(「水仙の花ことばみたいに生きて行けば気楽なんじゃないでしょうかね」とのたまうビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 大阪の私立清風高校というところで2021年12月、高校2年生の生徒が倫理社会の試験でカンニングをしたのを見つかって、別室で複数の先生達から叱責および①全科目0点②自宅謹慎8日間③写経80枚④反省文を書くという指導を受けたそうです。

 その2日後に自宅近くで亡くなっているのが発見され、遺書があり、それに「このまま周りからひきょう者と思われながら生きていく方が怖くなってきました」と書いてあり、どうやら自死らしいと。

 学校側はその後、弁護士などで構成される第三者委員会を作って報告書を作成、その中で、卑怯者という言葉が自死に一定程度影響したといいつつも他のカンニング生徒が立ち直っているのだから自殺に追い込んだとまで言えないという結論でした。

 

 そもそも、勉強不足だった試験がうまくいきそうもない、だったらカンニングなどせずにそのままの実力を思い知ればいいだけのことです。そこで「カンニングとかするという発想がいけませんよ卑怯ですよ」、というのは学校は教えたけれども他の大人たちは?「カンニングは卑怯」と言ったら非難されるの?なんだかなあ...

 

 ご両親は、学校の指導と叱責を当然としつつも「ひきょう者という評価を受けながら生きていくしかないという絶望感を抱かせた」と学校側の「安全配慮違反」を主張し、学校側を提訴、損害賠償1億円を要求するようなのですが、さて。

 

 ちなみに、この清風高校、同級生が受けた2023年の大学受験結果は京大11名、早稲田6名、慶應4名、医学部医学科88名、関関同立429名という合格者数で進学校です。

 

 ご両親、お子さんが亡くなって残念なのは、それで学校に恨みを持つのは理解できますが、学校の指導と叱責を当然と思うのであれば、学校側を訴えるなんてことしなければいいのになと思います。

 そもそもカンニングをすることは卑怯な行為だと、誰からも思われているわけで、だから「カンニングするのは卑怯者ですよ」と先生が指導するのは当たり前だと思うのです。それで「その後もずっと周囲から『卑怯者』と思われて生きていく、絶望だ」と思うかどうかは学校の先生の指導ではなくて、むしろそこまで人格形成をしてきた家庭の責任なのではないかと思えるのです。

 カンニングって、勉強が不十分なのにもかかわらず、一生懸命準備してきた人よりよく評価してもらおうなんてことだから、そりゃダメでしょう。でも、「カンニングした奴という評価が一生ついてまわる、絶望だ」と自分で思うかどうかは自分の判断だと思うのです。極端な話、大学入試なんてのは推薦入試だのを選択しようと思わなければ、大学入学試験日の学力で決まるわけだから、そこで東大でも京大でも難関医学部でもなんでもいいけど良い点を取って堂々と合格すればいいだけのこと...と、なんで色々なことを経験してきたはずの大人たち、それに他の友人達が教えられなかったのか。もっとも学校ではそんなことは言えない、「受験科目じゃなくても全科目ちゃんとベストを尽くせ」という建前があるだろうから、他の大人や友人がそんな逃げ道もあると教えるべきだったのではないでしょうか。

 そういえば、この学校では副校長が日頃から「カンニングは卑怯者がすることだ」と訓示していたそうですが、そこも本当は私にとっては不思議。私はこの学校より大学合格実績がずっと上の進学校の高校出身ですがついぞ「カンニングは卑怯です」なんて言葉を聞いたことがありませんでした。「そんなことをしても、どうせ大学入試のときに困るだけだから正面突破で実力をつけるしかない」と誰もが分かっていたから、というのと推薦入試のために内申点を気にする人がまずいなかったからということもあったと思います。今は私大とかで「一般入試」以外の選抜を受けようという人が増えた分、窮屈になったんではないでしょうか。

 

 失敗したから自死を選ぶ、って戦国時代の武士たちでもあるまいし...しかも武士たちのうちでも後々までしぶとく生き残った人たちは短絡的に直ぐに死を選ばなかったわけで生き残ったのですから、当時だって別に「自死が推奨されて」いたわけでもなんでもない。自死なんて本来は敵に攻め込まれて「生か死かこのまま首をとられるか」って状況に追い込まれてのことです。こんな平和な世の中、色々と失敗したところで、後にまで人生は続く、ってことを教えるのは学校の役割ではない、むしろ家庭の役割でしょう。くどいかもしれませんが。

 

 もしもそういう「卑怯者と学校が言ったから」が認められたら、「卑怯なカンニングをしたから、卑怯なことはやめようと学校が言ったから、この子の場合は絶望的な気持ちになって自死したから、指導に安全配慮を怠ったから、だから学校側は1億円支払え」という理屈が認められたら、世の中、とても変になると思うのです。

 

 世の中、色々うまくいかないことなんて山ほどあるはずです。

*高校入試に落ちたから、大学入試に落ちたから、厳然たる点数を見せつけられたから絶望した、それで自死した、それで親が高校や大学を提訴

*異性に告白してフラれたから自死した、或いは付き合っていた相手からフラれたから自死した、それでその相手やその家を親が提訴

*国家資格の試験に挑戦しても受からなかったから絶望的な気持ちになった、それで自死した、それで親が国を提訴

*自分がいきたい就職先に行けなかったから絶望して自死を選んだ、それで親がその就職先を提訴

等々...

 そういうのが一般的になってしまったら、恐ろしい世の中だと思います。

 

 実際、世の中のほとんどの人たちは自分の描いた理想と違うところで悪戦苦闘して頑張っているわけで、それでも簡単に死を選ぶとかしないものですからね。それこそ、ちょっと躓いたからといって自死を選ぶなんて言ってたら幾つ命があっても足りませんて。

 もしかしたら大阪の弁護士会とこの高校が何らかの別の摩擦がこれまでにあって(髪形とか人権とか)、それがなにかとこの件にも影響を与えているのかなとも思ってしまいますが、そうでないことを祈ります。