(「強いて言うなら僕たちは犬語を話しますが、むしろご主人様の日本語の方がよく分かるかもしれません」と語るビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 

 令和5年度の「英語教育実施状況調査」が文部科学省から発表されました。これは、各都道府県・市区町村教育委員会及び全ての公立小学校、中学校、高等学校を対象に、英語教育をどのように実施しているかとか、どの程度の能力を持った教員やお生徒がいるのかをCEFR (Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment:外国語の学習、教授、評価 のためのヨーロッパ共通参照枠)や英検の級の換算で測ったりした結果を集計したものです。

 

令和5年度「英語教育実施状況調査」の結果について:文部科学省 (mext.go.jp)

「大学入学共通テスト」検討・準備グループ(平成30年度~) (mext.go.jp)

 それを読むと、平成25年度(2013年)の調査開始以来、生徒や先生の英語力はかなり向上したかに見えます。これは良いことではあります。

 さらに細かく見ていくと各自治体ごとに結果に随分とばらつきがあるようにも見えます、当たり前のことではあるのだけれど。

 

 そんなふうに一般的な「英語」の力は今後、向上していけばいいにしても...というか学校としてはそうするしかないのだけれど、学校でも仕事でも英語を使わざるを得なかった側からすると、そんな、「スコアが良くなった、良かったね!」というものではない気が一方ではするのです。

 

 単純に英単語や英熟語を沢山覚えるとか色々な表現方法を覚えるとか、そうした基礎的なことはいいとしても、結局、「英語が使えるかどうか」というのは、「英語でなにかを知りたいか、英語で何かを伝えたいか」があるかどうか、というのが、一番大きな要素ではあると思います。

 

 つまり、「何も伝えたいことが存在しない場合は、言語を知っていたとしてもまともに何も話せない」ということです。日本語だってそれは同じでしょう。気が合わない人、初対面の人と日本語で(英会話の教材のように)すらすらと話せるかというと、まずは「何を話したら良いんだろう?」ってなって、なかなか話せなくなるはずです。それが当たり前なのです。

 私は仕事で海外の人と交渉しないといけないという経験がありましたが、世間話はする気にならなくても、「絶対にこれだけは日本の立場を説明して相手にこちらの条件を呑ませないといけない」となると、やはり違うものです。相手が何を言っているのか一言一句聞き漏らさず、反論し議論しなんて場合には集中するものです。何を伝えたいか、が重要なのです。

 

 興味のないものを調べたり興味のない文章を読まされたりしたところでちっとも頭に入ってこないのは、日本語でも当たり前です。「連星系の伴星から主星である白色矮星へと、ロッシュ・ローブから溢れたガスが第一ラグランジュ点を通って流れ込み、白色矮星の周囲に降着円盤を形成する」とかいう日本語があったとしても、そもそもそれが何についての話か知らない人からすれば意味不明です。でも、興味がある人は何が書いてあるのか内容が分かります。英語で書いてあったとしても同じことで、辞書と首っ引きで訳せても興味がなければ意味が分からなくてつまらないことには変わりないでしょう。

 これだって、色々な分野で「海外の情報を仕入れなければ」「英語の学術論文を読んで最先端の知識を知ってから自分の新しいものを作らなければ」というものがあれば、それを中心にして英語力を向上させるというのが効率が良い気がします。どんな分野だって専門用語はあるものですし。

 

 コミュニケーションって、「英語を話す人が目の前にいるから何か話が始まる」ではなくって、「英語を話す人が目の前にいて、何かを知りたがっているから、こちらも教える(たとえば道を尋ねられたとか)」というもののはずです。

 それで、話しかけられた時に平常心を失って「いや、面倒だから、自分はドキドキして英語話せないから」といってその場からとりあえず逃げる、という人と平常心で「この人のために役に立ってあげよう」という人とは、「英語のテストができたかどうか」というのとは別に、英語を言葉として役立てることができるかという面で、前者はたとえテストの点数が少し高くても、決して英語のコミュニケーションができるようにはならず後者はできると思うのです。

 親切心とか、心がオープンとか、絶対にこれは伝えたいとか、色々な事情があるにしても、そこは「必要に迫られるかどうか、必要に迫られていると自分で思っているかどうか」、いざとなった時に平常心で普通に「英語で聞いてくる人も、同じ人間、困っている人」と相手できるかどうかって進歩が変わってくると思うのです。

 

 海外旅行に行っても、全行程添乗員が面倒見てくれて日本の空港から外国めぐってまた日本の空港まで世話無し、というのでもなければ、「実は海外から帰ってくるのに直行便ではなくて海外の他の空港で乗り換える必要がある」なんて場合は、そうしないと帰れないから誰もが乗り継ぎについて聞き耳を立てたり出発の表示に目を配ったりするはずですね。それと同じように「真剣にならざるを得ない場面に遭遇するか」という要素が重要な気がします。

 

 基礎を作るための勉強は大切なので本当に英語力が向上しているとしたらめでたいのだけれど、実戦的に役立てるにはまだハードルがありますねという話でした。文部科学省としてはレポートをまとめて今後に生かすとか言ってればいいけど、実際は「英語を本当に使う」のはテストの点向上以降の個人個人の努力の部分が大きくて。