(「僕はご主人様たちはもとより、人に向かって咬みついたことは一遍もありません。僕はもともとそういう犬なんです。咬みつく奴らは咬みつきますが」とビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 声優の古谷徹さん(70)が「週刊誌報道について謹んでお詫びとご報告申し上げます」として、X(旧ツイッター)で週刊文春に書かれていることの釈明をおこなっています。週刊文春は今日発売で、

レジェンド声優古谷徹が名探偵コナン不倫!

37歳下ファンと4年半にわたって不倫。暴行で警察出動、妊娠・中絶も。元愛人の告白に、本人は覚悟を決めてー。」

との記事が掲載されています。それに対して「手を打った」というものなのでしょう。

 

 古谷さんの声明の前半は、当該の女性に対しての古谷さんのしてきたことの追認と謝罪。

 後半はこれまで応援してきたファン達からの信頼を裏切り、失望させ、傷つけ、キャラクターを汚してしまったことへの謝罪。

 

 最後に「私の残りの人生をかけて誠心誠意償っていく所存です。

どんな制裁も受ける覚悟でおります。

 誠に申し訳ありませんでした。」

というものです。

 

 後半のファンへの謝罪、これは当然だなと思います。古谷さんの声でアニメを見て親しんだファンの人たちだって大勢いるわけで、そういう「夢」や「思い出」を壊してしまったのはとても罪深いことだと思うのです。古谷徹さんと言えば私にとってはなんといっても「巨人の星」の星飛雄馬(ほし ひゅうま)であって、その後の「機動戦士ガンダム」のアムロ・レイやら「名探偵コナン」の安室透とかは既に私がアニメを卒業してからのものなのではありますが、今後は「あの星飛雄馬の声の人が...」なんて思って「懐かしのアニメ」みたいな特集がもしもテレビの番組であったとしても、変な想像をしてしまいそうです。しかし、子どもの頃に見ていた「巨人の星」の星飛雄馬の声が、当時中学生の古谷さんの声だったとは、今さらながら驚かされました。「巨人の星」は一球投げるまでの間にもの凄く長くエピソードが挟まれていたりして話がちっとも進まないので少々イライラしながら見ていたことも懐かしく思い出します。

 

 それはさておき、私がなんだか変だなと思うのが前半部分の、当該の女性に対しての古谷さんのしてきたことの追認と謝罪についてです。

 まず、「口論になり手をあげてしまった。人間として最低の行為」みたいなことが書いてあるけれども、そもそも本当にそう思うのならそういう行為をやらなければ良かっただけのことなのです。「妊娠中絶させてしまうという許されない過ちもおかした。深く傷つけてしまったから本当に申し訳ない」という意味のことも書いてありますが、それもそもそも本当にそう思うのならそういう行為をやらなければ良かっただけのことなのです。やる人って、何度でも繰り返すものです。噛み癖のある犬が、人間をかんだ後は反省したようなそぶりを見せても、また機会があれば凶暴になって人間を咬むのと同じです。咬まない犬は咬まない、咬む犬は咬む、それはなかなか変えられないし、口先で「反省している」みたいなのはウソ臭い。

 

 そもそも、相手の方への謝罪じみたこと、そこ(X)で述べることでしょうか。誰に向けての謝罪なのでしょうかとても疑問です。

 相手の方へは当然、「記事になる前に」「事実が明るみに出される前に」謝罪しているでしょうし、あるいはそうでなかったとしても、謝る場所は「そこ(X)じゃない」

 さらに、そうした不倫がバレた後の奥さんやお子さんやお孫さん、記事が出てからああだこうだと言われるのはそういった人達だろうし、相手の方にここで改めて謝罪していますと言うのなら、家族にもおおいに謝罪するべきなのです。片手落ちのような気がしてしまう。謝る場所はここではない、けれども。そもそも、そんな直接的関係者への謝罪なんて、「記事が出たから」Xでやるなんてのはウソ臭く思えてしまうのです。要するに、「バレなければ良かったのだけど、バレたか」ってことの対処だけのように受け取られてしまう。

 

 最後の「私の残りの人生をかけて誠心誠意償っていく所存です。

どんな制裁も受ける覚悟でおります。」と言う言葉も、「口先だけ」のように見えてしまう。どうやって償っていくのか、どんな制裁も受けるというけれども、どこまで覚悟しているのだろう?とウソ臭く感じてしまいます。

 たとえば、不倫相手に「本当に反省しています。傷つけてしまったから」ということで、「今持っている財産を半分あげます」と言ったとしたら、不倫された本妻さんやお子さんにも遺産として大きな影響があるのだから、家族にとっては「不倫された、恥をかかされた」うえに勝手に家の財産を減らしたってことで不快極まりない許されざることでしょう。「どんな制裁も受ける覚悟」なんて言うけれども、決まってた仕事を降板するとかなれば、そのためにまた仕事上でも迷惑がかかる人も大勢いるわけですし、本人だけの問題ではない。それを見越してキツイ制裁はないだろうとか思うとしたらズルい気がします。「どんな制裁も受ける」なら、たとえば「これまでの財産は家族と不倫相手に全て譲渡、今後の収入は自分が最低限食っていけるだけのものを残して家族のものに」とするような制裁を受け入れるだろうかというと、そこまでは受け入れないでしょう。

 

 全般に、言葉が軽いという印象を受けてしまうのです。

 

 「最低の行為」「許されない過ち」「深く傷つけ」「本当に申し訳なく」「謝っても謝りきれません」「大変なご迷惑をおかけする」「残りの人生を賭けて」「誠心誠意償っていく」「どんな制裁も受ける覚悟」

 ここまで最大限の言葉を羅列して書かれると、「本当に意味がわかって書いているのだろうか?」と疑問に思ってしまいます。SMILE-UPの東山社長が「人生を賭けて」なんて軽々しく言って現実がそうではないと散々に批判されていたのと同じ匂いを感じてしまうのです。言葉が軽すぎる。

 

 私の父は、何かあるとカッとして怒りにまかせて滅茶苦茶な暴言を吐くような人でした。「出てけ」とか「このうちに二度と来るんじゃない」とか「自分たちは家屋敷全部売り払って高級老人ホームに入る」とか、少し腹が立ったからと言って軽々しく口にすべきことではないことを何かにつけて言う。それでしばらくたって後で父に「そう言っていたのだが...」と確認すると、「そんなわけがないじゃないか、親子なんだから」とか言い出すのでした。父は圧倒的に言葉が軽い人、言葉の意味や後々まで言葉の持つ効力を自分で理解していない人でしたが、古谷さんの軽々しい最大限の謝罪の言葉の羅列のメッセージを読んで図らずも亡き父を思い出しました。発せられた言葉を受け取った方はいつまでも忘れないものなのだけれども。