(「僕はイギリスにルーツを持つらしい日本犬です。でもコンテストのときにはいつも尻尾が下がってしまいました」とビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 2024年のミス日本コンテストで、ウクライナ生まれで5歳のときから名古屋に住んでいる椎野カロリーナさん(26)がグランプリを受賞しました。椎野さんは元々はウクライナの人なので、いわゆる「日本人」らしい姿形ではないのです。それで、「見た目も日本人の人が良い」と考える人もいて、論争にもなっているそうなのです。

 もともと、ミス日本は「日本らしい美しさを求めて」ということでグランプリを選考しているようなのですが、その「日本らしい美しさ」の基準が、「見た目の美しさ」だけでなく「内面や行動、心の持ちようや社交性など幅広い人間性」ということもあって、それで今回、椎野さんが選ばれたということだそうです。

 そもそも5歳の頃からずっと日本にいるのだったら、帰化こそ2022年と遅かったものの、心で考える時の言語は日本語だろうし、「中身」は日本人だろうと思えるのです。

 私は、椎野さんの場合は今回、グランプリに選ばれたものの、なにもヨーロッパ人の容姿が日本人の女子より必ず上回っているなんて価値観は日本人だって持っていないだろうから、今後も「外人」の容姿を持った人が出場すれば必ずグランプリになるなんてものでは絶対にないだろうし、今回は椎野さんが優れていたから選ばれたってことだけのことで、良かったんじゃないかなと思うのです。「日本人らしい見た目の人を選ぶべき」なんてつまんないこと言わなくたっていいのではないかと。

 これが、たとえば中国人や韓国人が子供の頃から日本に住んで日本に帰化してグランプリに選ばれましたということだったら、まだもう少し「違和感」を感じる人が少ないのかなと思うのです。東アジアの同じような顔立ち、ということで。というかむしろ、日本の中の排他的・排外的思想を持った人たちを刺激するかもしれませんが。今回は人種的にヨーロッパ、ということで「違う」と。

 

 ただ、私にはこの方、そんなに違和感がない。

 思うに、元々の人種がどうであれ、「美人」と言われるような人はスタイルにせよ顔の作りにせよ、その人種間のバリエーションはそれほど広くないのではないだろうかと思えるのです。体型だって選ばれる人は大体、似通った感じになるのであって、体重超過で170㎝の身長で体重100㎏の人、とか体重過少で身長145㎝で体重20㎏台なんて人がいても、まずグランプリには選ばれない。顔の作りだって、やたらに頬っぺたのが鼻より前にでるような太った人の顔とか、やたらに幅の広い顔だとか、そんな人はまず選ばれない。トルストイが言うには「幸福な家庭はどれも似ているが不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸」だそうですから、それと似たような感じだなと思うのです。結局、美人は本質的部分は似てくる。だから結局は「ミス日本」みたいなものも、見た目についてはその少ない差異の中で「競う」のだなと思えばいいのではないかなと思うのです。

 内面や行動についてはなかなか見えにくいのだけれども、たとえば「日本人の内面と行動」とか「ヨーロッパ人の内面と行動」とか、そんなに「人種」で分けられるのかな、という気もします。違いがあるとしたらむしろそれは「人種」ではなくて「個性」だろうなと思います。昔、私が勤務していた某グローバル企業では色々な国の同僚と仕事をする機会があったのですが、別にヨーロッパが起源の人たちだから日本人と感じ方が違うかと言うとそうでもなく、自分の感覚と似通ってると思う方が多くて、結局、思ったのは差異を作るのは人種ではなく、その人の個性だろうな、ということでした。教養があってしっかりと優しい人は何人(なにじん)だってそんなものだということ。「日本人」だからといって凶悪な犯罪者になる人だっているわけですから。それでも人種でカテゴリー分けすれば「同じ日本人」なのです。

 ということで、何かと差別感情を持ちたい人たちはいるのは分かるけれども、それってつまらないし、善良な人は何人(なにじん)でも善良だし、美人は何人でも美人だし、チェーンソーや刃物を持って追っかけてきたりガソリンまいて火をつけるような邪悪な人は何人(なにじん)でも邪悪、と思えます。

 グランプリの結果に不満な人もいるかもしれないけれども、そこは大きな目で今後も見守るべきではないのかなと思いました。