(「僕のことを虐めたりする人間はいないですよ」と平和なビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 昨日、陸前高田市というところで自分の飼い犬のワイマラナーと一緒に散歩していた女性が、花見帰りの酔った四人組に絡まれ、大型犬のワイマラナーは飼い主を守ろうとして吠え、四人組はその犬を殴る蹴るの暴行を加え犬は肺の近くや脚を三本骨折、瀕死の重傷で重体、安楽死の可能性も...という投稿を見ました。

 犯人は走って逃げたけれども、コンビニの監視カメラに写っていて、警察も動いている云々...

 

 「VoiceforAnimals_japan」さんが伝聞情報を#拡散希望ということでXに投稿し、ダレノガレ明美さんや後藤祐樹さんのような方々も反応されていました。

 私も、最初にそれを知った時に心の中で怒りが沸き起こりました。

 可愛い犬をそんな目に合わせる奴らは許せない。

 どんなにその犬は恐怖で無念だったろう、襲われた女性も自分の飼い犬がそんな目にあったら、そんなところを見たら、一生、心の傷になるから、犯人たちは厳罰に処されるべきだ(私もいまだにピットブルに襲われたときのことが心の傷になっていますので)。

 犯人たちは器物損壊罪ではなくて、動物愛護法の罰則で実刑の懲役5年を食らってほしい。

 犯人たちも同じように手足を折られ、あばら骨も折られ瀕死の重傷を負ってみたらどうだろう。少しはやられた方の気持ちもわかるだろうか。

 それが無理なら、犯人たちも一人一人4頭のピットブルに襲われたらどうだろう。一人一人、顔の皮をピットブル達に食われたら反省するだろうか(私自身、ピットブルが大嫌いなのにもかかわらず、そんなことまで考えました)

 

 冷静に考えればその投稿と言うのは私には全く関係のないことです。その可哀想な犬を個人的に知っているわけではないし、犯人たちに心当たりがあるわけでもないし個人的に恨みがあるわけでもない。でも、「可愛い立派な犬が人間四人に寄ってたかって殴られ蹴られもはや一生立ち上がれないほどに暴行を受けた、安楽死かもしれない」という情報だけでかなりヤバい気持ちがふつふつとわきおこった。自分の心の中でそういう気持ちになったというだけで、ただそれだけのことではありますが、これが心の闇だなと思いました。

 

 今日、続報はどうなったかと調べてみたら、結局、「VoiceforAnimals_japan」はトーンダウンして「警察プレス広報からも何ら事件の確認がとれず」「事件が無かった可能性が濃厚」と言って、さらに「本人は怪我をした犬がいたのは事実だと言ってて、嘘という確認もとれなくています」「グレーで終わるかもしれません」と発表しています。

 なんだか分からない。しかし、本当は「デマだった」ならそれが一番良い、一番平和だと思いました。

 

 この件が本当であってもデマであっても、私は「犯人たちが恐ろしい目にあえば痛い目にあえば良い、瀕死になれば良い、懲役の実刑に処されば良い」と、自分には本当は関係ないにもかかわらず一瞬でも思ったことが、またあれほど常日頃忌み嫌うピットブル達もこんな場合には「懲罰用に利用」したいと思った、そんな気持ちが自分で恐ろしくなりました。

 もともとは「飼い犬のワイマラナー、かわいそう。瀕死の重傷、安楽死の可能性なんてあまりにもひどすぎる。飼い主の方もそんな残酷な光景を見せられたら一生、心の傷になる」という「被害者の痛みを想像し寄り添う気持ち」が、「法律に照らして厳罰に処して欲しい」まではともかく、義憤という名を借りてそれ以上の身体的痛みを犯人たちに報復的に与えたい、という気持ちまで引き寄せた。それはおそらく、「あまりにも被害者たちが可哀そう」と思うだけでは苦しくなってどうしようもなかったからだろうけれども。

 

 「人の気持ちに寄り添う」は大切だけど一歩間違えると「闇」まで引き寄せてしまう。

 これがよくある、関係ない人への処罰感情で起きるSNSの炎上とか、一旦始まってしまった戦争が「身近な人が戦争で亡くなったりした悲しみの気持ちがやがて『敵』にも同じような被害を与えたくなるという報復感情に発展する」という理由の一つではないのかな、と思い当たりもしました。

 

 結局、この「事件」、まだグレーなのかもしれませんがくれぐれも単なるデマであったという結論であって欲しいものです。