(「南山遙遠」 by 平野杏子 1980)
平塚市美術館で開催されている「平野杏子展-生きるために描きつづけて HIRANO Kyoko - A dedicated life for painting」(2024年4月6日(土)~6月9日(日))に行ってきました。
平野杏子(ひらのきょうこ 1930-)さんは伊勢原生まれで1954年以来、長年にわたって平塚市に住み制作活動をおこなってきている画家・造形作家です。
私はあまりこの方の絵を意識してきてはいなかったのですが、平塚市美術館だったか、以前に作品の幾つかを観た記憶はあります。
今回の展覧会は「本格的回顧展」と銘うたれていて、初期の作品から2020年の作品までを観ることができます。平野さんは現在94歳になります。
(「静物・さんま」by 平野杏子 1950)
平野さんは、長い間絵をお描きになってきただけあって、時代時代で随分と作風を変えてきておられます。
この展覧会での最初期の作品が、上の「静物・さんま」です。これだけだとまあまあありがちな静物画でたいした特徴がないかな...みたいなものですが、それが1960年代には何やら抽象絵画に移行したようなのです。
(「輪廻の章Ⅱ」 by 平野杏子 1961)
何やら目のようなもの、脚のようなもの、手のようなもの、頭のようなものに見えるようなペイズリー柄の要素があるような不思議なものが描かれています。
この方はそっちの方向で行くのか、と思うとまた1970年近くにはまた随分と作風が変わるようなのです。
(「迦毘羅城の黄昏(がびらじょうのたそがれ)」by 平野杏子 1971)
ここには目に見えるもの、何かの生き物か怪物か魑魅魍魎とでもいうのか、色々なものがおどろおどろしく描かれています。平野さんの絵は「独自の幻想絵画」と言われます。
(「ボロブドールの善財童子」by 平野杏子 1974)
それがさらに、幻想のうえに仏教的要素が強くなってきます。上の絵、「ボロブドールの善財童子」の他にも、「鬼子母神の棲む園」(1971)とか「涅槃経の幻想」(1972)とか「夜の蜘蛛と犍陀多(かんだた)」(1972)とか「輪廻の光芒」(1978)とか、仏教的題材を扱ったものが展示されています。
韓国慶州、南山に行って取材してからは新羅(しらぎ)の時代の摩崖仏(まがいぶつ)に題をとって傑作を残すことになります。
(「摩崖仏讃 Ⅲ」by 平野杏子 1978)
この稿の最初の絵「南山遙遠」はこの時期の作品です。
この作風がさらにまた変貌し、
(「凍林天<ポナペにて>」by 平野杏子 1983)
こうなると単純に絵を観ただけでは私には何が描かれているのかよく分かりません。
それがまたさらに変化して、
(「弟橘姫(おとたちばなひめ)by 平野杏子 1990)
こんな風に「絵画」ではなくて「デザイン」みたいなものにも変化したりもします。
平野杏子さんの長年の創作活動の変貌は、まるで「人が変わったような」「何人も違う人がいるような」感じで、「今度はこんな風に変わったのか」という驚きを感じさせてくれます。確かに、「同じものを同じ技法で同じように描いている」というのは「この作家なら、こういう作風」という目印にはなるのだけれど、それで創作意欲が長年にわたって同じように継続するかと言うとそうではないのかもしれないな、と思い当たったりします。
色々な作家の回顧展に行くと「その作家らしい」と思われる絵画を描いていた時期が意外に短かったりするのを知ったりします。この「本格的回顧展」、平野杏子さんと言う一人の作家の作風のうつろいを感じるうえでもなかなか面白いのではないかと思いました。一人だけれど何人分も見たような感じ、でした。