(「自分は自分、他人は他人です」とビーグル犬まろさんオス、当時9歳、今は10歳)

 

 アンジャッシュという漫才のコンビの渡部建さんが、2020年6月に報じられた例の「多目的トイレ」不倫問題で無期限で活動自粛をしている間に東京の豊洲市場で働いていたという話がありました。

 TOKYO MX「5時に夢中!」で久々の地上波復帰をされたのですが、その豊洲市場で働いていたときに「豊洲にベンツで行って怒られた」という話題になったのですが、なんだか寂しい考えの人が世の中沢山いるのだな、これは日本の国が発展しない原因の一つなんだろうなと思いました。

 少し整理しますと、

 

*渡部さんは当時豊洲市場で働いていた

*朝の2時集合でタクシーで行くのも自家用車を買い替えるのも変なので仕方なく自家用車で行った

*気を使って職場と遠い駐車場に自家用のベンツを駐車した

*社長の命令で迎えに来た若い人が「ベンツできた」とバラしてしまった

*そのことがニュースになって反発を買った

 

 妙な批判はともかく、最終的には市場でも優しく接してくれたというのでその点は良かったのですが、この話には二つほど引っ掛かる点があります。

1.芸能活動自粛期間に豊洲で働いていたことが、「悪いことした人の社会奉仕活動」とかに類似のことみたいに聞こえてしまう

2.活動自粛期間だろうが職場に自家用車で行くことに対して、車種による差別があることはおかしい気がする

 

1.芸能活動自粛期間に豊洲で働いていたことが、「悪いことした人の社会奉仕活動」とかに類似のことみたいに聞こえてしまう

 

 これ、なんだか

 

 芸能活動>市場で働くこと

 

 というニュアンスが濃厚でなんだか嫌な気がしてしまいます。少なくとも私が市場で働いている人だったら、自分がずっとやってきたことに対して少し侮辱されたような気がします。もちろん、そういう気持ちはご本人にも受け入れた周囲にも何もないとは思うのだとは思うのだけれど。自粛がとければいなくなるというのが分かっているだけに。

 

2.活動自粛期間だろうが職場に自家用車で行くことに対して、車種による差別があることはおかしい気がする

 

 自分で持っていた自家用車がたまたまベンツだった、深夜の勤務なので自家用車で行った、それのどこに反発を受ける要素があったのだろうか、「ベンツで行った」と批判する人たちがさもしいなあと思うのです。まして渡部さんは、不倫が発覚する前は大人気の芸人さんでしたのでベンツくらい乗っていたところで何の問題もないでしょう。自粛期間だと日本のメーカーのコンパクトカーとか軽自動車に買い替えて見せないといけないのだろうか?なんで芸能の仕事がなくて収入も以前より限られているのにわざわざ無駄なコストをかけて、「自家用車を買い替えたから偉い」なんて言われたいがために自家用車を買い替えないといけないというのか、意味が分からないのです。元から持っていた自家用車を活用することを批判することのどこに「正義」があるのか。そうやって批判する精神が、「人を引きずりおろすことは快感である」みたいな錯覚を生み、次第次第に「贅沢をする奴は羽振りが良いから嫌い」「節約は美徳、少しでも安く」となって、それがダメ経営者たちの「新しいものや価値を作ること」よりも「不要なものを見出して切り捨てて財務の数字を良くすること」がより優秀な経営という歪んだ考えと結びついて、日本人の給料が長い間上がらなかった原因になってきたのだろうなと思うのです。

 

 それに「ベンツ」というけれども、たとえばトヨタのアルファードとかベルファイアとかカタログの(素の)価格で5-600万円台から900万円くらいまでオプション付ければ1000万円くらいするでしょう。だったらベンツだってBMWだって価格的には同じようなものやもっと安いものがあるのだし、街中でもアルファードとかは珍しくもないのだけれど、それでも「ベンツは特別」って言ってしまう精神ってのがなんだか植民地根性と似通っていて、イヤな感じがするのです。