(「印象派 モネからアメリカへ」の写真撮影可のゾーンで)

 

 東京都美術館で開催されている「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」展(1月27日(土)~4月7日(日))に行ってきました。このウスターはウスターソースの語源であるイギリスのウスター、ではなく、アメリカのボストン近郊のウスターのことです。ウスター美術館は、そこにある美術館で1898年開館だそうです。

 ところで、この展覧会は「印象派」と題されているから、いわゆるよく知られているモネ、ピサロ、シスレー...とかの絵のコレクションが山のように出てくるのか...というとさにあらず、むしろ「モネからアメリカへ」の「からアメリカへ」の部分、というかよく知られたモネ達のようないわゆる「印象派」が石だとすると、池に投げ込まれた石の波紋が広がっていく、その様子を見せるような、そんな展覧会だったなというのが見てからの印象でした。

 この展覧会は「写真・動画撮影禁止」でしたので、気に入った絵があったとしてもここで語ることはできません。

 

 この展覧会、構成としては

Chapter1 伝統への挑戦

Chapter2 パリと印象派の画家たち

Chapter3 国際的な広がり

Chapter4 アメリカの印象派

Chapter5 まだ見ぬ景色を求めて

 となっています。

 

Chapter1 伝統への挑戦

 ここではバルビゾン派のジャン=バティスト=カミーユ・コローや写実主義のギュスターブ・クールベ等、「印象派以前」とされる作品が並びます。ただし、年代的には印象派の名前の由来となったモネの「印象・日の出」(1872年発表)よりも後の作品が含まれているので、厳密な意味での年代的な「以前」ではなくて、むしろ「技法から見て」という区分けだと思います。つまり印象派となると「光」の表現や筆のタッチが残るような表現だけれども、それ以前のもうちょっと筆の滑らかさに重きを置いている印象がある絵、という風に見えました。

 

Chapter2 パリと印象派の画家たち

 ここでは、モネ、ピサロ、モリゾ、セザンヌ、シスレー、ルノワール、ブーダン、チャイルド・ハッサム、メアリー・カサットの作品12点が集められています。このうちチャイルド・ハッサム、メアリー・カサットはアメリカの画家で、一番上に示したポスターの写真はチャイルド・ハッサムの「花摘み フランス式庭園にて」がオリジナルです。

 モネ達の絵はこのチャプター以外には出てきません。

 

Chapter3 国際的な広がり

 ここではパリで印象派に触れた、フランス以外の国出身の画家たちが各々の国に戻って印象派が国際的に広がっていく、というコンセプトで作品が集められています。ただし、その中に日本の黒田清輝や藤島武二といった画家たちの作品11点が含まれています。これはウスター美術館蔵、ではなくて日本国内の美術館蔵の作品群です。印象派に影響を受けた...のかもしれないのだけれど、「なんだか違うなあ」と思えました。無理に日本を入れなくても...

 

Chapter4 アメリカの印象派

 ここでは印象派の技法を現地で学んで持ち帰ったアメリカの画家たちの作品が並びます。その技法のアレンジ、という部分もあるのだけれど、以前に某日本人の画家がフランスで描いた絵と日本で描いた絵、やはり「描く対象が違えば絵が違う」というのを痛感したことがあって、ここでもやはりそれを感じました。アメリカを描けばアメリカの絵、フランスを描けばフランスの絵。印象派の技法を学んでもそこかしこの風景画にはアメリカらしさがにじみ出てくるようです。

 

Chapter5 まだ見ぬ景色を求めて

 ここでは、印象派の影響を受けながらもさらにその先に進む画家たちの絵が集められています。ポール・シニャックやジョルジュ・ブラックやセザンヌの絵もあります。最初に私がこの展覧会の印象を池に投げられた石とその波紋、と言いましたがこのChapterは広がった波紋の部分だと思えました。

 

 この展覧会、期待したような「印象派」の作品が大量にという訳でもなく、凄く有名な印象派の作品があったという訳でもなく...いやモネの「睡蓮」の中の一つはありましたが...とはいえ、かなり充実した印象が残りました。

 というのは、一つには全編がすべて油彩の絵で埋め尽くされたこと、これはやはり良いです。モノクロのデッサンや版画で作品点数だけが増やされていても、なかなかちょっと消化不良に思えてしまうこともある展覧会もあるけれど、この展覧会はそれがなかった。

 もう一つ、画廊と美術館の「絵の売買」のやり取りの手紙などが展示されていて、ちょっと面白いなと思えました。モネの睡蓮の絵、1910年に美術館として世界で初めて購入されたそうなのですが、そのやり取り、価格が当時の価格で20000フランだったようなので、結構、その当時でもいい値だったのかなと思えたものです。

 さらにもう一つ、絵の一つ一つに、全て(厳密には「習作」の絵1点以外の全て)に解説が加えられていたことです。展覧会で全てに解説というのはなかなか珍しい気がします。よくあるのがピックアップされた作品には解説が、その他には画家の名前と作品の名前、制作年というパターンですが、この展覧会は全品。素晴らしい。全部、丁寧に見させていただきました。

 

 ということで、最初に思ったものとは違うものでしたが、結構楽しめた展覧会だったと思います。印象派とそれが巻き起こした影響についてご興味のある方は是非。

 

 この展覧会を見てから、ついでに「東京藝術大学の卒業・修了作品展」というものも見てきたのですが、さすがに歴史の風雪に耐え美術館に納められた作品群と比べて...いうのかそもそも比べるのが無謀だとは思うのですが...うーん...と思ってしまいました。高校の文化祭みたいな雰囲気。「綺麗だから描く、綺麗な景色だから描く」というのから時を経て、現代の作品群は「自分で何が描きたいのか本当に心のうちから書きたくて描いた」という気持ちの見える作品がとても少なかった気がしました。妙に観念的に内にこもってしまっているような印象のものが多い。なんなんだろう、絵一枚描くのに小難しい妙な理屈をこねまわして仲間内どころか自分の中だけで自己満足してるような、自己完結してるような、美でもなく情熱のほとばしりでもない何か、としか思えないものばかりに見えてしまいました。今の時代はそうでなければいけないのでしょうかね、そうではないと思うのですが。