟5階の階段部分の手すりで縊死していたのが見つかりましたが、自死を選ぶ必要まであったのかいまだに私は分からないのです。

 安倍首相が存命だった頃に散々追及された「森友問題」のときには、財務省近畿財務局職員の赤木俊夫さんが当時の国税庁長官であった佐川宣寿に決裁文書改ざんを強要され自殺に追い込まれたのでした。2017年にうつ病になって2018年に自殺とされています。

 直近では兵庫県の西播磨県民局長だった方が県の交易内部通報制度に基づき兵庫県知事の斎藤元彦氏をパワハラ等の疑惑を内部告発するも懲戒処分になった。7月19日に疑惑の真偽を調べる県議会の調査特別委員会(百条委員会)に出席予定だったものが7月7日に自殺したとされています。

 それ以前の4月には、同じ兵庫県で、昨年、阪神・オリックスのリーグ優勝パレードを担当させられていた元県民生活部総務課長男性(53)が寄付金集めに奔走するも十分に集まらず、最後は「信用金庫への県補助金を増額し、それを募金としてキックバックさせることで補った」とされ、そうした業務で疲弊し自殺とされています。自殺の事実は7月まで秘されていました。

 

 亡くなった方々は本当にお気の毒なのですが、こうした印象の強い「自殺」の報道に触れると何の根拠もないけれど、ついつい「それって、本当に自殺なんですか?」って妄想が湧いてきてしまいます。本当に、あくまでも妄想ですが。警察が状況から考えて自殺と考えるのが妥当と判断したということなので間違いないのでしょうが、「自殺かどうか・事件性があるか」を判断する警察が、常にその上の権力に結びついている(支配されている組織)というのがどうしても頭をよぎってしまうのです。いや、自死を選ばれた方々はそれまで相当、悩まれて精神がおかしくなってどうしようもなかったのだろうとは思うのですが、そこまでする必要はなかった、では何故?とどうしても思ってしまうのです。

 というのは、「自分が死ぬ」ということは自分にとって「世界を抹殺する」ということなので、そんなに「世界を抹殺する」ような大事(おおごと)なんて、なかなかないだろうと。いやそれが「世界を抹殺する大事について悩んでいたんだ」ってこと、かもしれませんが。

 

 悩むから考え方がどんどん狭くなるのだと思うのですが、どんなに人と対立しようが結果として酷い処分とか受けようが、或いは不正を強要されようが、結局は「そう仕向けた責任者は自分ではない」というのは常に認識しておくべきだと思います。理研の笹井さんはその点、自分で責任を強く感じてという気持ちがあったのかもしれないけれど、それでも何らかの処分が下ればそれを粛々と受け入れ再起をはかれば死ぬことはなかった。もったいない。

 それで、他の場合は「そう仕向けた責任者は自分ではない」に戻ると、「自分が最終の責任者ではないので悩む元となった事態はどうあれ、自死を選ぶほど悩む必要などない、悩むべきは自分にその行動を命じた人だ」と考えるべきではないかと。死にそうな方にまで考えが傾いてしまったらもう、「無責任野郎」になっちまえと...植木等、懐かしい。

 

 そうであっても、その「最終の責任者」に自分だけが酷い仕打ちを受けたというのなら、最後まで戦えば良いのにと思うのです。行動をおこせば援軍もくる。兵庫県の元西播磨県民局長の方は、百条委員会というちゃんとしたお膳立てもあったのにどういう訳か自死された、私にはもの凄くそこが不思議なのです。なんだか変だな、と。

 戦えないというなら、死ぬほどに悩む前にというか、死ぬほど悩む事態に陥ったら「今自分が生きている世界は本当に、その世界しかないのか?」と考えることも大切だと思います。川で餌をとるのがうまいヤマメはそこそこの大きさにはなるけれど、餌をとる競争に敗れたヤマメが川を下って海に行って大きなサクラマスになって戻ってくるという話もあるし、「悩んでいる世界」で行き詰ったら、外の世界に活路を見出せば良いではないかと。

 

 直近の兵庫県の件、業務の問題で県職員が亡くなった方が自殺で二人出たというならもうそれだけで県政が異常事態だから、斎藤元彦兵庫県知事はさっさと辞職して、県知事選挙をしたら良いのにと思えてしまいますが、もうこの状態だと再選はないと思っているから辞職はしないと現知事が頑張っているのか、いったい何のために意地張ってるのか、辞職できない何か深い理由でもあるのか、自分の住んでいるところとは全く関係ない外野だけど、妄想が膨らむばかりです。