(「僕は『低予算犬』ではありません」とビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 日本映画の「ゴジラ -1.0」(ゴジラマイナスワン:山崎貴監督)が日本時間の3月11日にアメリカのアカデミー賞で「視覚効果(VFX)賞」を受賞しました。アジア映画としても初だそうで、本当におめでとうございます。

 

 ところで、この報道の仕方で少し気になるところがありました。

 いわく、「制作費はハリウッド映画に比べて10分の1」「ハリウッドで一つの映画にVFXで関わるのは1000人規模、今回の日本のゴジラの場合はたった35人、しかも若い人、Z世代の力が大きかった」とかなんとか...

 

 「低予算で、少ない人数で作り上げて立派な賞を貰った」、それ自体は非難されるべきことではないのです。私もそうは思うのです。しかし、それを余りにも賞賛するのはどうでしょう?って思うのです。

 これって、いまだに竹槍訓練の精神が日本に生き残っている証拠なんだろうなって思うのです。竹槍訓練って何かというと、第二次世界大戦のときに敗色濃厚になってきた1944年、いよいよ本土決戦だから国民総武装だ、敵が来たときに銃後の国民(直接戦地で戦わない女性達)は竹槍をもって敵と戦おう、と訓練させたものです。もちろん、爆撃機のB29は竹槍で落とせるはずもなく。武器がないから竹槍。爆撃機には無力でも竹槍。それでも、確かに「低予算」で「何かをしている」ことにはなります。

 

 今回のアカデミー賞受賞、低予算だの、少ない人数でだの、あまり強調してはいけないと思うのです。

 これって、自分はバカ高い報酬を貰いながら、社員はどんどんリストラして一人一人の負荷をどんどん高めながら、さらにコストも削減して、ブラック職場を作り出して、成果が上がれば「全て自分のお陰でございます。私は優れた経営者、高額の報酬に見合う人材なんです」って言い出す経営者の発想を称賛してるようなものです。そんなブラックな職場でも、「好きなことをしてるから」って「やりがい搾取」を...搾取されていることに気が付かずに仕事をしてしまう人もいるかもしれないし、いい加減疲弊して自殺してしまう人もいるかもしれないし、とにかく、「低予算・少人数賛美・礼賛」なんて、社会をもっと健全にするにはもっともやってはいけないことだと思うのです。

 

 いや、今回の「ゴジラ -1.0」の会社がどういう職場であったかなんてのは私は全く知らないし、ホワイト職場だったのかもしれません。そうなのでしょう。それでそんな一騎当千の35人が努力して成し遂げただけ、というのなら何の心配もいらない、本当にすごいことですね、おめでとうございます!と思うのです。

 

 でも、それを「一般の社会に敷衍(ふえん)してはいけない」と言いたいのです。たまたま本当に優れていた人たちだったからできたものが、日本の他の人たちに同じようにできるわけがない、それだけ。

 

 「今回のアカデミー賞を貰った『白組』という会社は、そんな少人数で偉業を成し遂げたのだから、キミたちも少数精鋭で頑張れば、仕事はなんとかなる、ハードワークで頑張ってくれ」みたいな愚かな精神論を言いだす頭のおかしい経営者とか頭のおかしいマネージャーとかが、さらに「いい気にならないか」と心配するのです。

 

 そもそもVFX(特殊効果)なんてものはIT技術を使いまくりで、そのIT技術なんてのはなにかというと人員削減・リストラに結びついていて、「これまでは手作業でやっていたから、IT化されれば人が減って人件費が安くなりますね。是非人減らししましょう」なんてことになりやすい。IT技術の人もさらにまた人員削減にあいやすい。そこであぶれた人は他の部署に行くか、転職を余儀なくされる。転職した場合に大抵の場合はそれまでの給料以上のものを貰える人は少ないから、給料が下がる、若しくは正社員になれずに不安定な身分のまま低賃金になる。特に狙われるのはある程度の年齢で給料が上がった人。その一方、「若い人は給料が安くて使いやすい」ってことになる。金を持っている人も将来が不安になるので消費が減る、金を持っていない人はそもそも使える金がない、景気が悪くなって賃金も伸びなくなる。

 「安い日本社会の完成」って訳ですね。30年前に出張でタイだのインドだの行ったときに「この国は物価がこんなに安いんだ」と思って喜んでいたのですが、今や日本が世界からの観光客からは低賃金・低物価、そういう目で見られているらしい。情けない。

 

 元日産のCOO、CEOだったカルロス・ゴーンが従業員を首にするだの工場閉鎖だの下請けいじめだの、そうした大きなコストカットをして一部を自分の高額報酬にしたのを「名経営者」とか褒めたたえた当時のマスコミ。

 「少人数で、低予算で」成果を挙げることが素晴らしいことだと、つまり「竹槍で成果を挙げるのが素晴らしいことだ」と、ずっとそう洗脳してきたマスコミ、そういうのをずっと推奨してきた経営者やマネージャ。日本経済に対するその罪は重いと思うのです。今回も、変な影響を与えなければいいのですが。

 

 だから、今回の受賞にあたっても、人数や予算のことはさておいて、「何が最も評価されたのか、どこがライバルに勝利したところなのか」というのを書くべきだと思うのです。受賞にあたっては「低予算・少人数で仕上げた」なんてことは何も考慮されなかったはずだから、本当に何が評価されたポイントなのか。「ハリウッドのストの影響で公開される大作が少なかったのもあったかも...」っていう意見もあるようで、それは受賞のお目出度さに水を差すようなところもあるかもしれませんが、でもそれもあるかもしれません。それ以上に、どういう表現が受賞の理由かというのが大切だと思います。

 

 これ以上、「一人一人に過剰に負荷を強いる社会」になってはいけないと思います。