(「吾唯知足(われただたるをしる)。僕はいつも幸せです」とビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 「子持ち様論争」というのが沸き起こっているそうで、SNSでもにぎわっていて、テレビでも取り上げていました。小さな子供を持っている人たち(おそらく母親が大部分)が子供の体調不良を理由に早退したり休まざるを得なくなること、子どもの学校行事などを理由に休まざるを得なくなることで、独身の(おもに女性)が、その抜けた穴をカバーしなければいけないことを大層不満に思っているそうなのです。「なんで自分が犠牲にならなければいけないのか?」と。こういう話はこの頃はドラマでもしばしば描かれてもいるようです。

 

 なんだか寂しい話です。同じ部署で仕事してさほど給料が違うわけでもない、天下の国会議員サマたちみたいに収入や税金をかなりちょろまかしても何の罪にも問われない特権階級、結局はその実態解明がうやむやになりそうな特権階級でもない、下々(しもじも)の、末端の働き手同士が、そんな差異でいがみ合うというのは。

 もちろん、大部分の人は特権階級ではないのだから、その一人一人の人間の生き方として、結婚するかどうか、子どもを持つかどうか、単身世帯か他の人と住んでいるかそんな違いは大きいと思います。その差異を使って「国民の分断」をして批判が自分たち特権階級に集中しないような工作なのかもしれないと思ったりします。

 

 ただ、こういう「子持ち様論争」みたいなものが起きる背景は、この頃の「世帯」や「結婚」といったものが急変しているからというのが大きな背景にあるはずです。

 厚生労働省の厚生労働白書(令和5年版厚生労働白書-つながり・支え合いのある地域共生社会)を読むと、特に「図表1-1-9 年齢階級別未婚割合の推移」を見ると、

 

    <独身女性比率>

      1980年      2020年

25-29歳  24.0%       65.8%

30-34歳    9.1%       38.5% 

35-39歳    5.5%       26.2%

(図表1-1-9 年齢階級別未婚割合の推移|令和5年版厚生労働白書-つながり・支え合いのある地域共生社会-|厚生労働省 (mhlw.go.jp))

 

 なかなか結婚しなくなりました。35-39歳の人の四分の一以上は独身です。商店の人たちが「お母さん」の年頃の女性達に気軽に「お母さん」なんて言えない時代になりました。「失礼な!」ってなってしまう危険性が大きいですから。

 

 さらには男女共同参画局の男女共同参画白書令和4年版「特-5図 家族の姿の変化」を見ると、

 

      <世帯区分別の比率>

         1980年      2020年

単独       19.8%       38.0%

夫婦と子供      42.1%       25.0% 

夫婦のみ       12.5%       20.0%

ひとり親と子供    5.7%         9.0% 

3世代等       19.9%         7.7%

(特-5図 家族の姿の変化 | 内閣府男女共同参画局 (gender.go.jp))

 単身世帯は倍増で4割近くの最大勢力へ、夫婦と子供世帯は今や四分の一です。

  

    <結婚・家族に関する未婚者の意識(旧来的な考えを支持する割合)>

                1992年      2021年

生涯独身は良くない       57.8%       39.3%

子ども持つべき           85.4%       36.6% 

(18-34歳の未婚女性対象)元は資料:国立社会保障・人口問題研究所「第16回出生動向基本調査」

図表1-1-12 結婚・家族に関する未婚者の意識(旧来的な考えを支持する割合)|令和5年版厚生労働白書-つながり・支え合いのある地域共生社会-|厚生労働省 (mhlw.go.jp)

 結婚すべきと言う人、子どもを持つべきと言う人は大幅に減りました。18-34歳の未婚女性の三人に一人以上が「子どもなんていらない」と思っているようなのです。「そろそろ結婚を...」なんてお節介な人がいたら、途端にセクハラ扱いされるわけです。

 

 つまり昔より独身女性が増えて、しかも独り者世帯も増えて、「子どもを持つべき」と考える人が減って、「夫婦と子供」に属する若しくは「一人親と子供」みたいな「子持ちの母親」に対して「必ずしも子供を持たなくてもいい独身女性」の発言権が増したということだと思います。

 昔であれば「自分もそのうちに結婚して、子どもを産んで育ててというのが幸せ」、だから「自分も子供を産むんだから、お互い様だから」と思っていたような相互助け合いの気持ちを持つ人が絶対的多数派だったのが、状況が全く変わったのだと思います。今は「自分はこのまま独身で結構、だから子持ちの人なんかに自分の幸せを邪魔されたくない」と言う人が増えて、「子連れの親子や子持ち様」に対しての風当たりが強くなったということでしょう。

 

 ただ、「結婚しなくて良い」「子どもがなくても良い」は本当にそれが本音の人たちばかりかと言うと、そういうわけでもないのではないかと思います。人と言うのは金がなければそれなりの幸せを見つけながら生きていくもので。たとえば自動車好きだけど金がない人に「高級外車スポーツカーを手に入れたいと思いますか?」なんて訊いたところで「いいえ」と言うはずです。「それを手に入れた人生を夢見ても到底叶えられないならそもそも手に入れなくていいと思う」のが、人としての当たり前の心ですから。それが、少しは稼げるようになったら軽自動車でもコンパクトカーでも自分の自動車を持ちたくなる。さらにもっともっとずっと裕福になった自動車好きならば「高級外車スポーツカーを手に入れたいと思いますか?」に対しての答えは「はい」になっていくはずです。

 つまり「結婚しなくて良い」「子どもがなくても良い」は、自分がそういう状態ではないから、収入が少なくて、また収入の多い男性と結婚する予定もないので、結婚したいと思う男性もいないから、それでそんなことを望むだけでも悲しくなってしまうから、「結婚しなくて良い」「子どもがなくても良い」になってしまうのだと思うです。何かを手に入れたいと思ったときに、それが自分の手の直ぐ近くにある時が、全然遠くにあるときよりも、「手に入れたい」と思う気持ちが強くなるはずです。

 

 で、それがダメだとは言いません。人として当たり前。

 でも、そういう状態の人を大量に生み出してきた政治というのは問題だなと思うのです。

 仕事の総量自体が増える当てがないのに、1980年代に「男女雇用機会均等」といって、「これからはやる気のある女性は男性と対等に働ける」と打ち出したのだけれども、その結果、昔の「夫婦に子供、女性は専業主婦」というモデルを支えるには夫一人の稼ぎでは足りなくなっていきました。経済のパイの面積があまり増えないのに「女性も働け」と言って働く人口が増えれば一人一人の貰う量は少なくなる、はずです。それを打開するには経済発展しかないけれども「失われた30+α年」では、そうもいかなくなってきます。

 さらに「派遣社員を増やそう。それが企業のため」といった政策によって、派遣社員がどんどん増えて、正社員との生涯年収の差が1億円以上、一説には2億円とも言われるような状態になる。

 中小企業と大企業との賃金格差も大きいようです。今の時代、「子持ち」は一方では「子どもを持つ経済的余裕がある」ということに結びついているので、そこの格差に対しての苛立ちもあるでしょう。同じ職場の女性達でも大企業勤務の夫のいる人と全くの独身の人、働く場所は一緒でもなんだか違う、ということもあるのです。

 

 「子持ち様」への独身女性の怒りも分かります。私も理学博士の学位を持っていてもなかなか正式の職が決まらない不安な時代は世の中からつまはじきにされたような気がして、それこそ子持ちの赤ん坊が泣けばうるさいなあと思い、カップルを見れば石を投げつけたくなるような気持ちになることもありましたから。でも、今の「子持ち様」という嫌な言葉が生まれたのも、同年代の人たちのうちでも大企業正社員とそれ以外との大きな格差を生み出したのも、現状の物価高を招いたのも(一部、ウクライナ戦争の影響があるけれど)、「アベノミクス」に代表される政治家の経済政策の失敗やら日本をぶっ壊した社会制度の「改革」にあるものだ、そしてそういう政治家達を選び続けてきたのは有権者だ、というのを頭に入れておいた方がいいと思うのです。国民の分断を招いたのは政治の結果だと思うのです。