(「僕の顔は大分白くなった、まろ眉もなくなりましたね、でもそれも可愛いねと言われています」とビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 先日、NHKの「歴史探偵」という番組を見ましたが、そのときからどうも一つの疑問がぬぐえません。

 それは、清少納言が書いた「枕草子」の「春はあけぼの」についてです。

 

春はあけぼの 

やうやうしろくなりゆく山ぎは 

すこしあかりて

紫だちたる雲の

ほそくたなびきたる (by 清少納言)

 

 番組では夜明け前から撮影準備をしてまさに「紫だちたる雲」が細くたなびいている様子をうつして見せてくれました。うん、そんなような色です。

 そもそも、夜明けのときは「あけぼの色」で、黄色味を帯びた淡い紅色、別名は東雲(しののめ)色、というような色です。

 夜明けの雲の色がまだ明けきらない空の青みを帯びて紫っぽくなる、というのは納得がいきます。

 

 でも、その前の「やうやうしろくなりゆく山ぎは」、の「しろく」は現代語の「白く」の意味で使われているような解説が為されているのですが、しかし番組を見ても、その他の「夜明け」の動画を見ても

 

空が白くなるー>少し明るくなって赤っぽくなる

 

 ではなくて、

 

稜線がはっきりしてくるー>空が少し明るくなって赤っぽく見える

 

 になっているような気がするのです。そもそも「空が白くなる」っていうけれども、空がある程度、明るくないと「白く」はならないのではないかと思えてしまうのです。空が白くなるのが「明るくなって白くなる」ならその後の「すこしあかりて」と重複してしまうような気もするのです。

 

 唯一、「人間の目は暗いところでは色を感じるよりも、明暗を感じる」という機能があるから、暗黒から少しだけ明るくなるとその「明るさ」を感じ取って「黒と白」という対比において「白」と言い、「段々と白く(明るさを増して)なっていく山の近くの空」と言った、という解釈もあるのだとは思うのです。でも「すこしあかりて」はどうなる、「明るくなる」が重複するな、とも思えてしまうのです。

 

 そこで、この「しろく」を別の意味「はっきりしている」と解釈すると、

 

 暗闇から(太陽が昇ってくるので)山の稜線のあたりが段々とはっきりしてきて、それが少し明るくなって赤っぽくなって紫がかった雲が細くたなびいている

 

 と言う風に、時系列的にもまさに情景が思い浮かぶような気がするのです。むかーし、習った古文では「しろく」を「著し(しろし):はっきりしている」という解釈もある、みたいな注意書きがあった気がするのだけれど。番組でも、「空が白くなった」については何の疑問も提示されなかったし、なんだかモヤモヤします。枕草子の原文って、「白」って書いていない気もするし。「しろく」と仮名が書いてあるか、何かの漢字かだったか...

 「春はあけぼの」の現代文解釈を読むと「だんだん白くなっていく」と書いてあるものばかりで、そう書いている人たちは、少しも疑問を持たないのだろうか?その「白くなる」ってどういう意味なのかっておかしいと思わないのだろうか?明るくなってから太陽の周りが「白い」という見え方もあるけれども、暗いところからいきなり「白く」なるとはなんだろうと思わないのだろうか、と気になってしかたないのです。いや、私は国文学の研究者でもないから気にしたところでなんてこともないのだけれど。