(「規則は大切ですよ。僕の食事の時間、お散歩の時間、みんな規則正しくやってもらってます」とビーグル犬まろさんオス10歳)

 

 東京都知事選挙、なんだか色々な問題が出て来ていて、いよいよ日本も劣化したのかなと悲しくなります。

 蓮舫氏の選挙事務所に脅迫のファックスが届いていたことが明らかにされました。

蓮舫はナイフでめった刺しにして殺す

「私は硫酸を手に入れた。立憲民主党の議員と家族にアタックする」

爆薬を仕掛けて6月24日に爆破する

 これ、本当にダメでしょう。そんな脅迫の犯人はなんでそんなことをするのでしょう。こんなふうに暴力と恐怖で相手の言論を押さえつけようなんてのは、これこそ本当に選挙妨害です。しかし、いまどきファックスというからにはかなりの高齢者が犯人でしょうか。

 小池氏の陣営は八丈島での演説で自身の学歴詐称について、フリーの記者から質問が飛ぶと「選挙妨害はやめてください」と言ったそうで、「選挙妨害という言葉の濫用ではないかと思えてしまいます。元側近の小島敏郎氏から東京地検に学歴詐称の疑いで告発状を提出されているのだから回答の義務がある気がします。自陣に都合の悪いことは無視するか「選挙妨害」と非難するかでは民主主義が成り立たないのではないでしょうか。

*その後小池氏にも脅迫状が届いていたこと、海外発信らしいことも分かりましたが、いずれにしてもこれこそが言葉通り選挙妨害と思えます。

 

 選挙ポスターもほぼ裸の女性のポスターがあったり、そのポスターのモデルの桜井MIUという女性は既に謝罪、ポスターを貼った河合悠祐氏という方は警視庁から東京都の迷惑防止条例で警告を受け、「NHKから国民を守る党」の立花孝志氏は女性専用の風俗のポスターを貼るとかして風営法違反で警告を受けるとか、さらにはぱんちゃん璃奈という女性格闘家の方は立候補しないのに自分のポスターを大量に貼って批判を受けたりしています。

 

 なんだか随分と人の心が劣化したのかなと思えてしまいます。

 立候補者への脅迫は、明らかに犯罪ですが、選挙ポスターの件は「立候補して供託金も支払っているんだから何をしてもOKと思ったのでしょうか。あるいは立花氏が要求する金を支払ったらなにをしても良いとでもいいと思ったのでしょうか。ことの善悪が事前に分からないものだろうかなと思うのです。

 

 この頃、ドラマを見ていて誰かが誰かに「ごめんなさい」と謝罪する場面が妙に多いような気がするのですが、私の気のせいでしょうか。「ごめんなさい」というくらいなら、最初からそういう悪いことをしなければいいのにと、そういう場面のたびにいつも思うのです。それを事前に判断できるのが「大人」だったはずなのに、この頃、いい歳した大人が判断できなくなっている気がします。

 

 こんな風に、「昔なら『悪いこと』と分かっていたから、人がやらなかった」という類のことが、その善悪の是非も分からない人が増えて平然とやってしまって「謝ればいいんでしょ、ゴメンナサイすればいいんでしょ」ってことになると、何が起きるかと言うと、管理の強化です。選挙のこの不祥事多発の状況を受けて、法律を厳しくしようとか変えていこうとかいう動きがあるそうで、それは当然のようにも思うけれどもなんだか情けない気もするのです。それにそういう「無駄」なことのために本来、人が豊かに幸せに暮らしていくための方策を考えるための国会議員の労力が、バカな奴らを取り締まる労力に幾分かでも取られてしまうわけで。

 

 これに関連して思い出すのが、私が昔通っていた高校、S南高校のこと。

 その高校は進学実績が当時県内で抜群に良かった進学校だったので「普通に過ごしていれば校則を意識することは全くない」という自由な学校でした。だから他校で「スカート丈が」とか「髪形が」とかいうブラック校則の話を聞くと、「そういうブラック校則で拘束しないと高速に風紀が緩む生徒達」としか見られていないのだろうと気の毒に思うのです。

 自由をつかむには、それなりに「自ら律すること、その結果として実績をあげること」「お互いに信じられるようになること」が大切だと思います。幸いなことにいまでもそのS南高校は自由な校風なようです。

 

 結局、世の中で「何かを実行する前に善悪の判断がつかない人々」が増えれば、その悪事に対処するために新たな規則が必要になり、世の中がどんどん窮屈になっていく、ということを目のあたりにしているようです。