(「僕は理系でも文系でもなくカワイイ系です」とビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 東大が2027年の秋に学部から大学院修士まで一貫して5年間で履修する教育課程を立ち上げるそうだそうです。

 普通は大学の学部が4年、大学院修士が2年ですから、合計は6年のはずですがそこをはしょって学部4年大学院修士1年の5年、なぜなら学部を3年に圧縮するには学校教育法の改正が必要だからという事情があって修士が1年、海外の有力大学の中には5年間で修士まで済ますことができるものもあるということでそれを参考というのですが...

 

 名称は「カレッジ・オブ・デザイン」です。これは実は昨年秋の「国際卓越研究大学*」で落選したアイディアを、先走って先例作ってしまえって考えかどうか知りませんが、「なら独自にやったるわい」って感じでやる...ように見えます。

*東北大学だけが選ばれました

 

 秋入学で定員100人、半数は海外からの留学生、授業はすべて英語、既存の入試とは異なる方法での選抜、なのだそうです。

 

 学部から大学院修士課程までを5年間でやるコースと言うのは実は、京大、一橋大、東北大、名古屋大、横浜国大、神戸大、早稲田大、慶応大等、結構多くの大学で存在するようなのですが、既存のそういうものと一線を画すのが、「文理融合型の教育」という点ではないかとみえます。既存のは、「経済学部の」とか、限られた分野なのですが、東大の「カレッジ・オブ・デザイン」は、学生が自分の関心に応じて学ぶテーマを決め修了後の進路も決める、テーマはたとえば「脱炭素」や「地球の気候変動」とかのテーマで、自然科学や法律やビジネス等も横断的に学んで、さらには1年間は留学や企業でのインターンシップに充てるというものだそうなのです。世界水準で活躍できる人材の育成を目指す、と。授業はすべて英語、教師陣は海外からの招聘研究者、民間企業の研究者、実務者など、だそうです。

 

 なんだか猛烈に疑問に思えてきたのが、自然科学も法律もビジネスも学んで、つまり雑多な知識を詰め込んで、1年間の留学やインターンシップもやって、それで通常よりは1年短い課程でやるってことだけれども、ホントにできるの?ってことでした。

 自然科学の.勉強、本当はそんなに甘くないんじゃないのかなあ、と思うのです。

 まずは「自然」科学でなくても数学、つまり基本の解析学、線形代数学、確率統計、代数学、幾何学、さらに物理学の諸分野、力学、電磁気学、熱力学・統計力学、解析力学、さらには流体力学、相対論、量子力学、コンピューター言語、シミュレーションの方法、地球流体力学、海洋物理学、天文学(太陽とか...)、輻射輸送、気象学、その他IT関係だの色々と多くのことを学ばないといけないのじゃないのかなあと。それに関連法規だの地球環境に関わる研究開発の動向だのビジネス動向だの、それをそんな1年短縮した期間で全てマスター?

 しかも学部段階から全て英語を使うというのであれば、とりあえずは学生達は英語で全て学ぶので、日本語でなにか議論をしようとすれば、その日本語訳も言い回しもいちいち調べないといけない。「radiative transfer」って日本語ではなんて言ってるの?とか、日本の人と議論や説明するときに和訳も知っておかないと。「ホウシャユソウ(放射輸送)について説明して」と言われた場合に、それが英語で言っていた「radiative transfer」のことだと分からないと議論にならない。

 

 地球大気とかを勉強した人が、気候変動の研究とかするのと、それで英語で論文書いてというのと、今回の新課程のものとどう違うのだろう?いくら地球環境関係の論文を発表して、気候変動関係で世界的成果を残しても、「世界水準で活躍」ってことにはならないのでしょうかね?私はよく分からないのです、修士まで5年速習コースなんて言ってる程度の人の方が世界に活躍できる?むしろ博士課程まで進んだ学生達の活躍の場を開く方が良いと思うのですがね、そんなに気候変動だの脱炭素だのに多くの需要があるというのならば。それとも秋入学で5年の課程なんだから、6年かけて修士出る人より年齢としては何か月か余裕があってお得ってことでしょうか。

 この新課程って陸上競技で言うと10種競技みたいなもので、走るのも投げるのも跳ぶのもどれも各々のトップの人たちには遠く及ばない中途半端な人達をたくさん作ってそれを「世界水準で活躍」と称するのかなあと思えてしまうのです。

 

 さらに、「誰が学生の成果を正しく評価できるの?」ってのも疑問です。学生が自分の興味に従って勉強するというのだったら、教師陣のカバーできない領域だってあるんじゃないのかなあと。法律の人は自然科学の部分は評価できません、ビジネスの人も評価できません、逆に自然科学の人は法律で正しいかどうかなんてわかりません、ビジネスで活かされるかどうかなんて判断できませんとか、なってしまうし、そうなると成果を評価するにも「はい、はい」って手を挙げて「どうぞどうぞ」になるダチョウ倶楽部みたいなことになるのでは。そうではなくて、あくまでも自然科学としての評価が大切ですというのであれば、法律やビジネスの部分は参考として、なにもわざわざ「文理融合」みたいなことを言いだす必要もないのでは。自然科学なんて言っても範囲が広いし、そんな広い範囲で慧眼を持った人を揃えられるの?

 

 だいたい、「世界水準で活躍」するような、「世界水準の優秀な留学生」がいきなり沢山くるだなんてことが、「教育課程を変えました」で来ると思う方がおかしいと思うのです。

 世界水準の優秀な学生は、世界水準の優秀な研究室に研究者に学びに来るのであって、「学部から修士まで5年で修士の学位が取れます」だから来る、わけではないと思うのです。

 たとえ世界的な優秀な研究者を厚遇して海外から招聘するといったところで全てをそういう教員たちばかりで揃えられる訳でもなく、優秀な研究者をわざわざその教育課程だけの先生、ということにしなくたって本来は良いのではないかと思えるのです。それに、「厚遇」というけれども金はもちろん大切だけれども、研究者からしてみればコラボして触発されるような同僚研究者になるような人(つまりもともと優秀な日本側研究者)がいることが大切だと思うのです。

 それで、そんな大学で優秀な研究をする人たちを輩出するには、国としても金をかけるべきだと思うのだけれど、なぜか卓越なんちゃらなんての作って「東北大以外の大学は落選だから金出しません」とかやって金を絞るのだから、なんだろうかと思うのです。逆に、だから東大は「もうやってしまって成果を挙げればいいんだろうよ」ってことなのかなあ、と。

 

 しかも、この教育課程では「留学生が半数」、東大全体としては2049年までに学部で外国人学生比率を30%、大学院で40%にするのが目標だそうです。

 国立大学でそんなこというのでしょうかね?

 国民から税金取り立てて、国として一番金をかけた大学に「日本人はいいから、さあ外国人の皆さん、おいでください」ってやるのでしょうかね。なんだか変。中国の二番手の学生達が大挙して押しかけて、欧米の大学に行けなかった中国の学生達が「仕方ない」って言って東大に来て、日本政府から学費など補助されて日本人の枠は減らすのが正義ってことにするのでしょうかね。なんだかおかしいなあと思うのです。