(「出会いがあれば別れもある、今は卒業の季節。僕は三崎や城ヶ島という場所との出会いが嬉しい」とビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 今は卒業の季節で、歌手の松田聖子さん(62)も中央大学法学部の通信教育課程を卒業されて法学士の学位を授与されたというニュースをみました。4年前から音楽活動の合間を縫って勉強されていたそうで、偉いなあと思いました。法律の知識を今後、仕事などでどう役立てられるのか興味のある所ですが、とりあえずおめでとうございます。

 

 ところで、「卒業」というと、私は1967年制作の「The Graduate」という映画を思い出してしまいます。若きダスティン・ホフマンとキャサリン・ロス、そしてアン・バンクロフト。現代でも名作と言われていますね。アン・バンクロフトは1931年生まれ、その年齢で1940年生まれのキャサリン・ロスの母親役、1936年生まれのダスティン・ホフマンの親世代役(幼なじみの母親役)をやっていて、実年齢は大して違わないのに違和感なく演じていたのだからなんだか凄いなと思います。

 

 この映画、日本公開は1968年で、私はその頃は小学生だったので、通学路の途中にあった映画のポスターを貼ってある看板で上映を知っていたとは思うのですが、まだまだその頃は怪獣、ゴジラ・エビラ・モスラとかガメラとかガッパとかに興味があったりして、実際に「卒業」という映画そのものを見たのは1970年代のいつかのリバイバル上映で他の映画と二本立て上映のときだったと思います。そういえば街中の映画のポスター看板、いつの間にかなくなってしまいました。今は意識的にWeb等で検索しないとどんな映画を映画館でやっているか知らずに見逃してしまいます。

 

 昔は東京の有楽町の有楽座とか日比谷映画とかみゆき座とかのような封切館でやったものが地方に少し遅れてやってくるときは2本立てになって見る、というシステムだったはずです。藤沢だとオデヲン座、藤沢中央、藤沢みゆき座とか、そんな感じの映画館があった記憶があります。

 この頃は単館の映画館ではなく、ふかふかのシートのシネコン(シネマコンプレックス)が主流になって、昔のお尻が痛くなるような座席で前に座高の高い人が座ると画面の一部が頭で隠れてしまうような、さらに席によってはひょっとしてトイレの臭いもうっすらと臭ってくるような映画館で映画を見ることはほぼなくなったような気がしますが、そういうところにも時の流れを感じます。

 

 映画の「卒業」の話に戻りますが、実際に見たときには既に小学生ではなかったので、話の筋も理解しました。簡単に言うと大学を卒業したベンジャミン(ベン)という男(ダスティン・ホフマン)が、大学卒業後に無目的にダラダラ過ごすうちに親の仕事仲間の奥さんであるミセス・ロビンソン(アン・バンクロフト)と不倫をし、その事実を秘したままその娘の幼なじみでもあるエレイン(キャサリン・ロス)とデートをするも、最終的にはエレインが母親との不倫を知ることとなり...(略)...ベンはエレインと他の男が結婚しようとするまさにその結婚式の最中に略奪する、というあの有名なシーンに...そんなあらすじです。

 

 この中には、「幼なじみの母親との不倫」「幼なじみのエレインへのストーカー行為」「結婚式場に乱入し花嫁を略奪」という、現代の視点ではNGとされるような、人に非難されるような要素満載だから酷い話なんだ、1960年代の昔だから通用した話だ、当時の時代背景なしには成立しないなんて人も、もしかしたらいるかもしれませんが、私はそう思いません。現代の視点では、というかあの映画が作られた当時であっても、こうしたことは非難されることであったのです。だからこそ、映画の中でもベンの行動は登場人物たちから非難されていたし、それでも心の奥底を考えれば虚無に陥っていたベンがエレインへの本当の愛を見つける、不安になりながらも...それゆえに「永遠の名作」とされているのだと思うのです。

 映画の音楽、サイモンとガーファンクルの曲が随所に使われていて、それも心に染み入る大きな要素です。「サウンド・オブ・サイレンス」や「4月になれば彼女は」、「ミセス・ロビンソン」、「スカボロー・フェア」とかの曲は、この中では「ミセス・ロビンソン」は映画のために作られたものの、その他はそれ以前から作られていた曲がまさに映画のために作られたようにマッチしていました。驚くべきことに「スカボロー・フェア」の歌詞はイギリスの伝統的バラッドであって、サイモンとガーファンクル以前からあったものだそうです。

 

 この映画の原作(”The Graduate” by Charles Webb)は1939年生まれの作者が1963年に書いた小説、なんと23歳か24歳の頃に書き上げた小説、映画の俳優たちとはほぼ同じような年齢でした。

 映画を最初に見た頃には英語の発音が分からなかったし字幕ばかり見ていてどうだったか気が付かなかったけれども、10代最後の頃にペンギンブックスから出ていた小説で読んだときには、平易な英語で書かれているのが分かって、特に会話部分が生き生きしていたのをよく覚えています。特にたびたび登場する”What?”という言い方は、それまで勉強していた学校英語では”what”という単語は文章の中の「疑問詞(5W1Hのアレです)」とか「関係代名詞(whatとかwhichとか...)」とかで、SVOCとかSVCとかにあらわれるものしか知らなかったので、"what”という一語だけで会話が成り立つというのが印象的でした。