(「僕とご主人様を襲ってきたピットブル達には是非、殺処分になって欲しかったです」とビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 死刑の執行の直前、当日の2時間前に執行囚本人に言い渡されるのは憲法31条*違反、執行に従う義務はなく、国に損害賠償2200万円を請求するとしていた死刑囚の訴えが4月15日の大阪地裁の判決で全面的に退けられた、との報道に触れて、とりあえず安心しました。

 

*第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

 

 こういう裁判って、死刑囚が一応「原告」という形をとっていても、「裁判を起こせますよ」と唆(そそのか)した弁護士達がいた筈で、なんだかなあと思うのです。

ちなみに、この訴訟は2021年の11月4日に提訴されたものですから、判決までにおよそ2年半、少なくともその間は死刑執行されないのでしょう。

 

 もともとが前日までに告知された死刑囚が自殺したり等の事件があったので現在の形に落ち着いたようなのです。

 冤罪が疑われるようなもの以外、死刑囚が凶悪犯罪を起こしたことは明らかですから、「死刑囚の人権」ばかりを言い出す弁護士達ってなんなんだろうかと思えるのです。被害者の家族等の感情は考えないのだろうか、私も大いに疑問です。死刑に反対するのであれば、被害者家族の「仇討ち権」でも新設して、仇討ちを合法化して仇討ちをした人を罪に問われないようにするというのはどうだろう?って時々、空想します。現代ではそういうのが決して合法化されることはないでしょうが、推理小説なんかでも「昔の因果が新たな殺人を生んだ...」ってストーリーは結構ありがちだし、本来はそういうのが人としての感情に沿っているとは思います。「今の法律」には沿っていないけれど。また、昔だって仇討ちが必ずしも成功していたとは言えないそうでもありますし。

 「執行直前の執行の告知では死刑囚に心の準備ができない」「毎日、死刑執行の恐怖を感じている死刑囚の苦しみ」とか弁護側は言うのですが、突然に、若しくは十分に恐怖や苦痛を味わわされて亡くなった被害者の気持ちはどうなんだろうか?「いつ告知が来るか」という不安だの苦しみも含めて死刑という刑だろうに、なにを加害者側の人権のことばかり重んじるのだろうかと呆れてしまうのです。弁護士達の欺瞞を感じる所以(ゆえん)です。

 なんでも「違憲」を争えばいいというものではないでしょうに。

 

 さらに、この件、「損害賠償2200万円を国に求める」なんてのも、盗人猛々しい(ぬすっとたけだけしい)とも思えてしまいました。いわゆる「弁護側」による損害賠償額の算出ロジックはあるのでしょうけど、そんな国民の税金を無駄にするようなことを死刑囚たちのために要求するとは、この件の弁護士達はなんなんだろう、と思ってしまいました。これも弁護士達の欺瞞を感じる所以(ゆえん)です。

 

 こういうある種「平和」な「死刑囚の人権」みたいなことをこねこね捏ね回す(こねまわす)ような法解釈だの、裁判だの、まあなんと平和なこと、といつも思えてしまいます。平和な時代だけに通用する「人権」。

 一旦、戦争だの有事になったら、一瞬にして大勢の人の命や財産を奪うようなミサイルは飛んでくるわ、爆撃されるわ、銃撃されるわ、虫けらのように殺される危険が増える、国家の権力によって戦争に行きたくない若者たちが戦場に送られる、そこに本来の「人権」なんてあるのかって思うのです。私の住む首都圏だって横須賀だの厚木だの横田だの沢山の基地に、つまり住んでいるところは多くの「軍事目標」に囲まれているわけで、何かあったら攻撃されるしそれの影響は甚大なはずです。

 

 さらには、国内の問題として「積極的に人を殺しに行かなければ裏切者、腰抜けとして一生、家族にも、不名誉を背負わせる」みたいなことにもなるわけで、それは国家権力の問題としてもそうだし、コミュニティーの問題としても、「非国民」なんて非難した歴史もありますし。今はとりあえず自衛隊が国防をするということになっていますが、今後も徴兵制が復活しないかどうかは分からない。

 

 それで、そうしたときに、「死刑囚にも人権がある」なんて主張している弁護士達は、「国民にも生きる権利はある、戦争に反対する権利はある」とあくまでも戦うのか?そもそもが爆弾を落としてくる侵略者たちに「我々にも人権がある」なんて言って戦えるのか?戦わないのでは?