(「世の中、色々と立場があるもんです」と悟ったようなことを言うビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 Mrs. GREEN APPLEのMusic Videoが炎上したそうです。

 内容はメンバーがコロンブス、ナポレオン、ベートーベンに扮して猿の着ぐるみを着た人たち「猿」にピアノを教えたり、乗馬を教えたり、人力車を引かせたり、パーティーに参加したりするというもので、それが人種差別的であるとして非難されたというものなのですが...

 このMVを非難した人たちって、「人種差別的」というけど、どういう立場に自分を置いて考えたんだろうって不思議に思うのです。自分はコロンブス、ナポレオン、ベートーベンの側なのか、それとも猿の側なのか。

 

 コロンブスがアメリカのインディアン達に酷いことをした、だからコロンブスを取り上げたこと自体が問題だ、歴史認識が誤っているんだという人もいるかもしれません。だとしても、日本人は白人側なのか猿側なのか?

 

 少なくとも、種子島への鉄砲伝来とか、それから400数十年の後でも、日本人は西洋人から見て「猿」側の人間だったのだと思うのです。キリスト教をきっかけに侵略しようとか、交易をきっかけにとか色々な名目で西洋世界が日本にアプローチしてきても、彼らからは少なくとも「猿」に見えていたような気がしてならないのです。

 明治維新の前後の動乱期だって、鉄砲を海外から輸入したり、幕府と薩長等との内乱に乗じて漁夫の利を得て隙あらば侵略しようとかいう国がなかったかというと多分あったわけで。

 明治維新前後も藩や幕府や明治政府が海外に人材を送って色々と知識を吸収したのだから、まさに「猿」が白人に教えてもらった構造です。

 

 とすると、その歴史の流れを踏まえれば日本人はあくまでも猿だったわけで、それを「人種差別的だ」というのもなんだかみっともない。「日本人も猿の立場だったから人種差別されてるようなMVは不快」と言うとしたら、少しみっともない。でもMVを非難している人たちはそもそもが自分たちの祖先が長らく猿の立場だったことを意識していないのだろうとは思うのです。

 だから、自分達をあくまでも白人の立場に置いて、コロンブスやナポレオンやベートーベンの立場に置いて、「いや、こういう表現は今の世の中では人種差別的だから許されない」とか大手を振って批判するわけでしょう。それだと正義の味方になった気分で気が楽だから。

 勿論、歴史的に見れば「コロンブス」が表に出てくる場合は「アメリカ先住民の悲惨な歴史」ということで「猿」はあくまでもアメリカ先住民で、それを人種差別しているわけで、だから批判するんですって人もいるのだとは思います。だとしても、それを日本人が言うかねって...

 日本人は少なくとも百数十年前までは「猿」の側にいたし、なんなら数十年前だって、あの映画「オッペンハイマー」に描かれたように「大量に殺してもアメリカ人の心が痛まない人々(猿)」だったわけですね。今だって、「差別される側」としての日本人というのもあるわけで、イエロー・モンキーとか、ジャップなんて言い方だってあるでしょう。「原爆投下は正義だった」と思う人もいっぱいいる。さらには国と国の政治の問題を離れて庶民感覚ではやはり「東アジアの人種」としか見えないわけで。

 日本人は自分が「アメリカ側、白人側」だと思っているからアメリカが中国を敵視した場合に「自分は別」と思うけれども、白人たちの本音ではどうなのかな、日本人も中国とあまり区別つかないよね、アメリカの大統領も日本認識怪しいし...と思うのです。

 

 日本人が非難するMrs. GREEN APPLEのMVを「人種差別的だから非難」の奥底には自らを白人と同化してそちらの側からの意識があると思うので、「日本人も偉くなったもんだな」と思うと同時に「でも、危ないぞ」とも思えるのです。