(「僕の場合、お食事するだけ、お散歩するだけ、ただそこにいて見つめ合うだけで褒められます」とビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 子どもの通う大学では親宛に成績表が特定記録郵便で送られてくるようで、さっき受け取りました。

 まあ子どもは頑張っているようで、送られてきた成績表を見る親としては安心の材料にもなるし、有難いと思います。

 子供が親に成績を隠蔽して本当は成績が足りないのに親にはさもよく頑張ってやっているようにうまく言いくるめてしまったものの、しかし事実としては成績不良で進級できないとかいうことが明らかになった時に、親からのクレームが入るのだろうから、その予防のためにも親に通知しておく、ということで有効なのだろうなとは思います。単純に「子どもの進歩を確認したい」とか言う親御さんもいると思います。

 

 送られてくる成績表を親に見られるのを阻止しようと、遊びほうけて成績の悪い子どもは、郵便配達人が来るのを毎日のように待ち構えるとか、笑い話のようなものもあるようですが、まあまあ今の子達はなにやら監視されているようで、色々と大変だなあと思います。

 

 四十何年か前の私の頃には親に成績表が送られてくるなんて話は聞いたことが無かったし、なんなら大学の卒業自体も「卒業の意思のある人は、そのための書類を事務に出しなさい。単位が揃っていても卒業したくなければそれでも結構」というようなのんびりした時代で、「競争倍率の高い特定の大学院の特定の専攻の特定の研究室に行くのが希望だったが大学院入試はしくじったので、留年して再チャレンジしたい」、なんて人も結構多かった時代でした。もっともそんな院浪人が大学全体として本当に一般的だったかどうかは知りません。

 

 ただ、子どもが大学に行くようになって知ったのですが、学費や入学金が当時と比べてかなり高騰したので、たとえば私大で理系なんて言うと今は高いところだと学費だけで1年間で百数十万円、国立でも数十万円、留年すると余分にかかりますなんてことになるわけで、家計への影響が大きいから、今はそりゃあ「卒業できるけど留年しとこかな」なんてのんびりしたことは言ってられませんわなあと思うのでした。

 そういえば、私大の理系の大学、子どもは合格したけど結局そこは選ばなかったのですが、入学したら論文の書き方とか学科で分からないところを教えるとか色々と手取り足取り親切に指導してくれるということも売りにしているようでした。確かに学費がこうまで高くなると、「貴殿のご子息は成績が足りなかったからあと1年留年してください」とか高飛車に単純に言うのもクレームが来るんだろうなあ、「大学としても懇切丁寧に指導しておりますから」となんとかしてちゃんと成績が伸びるようにするのが当たり前の時代なんだろうなあと思い当たるのでした。

 四十何年か前の国立大学の学費だと年間で10何万円か、私大で理系でも今の国立大学より額面では全然安い...まあ貨幣価値の変化もありますが、それを差し引いても「大学の授業料が高い」という感覚は当時は世間一般でもあまりなくて、奨学金を借りる人も少なかった記憶があります。さらには昔は「金がなければ大学に行かない」というのが普通だったと思うのですが、今は企業側でも大卒の学歴を採用時に必須とするのが増えたのか、「金がなくてもとりあえずは大卒になっていないと」という考えの人が増えたので、奨学金を借りる人の苦労話が昔より一般的になったと思います。ちなみに、昭和50年の大卒初任給が8万数千円、国立大学授業料が3万6千円、令和5年大卒初任給が21万数千円、国立大学授業料が50数万円。授業料、随分と高くなったもので。

 

 そんな状況だからこその、大学から親への成績送付なんだと思い当たったのですが、なんだか窮屈だなあ...いやこちらは子供の成績を見るだけなので自分は窮屈ではないけど、もし自分が「成績を親に送る」なんてやられる立場で一々ああだこうだ口をはさむうるさい親だったら、やりきれんなあと思うのでした。いや私は一々口をはさみませんが。

 

 さらに、大学が親に成績を送るのには「子どもの望まれざる変化」を早期発見する、特に一人暮らしで親とはなかなかコミュニケーションをとらない、とか親元にいても本音の窮状は絶対に漏らしたくない、とか言う状態だと成績の低迷があった場合にそれを見せつけられて「原因が何かある。どうかしたのか?」と、早期に異常に気が付くので役に立つという面もあるようです。半年ごとが「早期」かどうかは知りませんが。

 

 また、少なくとも子どもの大学では成績表もよく見ると親切にGPA(Grade Point Average)をあらかじめ計算してくれていて、卒業、奨学金、留学、ゼミや大学院進学、等の目安にもなっているようです。子どもにとっては、何をするにも目安が必要だろうし、便利な時代になったものです。その分、窮屈でもあるけれども。