(「ものごとには光と影がつきものですけどねえ」とビーグル犬まろさんオス9歳とその影)
2019年に難病のALS(amyotrophic lateral sclerosis:筋萎縮性側索硬化症)に冒された林優里さん(当時51)に依頼されて、医者が死に至る薬物を胃ろうに投与し、殺害したという事件がありました。
ちなみに、ALSは有名な理論物理学者のスティーブン・ホーキング博士がかかった病気で、ホーキング博士は2018年に76歳で亡くなりました。
ところで殺害事件の犯人とは医師の大久保愉一被告(45)と元医師(不正な手段により医師免許取得が明らかになったので免許取り消し)の山本直樹被告(46)で、山本被告は既に京都地裁で昨年12月19日に懲役2年6ヵ月の実刑判決が言い渡されたのですが、控訴審が12月25日におこなわれ、被告は無罪主張、判決は今年の3月だそうです。
大久保被告については現在、検察側が懲役23年を求刑。
亡くなった林さんのお父さんの意見陳述で大久保被告に「なぜ思いとどまるよう説得できなかったのか。心底恨みます。」と言ったそうです。
弁護側は林さんからSNSを通じて安楽死を希望したことに基づいて「亡くなった林さんの意思は最大限尊重されるべきで、それを否定するのは憲法13条に反する。嘱託殺人にあたらない」と意見を述べました。
林さんは、上に書いたように安楽死を懇願しており、そのSNSでのやりとりは残っています。安楽死をお手伝いしたいという言葉に「嬉しくて泣けてきた」とまで書いています。
大久保被告はそれで「本人の希望だから叶えてやりたい」という考えで安楽死を実行したということなのですが、それに対し「それは嘱託殺人で罪に問われる」というのが検察側。懲役23年が求刑されています。
両親の遺書も何もない、両親の積極的意思が確認されていない状況なのに(少なくとも報じられていなかった記憶です)、両親の死体と同じ家に居た市川猿之助氏には「自殺幇助」で懲役3年執行猶予5年の判決。
安楽死を懇願した人、その懇願した証拠も残っているのに、本人の意思もしっかり確認できているのに、懲役23年を検察から求刑される医師。
なんだかアンバランスだなと感じます。色々な記事を読むと今回はこの医師の日頃の心証が良くないのだろうなと言うのは分かるのですが、それでも違い過ぎる。
嘱託殺人を犯したとされる被告に関しては色々とケースバイケースの面もあるのでともかく、患者の立場として、もしも私がそんなALSという難病にかかって筋肉が動かなくなっていくような状態になったら、やはり人生に絶望して「安楽死させてほしい」と思うに違いないと思います。自分でやりたいことができなくなる、自分で自分の身体をちゃんと動かすことができなくなる、そんなことが起きたら、もの凄く悲しいですから。自分で死を選ぶことすらできなくなる、日常的に自分の生死すら他人に自分をゆだねるしかなくなる、というのは心にとって重荷です。
私は半月板損傷で膝がいきなり凄く腫れて、歩いているときに急に刺すような痛みが走るとか、結構頻繁に太い痛い注射で膝の水抜きをする、湿布薬と薬を飲むという見通しの行き先の見えない治療に意気消沈したことがあります。それで結局は手術をしたのですが、なかなか術後のリハビリによる正常化は望めず、手術後も階段で急に膝の力が抜けて階段を転落しそうになるとか、少し急いで歩くと膝の周囲の筋肉がギュッと縮むような耐え難い痛みにさいなまされるとか、階段の上り下りも非常に痛くなるときがあるとか、トイレに座った途端に膝が耐えがたいほどに痛んで小一時間、立ち上がれなくなるとか(要するに、膝の筋肉がつってしまうのです)、そうすると当然遅刻もするわけで。自分の身体が自分の意志通りに動かないというだけで、憂鬱な気分に沈みきってしまうのでした。もう普通の社会生活は送れないのではないかと。
私の場合は膝、「だけ」でした。それが全身に及んで自分の意志で身体が動かせないなんてことだと、私なら絶望してしまうと思うのです。本当に、「自分を安楽死させてほしい」と思うのだろうなと思います。
スイスだと色々な条件は課されるにせよ合法的に安楽死を迎えることができるそうです。以前に、そうしたことを報道する番組を見て知りました。つまり、「安楽死」を懇願されて実行すれば今回のように嘱託殺人の罪に問われてしまう日本のような国もあれば、スイスのような「安楽死」を認める国もある。スイスがその結論に至るまでには色々な議論があったとは思うのですが、本当にそれが「犯罪」なのか「救い」なのかはそれを解釈する人の立場によるのではないかと思います。一概に決められない。ちなみに、他の国について安楽死が認められているかどうかは知りません。
私が小学生の頃に、1968年に、札幌医大の和田寿郎教授という方が日本で初めて心臓移植手術をされて、和田教授は殺人罪他で刑事告訴され、後に不起訴になりました。今では心臓移植が殺人だのなんだの事件だの言う人なんて誰もいません。
私は、今後は日本における「安楽死」も、そのような経過をたどっていくのではないかと思うのです。というか、自分がもしも安楽死を望むような状態になった時の選択肢ができて欲しいと思うのです。悲しいことですが、本当に、真剣に。