(「僕は犬神様を信じています。おいしいものを僕に持ってきてくれるんです」と食いしん坊なビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 日本三大奇祭の一つ、岩手県奥州市の黒石寺でおこなわれていた「蘇民祭」が約千年の歴史に幕を下ろしたそうです。ちなみに「日本三大奇祭」とはなんだ、後の二つはなんだ、と思って調べてみたら三つどころか多数あるようです。この「蘇民祭」が入っていない「日本三大奇祭」の定義もたくさんある。まあ「三大」は人によって地域によって違う、で曖昧なままでいいような気もします。

 

 さて、この蘇民祭は「1200年の歴史」とも「1000年以上の歴史」とも言われているそうです。この「蘇民」という言葉、私が昔々にとても愛読していた坂口安吾の「安吾の新日本地理 安吾・伊勢神宮に行く」という文章を読んだのが出あった最初で、そこでは伊勢神宮のあたりの地域では「蘇民将来子孫」とか「笑門」とか書いたお札を正月頃に掲げて一年中ぶら下げておく、という意味の記述がありました。そういうのはもともとは、京都の祇園社の信仰で、祇園社の末社に「蘇民社」というのがある、とも。

 それで、岩手の蘇民祭はこの黒石寺以外にもいくつか行われる、その中で一番有名なのが黒石寺の蘇民祭というので、今日の祇園やら伊勢神宮あたりの「蘇民将来」が東北地方まで広がっていたのだなと改めて驚きます。

 

 それはともかく、この黒石寺の蘇民祭、なかなかハードなお祭りです(でした)。地域の住民が高齢化して担い手がいなくなる、地域の住民も数百人と少ないというのが今回の「千年の歴史を途絶えさせる」という決定の根本ではあると思います。でも、それ以上に「お祭りに参加するのはなかなかハードな体験になる」というのがあったと思うのです。

 

 そもそもが障壁となるだろう事項をあげていきます

(1)参加者は本来、全裸であった。警察の指導もあり近年はふんどし着用が義務付けられていたとはいえ、これはなかなか参加に勇気がいるのではないでしょうかね。相撲だって、まわしが恥ずかしいから心理的障壁が高いとも聞きます。

 これ、ゲイの人だったら歓迎かもしれませんがそういう性癖のない人にとってはやはり嫌だと思うのです。何が悲しくて男同士で全裸にふんどしと言う格好になるのか。しかもその格好で、相当な人の密度で過ごすことになります。

(2)祭の様子を見ると、気温も低いのに池のようなところで水垢離(みずごり)で何度も冷水を頭からかぶるなんてことをしています。何を好き好んでそんなことをするのかと思ってしまいます。

 昔、大学受験時代に読んだ江戸時代の新井白石の「折たく柴の記」で、眠気覚ましに冷水をかぶったなんて記述があったのを思い出しますが、あれは「とにかく学問を成就したい」という熱意があってのことで、現代人が「お祭りだから」で冷水を頭から何度もかぶるのは相当つらいのではないかと思うのです。しかもあの水、前の人が頭からかぶった水を汲んでまた自分もかぶるわけで、後ろの方の人なんか、親父エキスや少量の小便や糞の溶け込んだ濁り水をかぶることになって...ってイヤな想像してしまいました。

(3)寒い中、裸で練り歩いた後に、「蘇民袋」というものを長時間激しく奪い合う、そのせいで人だかりのあたりには冬で寒くて裸の男たちが揉みあってるだけでも、熱気が漂い湯気が出る、そうなのです。なんだかそんなところは汗臭そう、少なくとも人の臭いが濃厚にしてむせ返りそう...かどうか知りませんが、いやそういう趣味のある人たちにとっては天国かもしれないけれども、参加者以外の多くの普通の人にとってはなかなか想像の及ばぬ世界です。

 

 本来、その祭りをする目的は、「無病息災・五穀豊穣」なのです。

 祭りの目的って、もともとそんなものでしょうから、一応、「無業息災・五穀豊穣を祈願する」ということでも、科学だの人間の理性だの無かった頃、それこそ平安時代の、人々の心の中に鬼だの妖怪だの霊だのが現実のものとしてとらえられていた頃には、祭りだと言っておおいに奮い立ったことかもしれません。それは分かります。私もその頃の人であれば、そういう祭りに疑いもなく参加したかもしれません。陰陽師が力があった頃、安倍晴明が禊だの雨乞いだのしていた頃なら。

 

 でも、今の時代、いやもっと以前から、とりあえずは祭りを存続させようか、伝統だし、何百年も続いてきたし、なんて気持ちが主なものになったとしたら、一応は「伝統だから」ってのはあるにしても、自分の代でやめてしまうのもしのびない、ってことでずるずると続けるにしても、相当、苦しい思いをしてきた人々はいたのではないかと思うのです。

 「どうせ、裸になろうが、冷水を頭からかぶろうが、裸の男同士で袋の争奪戦を激しく繰り広げようが、無病息災にも結びつかないし、五穀豊穣にも結びつかない」なんて目覚めてしまった人にとっては苦痛でしかなかったのではないでしょうか。

 

 今年になって「1000年の歴史に幕」なんてことになったのですが、十数年前に「裸の上半身に髭面に胸毛の男、その後ろにふんどし姿の男たち」という蘇民祭のポスターを掲示するのをJRが断った、その理由が「女性客が不快を覚える、セクハラだ」というものだったときから、今日の事態の萌芽があったと思うのです。当時はルッキズムなんて言葉はなかったかもしれないけど、明らかに「ブサイク男性(少なくともそう写っている人)への差別、男のふんどし姿への差別」でしょう。

 当時から、「おじさん差別」「ブサイク差別」というのがあったのが、この頃はルッキズムという言葉で胡麻化して、「見た目の良い人々を陥れる、弾圧する」というのが正義のように言われるのだから、なんだか難しい時代だなあとも思います。今だって、「オジサンはいじめても構わない人、女性には少しでも不利なことを言うと激しく糾弾される」でしょう。現代は人々の心に(とはいえ、ごく一部だと思いますが)、悪霊でも棲みついているかのようです。