(「僕は最近のことしか知りませんが、お散歩のコースはのどかなんで気に入ってます」とビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 私は65歳で、子どもの頃は「昭和」の時代でした。家の近所にあった田んぼは本当に一面、田んぼでした。だから1月のこの頃は、稲刈りが済んだ田んぼには刈られた稲の根っこだけ残っている風景が続いていたものです。近所の子供にとっては、その根っこを踏む感触が心地よいものでした。子供の頃の私は、それがお米の、稲の、根っこであることを知っていながら、その枯れた根っこを踏むことを「麦踏み」だと誤解していました。なんたる勘違い。麦踏みは、麦が発芽した後にその緑の草上になった麦を踏みつけることによって根の張りをよくするとか、麦が倒れるのを防ぐとか、株分かれを促進するとか、その他色々な効用が期待されるものらしいのですが、なんとも誤解の程度が酷いものでした。

 田んぼはずっと一面の田んぼでしたから、ずっと続いていて、その田んぼのあぜを横切りながら、足元に気を付けながら走って凧揚げをしたことをよく覚えています。他人の、お百姓さんの土地、ではあるのですがそんなことも気にせずに、のどかでした。

 春になればレンゲソウが育って田んぼは一面、ピンク色と緑色が混在するような景色になるのでした。谷内六郎さんが描く絵のような景色なのでした。姉などはときにはそのレンゲソウを摘んで、或いはシロツメクサなど編んだりしていたものでした。子供の頃はレンゲソウと言うのは田んぼだったら自然に出てくるような草なんだろうと勝手に思っていたのでしたが、実は農家の方が農地の栄養状態をよくするためにわざわざ種をまいて、それを田んぼをあとで耕すときに一緒に耕してしまって肥料のようにレンゲソウを使うのだということに気が付くのは随分後のことでした。

 田植えの直前には徐々に田んぼに一斉に水が入れられていき、風がない日にその田んぼの水が青空や雲を映し出す様子は本当は田んぼの水の深さは対して深くない...のが分かっていても、なにやら異世界が現出したような気分で、綺麗だなあと思って見ていました。

 田植えの季節の後は勝手にカエルたちが湧いてくる...そんなはずはないのですが、気が付くと田んぼにオタマジャクシがいたりして、そのカエルたちが育ったら、田んぼの中でうるさいほどにゲコゲコ鳴いていたものでした。カエルと言えば、昔の子供の中には酷い奴がいたもので、小学校の頃に誰から聞いたのかカエルをつかまえて、その皮をベロンとむいてみんなに見せて得意がっていた奴がいたものでした。私は直接見ましたし、それに類する話は残っていると思います。

 稲が育って、穂が垂れて黄金色に色づいて収穫、その頃にはまだ天日干しが一般的だったような気がしますが、よく刈り取った稲を干す景色が見られたものでした。

 で、稲を刈り取った後には切り株が残って、枯れていくわけです。サイクルとしてはこれで1年。

 

 ビーグル犬まろさんと、子どもの頃の記憶にある景色の場所と全く同じところをよく散歩するのですが、相変わらずの田園地帯、ではあるものの、もはや「一面、見渡す限り田んぼ」ではなくなりました。田んぼから畑に転換して盛り土したところがそこここに見られます。その盛り土の上でブロッコリーや里芋やキャベツや麦やピーマンやサツマイモや、色々な野菜が作られているのです。或いは、放置された農地のような土地に申し訳程度に柿その他の果樹が植えられていたりしています。畑はまだ良いのですが放置されて草ぼうぼうになった土地も結構あったりします。そうなると雑草だらけになります。

 

 昔と今とは、そうした田畑の面積はどう変わっているんだろうと調べてみたら、ここは神奈川県ですので、昭和50年からのデータしかありませんでしたので神奈川県の昭和50年のと令和4年の耕地面積のデータを示しますが

統計データで見る神奈川県農業の概要 - 神奈川県ホームページ (pref.kanagawa.jp)

 

         田んぼ面積  普通畑面積  樹園地面積

昭和50年     8,340ha  13,000ha    6,590ha  

令和 4年      3,490ha      11,200ha        3,310ha

 

 やはり田んぼの面積の減少が激しいようです。樹園地の減少も結構あるのですが、ローカルな家の周辺の場所としては田んぼの減少のが印象的です。

 

 上の同じページに、県内の食糧自給率も載っていたのですが、なかなか衝撃的。

お米の生産力は需要に対して生産量が3%、確かにうちも新潟の妻の親戚からお米を送ってもらっています。

 野菜は需要に対しての生産量が25%、果実が6%、卵は10%、牛乳は9%、豚肉は5%、のようです。湘南や三浦の野菜はおいしいし農協の売店にも毎週いきますが、実質の供給量はそんなものらしいです。いかに現代の生活が物流によって成り立っているかが分かります。そう考えると、本当に大地震が起きたとき、首都直下型にせよ南海トラフにせよ、そんなものが起きたとき、さらには富士山大噴火で火山灰などで物流や生産に大被害がでたときに、うちの方の地域は自給自足なんて絶対にできないから困るなあと思うのです。

 そう言えば今朝はのんびりしてたらまあまあ強めの地震がきたので驚きました。だからまた災害のことに意識がとらわれたのでした。