(「ご主人様たちは可愛がってくれますが、それは僕がコントロールしてるから」とびビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 岐阜県池田町の岡崎和夫町長(76)がセクシャル・ハラスメント、愛知県東郷町の井俣憲治町長(57)がパワー・ハラスメントやセクシャル・ハラスメントやマタニティー・ハラスメントでそれぞれ今月の25日と24日に辞職願を出し、岡崎町長に関しては26日の町議会で全会一致で辞職が決まり、26日付での辞職、井俣町長に関しても26日の町議会で全会一致で辞職が決まり、5月2日付での辞職が決まりました。

 

 岡崎町長は女性15人へのセクハラ、特に10年前に新入りの若い女性職員に対して執拗に呼び出し身体を触るなどしたというのだから、まったく何を考えているのだろうと呆れます。

 井俣町長は延べ108人が何らかのハラスメントを受けたとされていて、まるで「煩悩」の数のようです。こちらは職員への暴言のパワハラとか、女子職員が入った着ぐるみと確認して抱きつくセクハラとか、「育休を1年取ったら殺すぞ」というマタハラ発言とか、こちらもやりたい放題。

 

 両方ともが町長で、その組織の中で一番偉い人、という立場での悪行でした。

 どちらもが「第三者委員会」が発足して調査の結果、「○○ハラ」と認定されて辞職になったものなのですが、結局は「お山の大将」の下の組織の危険性が露呈したものですね。

 人の上に立つと、まるで自分が部下たち全てを全面的に支配しているかのように思う人と言うのが人の上に立ってしまうと「○○ハラスメント」が起きます。よく人は「サルでもわかる」みたいに、あたかも動物であるサルよりは人間の方が上等であるかのように言いますが、私が昔読んだサルの動物学的な行動に関しての本では、サルの方がよっぽど上等に見えます。ボス猿はそもそもが「メスに人気がある」ようなのです。やたらに威嚇したり暴力をふるったりもしない。メスたちはボス猿の周囲が居心地がよく、安心している。時にはボス猿は、はぐれオスからの暴力的な挑戦を受けて負ければボスの座を降りるという厳しさもあるのだけれども、基本は人格(猿だから「猿格」)で支配しているということだそうです。

 

 ボス猿の周囲のメスたちは基本的にボスの取り巻きだからセクハラが起きるべくもないのですが、なんだかこういう醜態をさらす町長たちを見ると自分がサル山のボスにでもなっているような気になっているのだろうかな、と思います。

 

 これって、「○○ハラスメント」の問題として、一般には町長と職員たちの間の事象として扱われるけれども、その職員の後ろには当然のように家族があり、恋人や夫があり、子どもがある、という視点が欠けているように思えます。パワハラにしてもセクハラにしても、「そういうことがあった」ということを家族が知れば家族も同じように苦しんで、「この野郎、復讐してやる」とか「殴ってやる」とか「××してやる」とか憎しみをつのらせるものなのです。役所に入ったばかりの若い恋人が狒々爺(ひひじじい)の性的な餌食になったりとか、「三流大学以下」とか罵られれば、恋人や夫は「お前の方がよっぽど三流だろう」と憎しみをつのらせるでしょう。「直接抗議すると首になるから、黙っていて」というように恋人や夫や妻は被害者からしばらくは言い含められることがあったにしても、いつか憎しみを縛っている糸がプッツンと切れて大事件になる可能性だってあるかもしれません。町長にしろ、上司にしろ、「偉い」のはその組織内だけで、その外部にいる人にとっては「加害者が偉かろうが、知ったこっちゃない、自分はその組織の人間ではないから誰が組織内で偉かろうが全く関係ない」わけですから。あくまでも「その組織限定」の「偉さ」を外でも通用すると思ってる人は危ない。ある程度までは家族たちも「いつも××がお世話になっています」と、良好な関係を維持しようとしますが、あまりハラスメントが激しければ、「どうせその組織は自分には関係ない」になるものです。

 

 ということで、パワハラやセクハラ等、ハラスメントをしている方々、直接の被害者だけでなくて被害者の縁者からも憎悪を向けられ、取り返しのつかない事件になる可能性だってあるというのを少しは頭の片隅にでもおいておけば「○○ハラスメント」は少なくなるのではないでしょうかね。自分の恋人、妻、夫、子供、親等々が「○○ハラスメント」の被害に遭ったらどう思うか、自分が言っている言葉や行為が、そうした人に向けられていたら、自分はどう思うか、そんなことを想像するだけでも進歩だと思うのだけれども。で、被害に遭った人の縁者には思いもよらない凶暴な人もいるかもしれないな、もしかしたら自分はいつか復讐されるかもしれないな、との可能性を想像したら少しはハラスメントもやむのでは...