(「僕は暑いとバテてしまいますし熱中症も怖いし、道路が熱いと火傷するのでご主人様たちは色々と気を遣ってくれます」とビーグル犬まろさんオス10歳)

 

 毎年7月4日になると、「アメリカ独立記念日」だなあと思います。もちろん私は日本人なのでアメリカの独立記念日というのは関係ないのですが、ただ一つだけその記念日に関係あるものがあり、それがいつまでも心に残っているのです。

 

 それは何かというと、私の出身校であるS南高校の体育祭の「仮装」という出しもので、自分たちが中心になってやる3年生のときには、アメリカ独立を祝うような出しものをやったことでした。私達が3年生になった年は1976年、ちょうどアメリカ合衆国独立200年の年だったので、ちょうど良いタイミングだということでその題材が出しもののテーマに選ばれたのでした。

 S南高校の体育祭と言うのは1年生から3年生まで同じ「1組」なら「1組」としてまとまって一つの「色」というグループを作って一体となって優勝争いを(赤組、白組みたいなのが組が2つでなく幾つにも増えた、というイメージです)するのですが、その中の一つの全員参加の花形の種目が「仮装」という出しもので、生徒が大道具・小道具・衣装・振付・音効みたいな役割をもって準備して、みんなで集団演舞をして採点をしてもらうというものなのです。

 翌年には大学受験を控えた夏休みでもその準備に結構時間を取られたりして、夏の暑い日差しの中で準備をやったり、何度もダンスのリハーサルするのですが、最後に本番で踊り切ったときの達成感と開放感は今でも思い出します。

 

 「日本一の体育祭」を自負する学校は幾つもあると思いますが、S南高校もその一つで、こうした行事にのめり込む子たちは結構います。聞くところによると今も体育祭準備のために学校に泊まり込み、みたいになって一生懸命にやっている子もいるとか。「とりあえずは今のこの青春、今しかできないことを満喫するんだ」という思いでしょう。それも立派な一つの見識です。今、楽しく思えるなら、さらに後になって振り返ると良い思い出になるのは間違いない。

 

 学校では伝統的に「文武両道」とか「三兎を追え」との掛け声で勉強も部活も行事も全力で取り組め、なんて指導がなされてきましたが、当時の軟弱な*私としては特に行事なんかは「ほどほどに、お付き合い程度に」と思っていました。実際のところ、S南高校に行く人たちは半世紀の昔でも、みんな「学校行事大好き」「青春楽しもうぜ」みたいな人たちばかりでもなかったのでした。おそらく、「生徒たちが勉強ばかりでは何かとギスギスしてしまう、人としての評価軸が学校の成績だけになってはいけない」という考えで勉強以外のことにも力を入れるように、ということでそういう指導をされてきたのだと思うのですが、実際、生徒としてはそういう「良い子の型」にはめられるのも結構きついなあと正直なところ思っていたのでした。

 

*私が進学した京大の関西出身のクラスメート達は何かというとふざけてよく「軟弱」と口癖のように言っていたものでした。あとは何かというと「なんでや?」と言っていたことがいまだに耳に残っています。

 

 半世紀前の当時はのんびりと「難関大学に浪人で入るのでも許容範囲の想定内」みたいな雰囲気があったし東大に現役で合格する学生も今より少なかった記憶がありますが、昨今は昔より浪人を避ける傾向が高くなっているようで、その中でなお「三兎を追え」はきついということか、もっと勉強にシフトするよう変わる動きもあるとも聞きます。今後の変化に期待します。

 

 とはいえ、そうは言うものの、そんな「文武両道」とか「三兎を追え」とかの学校の方針で行事だの体育祭だの部活だの色々とやったりしたのも今となっては良い思い出だったのだなとしみじみ思うのです。今回は体育祭の話だけど、「合唱大会」の練習なんかも。その一つの、最大の象徴が体育祭の時の「仮装」、アメリカ独立200周年にちなんだ創作のダンス、だから7月4日、アメリカの独立記念日にはいつも暑い日の準備、ラジカセの割れた音、集団ダンスの練習、なんてものを懐かしさと共に思い出して心が懐かしさと共にざわつくのです。