(「僕の場合は黒目がちなんで白目が赤くてもさほど目立たないんですけどね」とビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 昨日の午後から急に左目の白目の部分が真っ赤になってしまいました。

 まるで横溝正史の推理小説に出てくるおどろおどろしい怪人のような趣です。なんとなく思わせぶりに登場して、いつのまにか殺されてしまっていたとかそういう類の「怪人」。朝起きたときは目に何の異常もなかったのですが、昼ご飯を食べるときには赤目になっていたのです。ショックでした。何故?痛くも痒くも全くなく、ただただ白い目の部分が出血したようなのです。真っ赤です。

 どうしようもなく不安になったので眼医者には行ったのですが、「放っておいても2週間くらいのうちには治ります。治らなかったときにはまた来てください」と言われました。白目の部分が内出血ということで、念のために網膜とかの目のもっと奥の方の写真も撮りましたがそちらは異常なし。目薬もでなかったので、そのままとりあえず放置です。

 

 右が普通の白い目、左が黒目以外は真っ赤な目。本当に真っ赤です。しかも赤くなっている部分は白目の部分なのですが、なにやら表面が滑らかではないような質感のように見えてしまうのです。赤目の部分は反射する光もかなり鈍い。白い白目が(表現が重複してますが)磁器の滑らかさとすると、赤い白目が(赤くなっている白目、です)壺の釉薬のような鈍い質感。別に、瞼をまばたきさせるときに引っ掛かるわけではないし目の感触で違和感があるわけではないので、表面が滑らかでなくなったわけではなく、あくまでも見た目が、です。しかも、健康な白い目の方は普通の大きさに見えるのに、赤い目になっている方はぱっと見、同じ目の大きさには見えません。腫れているというのではなくて、よく見ると同じ面積の目であっても赤い色とぶよっとした質感のせいで大分小さく見えて、たとえば感覚的には三分の二くらいとかに見えてしまうのです。正直言って色でそんなに大きさの印象まで変わるとは思ってもいませんでした。

 

 そういう訳で、自分で鏡を見ると「いかにも怪しい」人物がこちらを睨んでいるので、本当に必要な買い物とかの必須なもの以外は外出できないなと思ってしまいました。なにしろ、自分で自分の顔をみても怖いのです。買い物などに行っても目が合ったらびっくりするんではないかと思うのです。

 まろさんとの散歩のときでも人と目が合わないように、下を向いてばかりになりました。知った人だと、礼儀として表立って「どうしたんですか」なんて言われることはなくても、「何かあったな」くらいは思われてしまう。なにもなくても何かあったなと思われてしまう。あの人は誰かに殴られたのではないか、あの人は奥さんに目を殴られたのではないか、奥さんにこっぴどく怒られるようなことをしたのではないかとか、間違った空想を喚起する危険性もあります。しかしそれはまずい。

 身体の中の、ほんの小さな面積を占めるだけの片目だけでも、それほど人を...というか私の場合は、ですが...引っ込み思案にしてしまい、要らぬ心配までするようになるのです。

 今の私の状態は放っておけば治る、だから外出なども一時的な引っ込み思案になっているだけなのだけれど、生まれつき何らかの障害を持って生まれたとか、事故などで障害を負って見た目が変わったとかいう人たちは、やはり心の中での葛藤があるのだろうなと思いますが、それは私が想像するだけで現実は人それぞれなのかもしれません。

 私自身は自分で今の状態の顔を見て「怖い」と思います。同じように他人でも何らかの「異常」がある人は「怖い」と思うに違いありません。大昔に、ハンセン病の人の顔を見て夜中に夢でうなされてトイレで嘔吐してしまったこともあるけれども、見たときは「怖い」と思いました。生まれつき五体不満足の乙武さんのような方と暗がりで急に出くわしたならやはりこの世の存在とは思えず「怖い」と思うでしょう。

 「多様性の時代だから差別反対」というのは理屈としては十分理解するし正論であると思います。「人権」とか「人としての権利」とか「法の下の平等」とか言うのは当たり前だし大賛成です。それは理性の部分。

 でも、正常でない状態の人を見て「怖い」と思うのは理屈ではなく根源的な感情なのだと思うのです。夜中に嘔吐したのは差別意識があったからか?それは違います。それは「差別」とは別のもっと人間の動物としての本能に根差した感情のような気がします。ビーグル犬まろさんも年寄りで歩き方が妙に遅くて変な歩き方になっている人は凄く警戒してしまうようです。こっちは動物の感情の部分。

 

 この頃は理性の部分と感情の部分を一緒くたにして何かというと「差別反対」とか言い出すことがあるのだけれど、「感情の部分」はどうしようもないのではないかなという思いを強くしたのでした。自分で自分の顔を見ても異常な状態なら怖いし怪しい人物だなと思えてしまうし恥じてしまって内気になってしまうから。でも、それは「理性」と結びついている「差別」とは別の次元の問題だと思うのです。