(「僕は群れのリーダー」とのたまうビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 芸人の松本人志さんがとうとう文春側を訴えたそうですね。私にはこの先に裁判の結果がどうなるのか分かりませんが、たとえ裁判の結果がどうあれ、松本さんはもはや以前のように「笑いの頂点」みたいに振舞うことができるかというと、まったくそうは言えないなと思えてしまいます。

 私は松本さんの「笑い」というものは好きではなかったので見てこなかったのですが、好き嫌いは別にしても「リーダーの資質」として今回の件でダメだなこの人と思えてしまったのです。

 この「事件」、ジャニー喜多川の事件にたとえる人がいるそうですが、ここでは私はビートたけしさんの「フライデー襲撃事件」と比較してみます。

 「文春 vs. 松本人志」と「Friday vs. ビートたけし」、ともに「マスコミに対しての闘い」であり、それに対して「リーダー」はどう戦ったかという点で、結構対照的だなと思ったのです。

 

<事件の経緯> 

文春 vs. 松本人志:2023年12月の文春の記事で「2015年に松本人志が後輩芸人を使って女性を集めてパーティを開催。参加女性に対して松本人志から性加害が起きた」というのが発表された。それに対し松本氏は事実無根を主張するも裁判に注力として自主的に活動休止。当初は「なんの恥じるおこないもなかった」と主張していた後輩芸人の小沢一敬も自主的に活動休止。たむらけんじ氏は「パーティーはあったがそう言う目的ではなかった」と主張。その後も文春側は増えた証人の言に基づき第二第三の記事を掲載。

 現在は松本氏が文春を訴え名誉回復と5億5千万円の損害賠償を請求。

Friday vs. ビートたけし:1986年12月にビートたけしが親密交際していた女性に対しFriday記者が強引に取材、女性にけがを負わせた。それに激怒したたけし氏は弟子11人を引き連れFriday編集部に談判に。結果として暴行傷害事件に発展。

ビートたけし及びたけし軍団は半年間の芸能活動自粛。

ビートたけしは裁判で傷害罪での懲役6ヵ月、執行猶予2年を言い渡され、たけし軍団は起訴猶予処分となった。裁判官は「フライデーの取材方法、編集方針等に憤慨し、苦情を言わずにいられなくなった心情には酌むべき点が十分ある」と言った。

 当時の後藤田官房長官もこの件についてコメント「ビート君の気持ちは分かるがしかし直接行動はいけない」。

 

 さて、文春に対し松本氏は「裁判に訴える」という方法で闘い、Fridayに対したけし氏は直接交渉からの殴り込み、で結果的に罪人になりました。どっちが芸人らしいか、スターらしいかと言ったら、間違いなくビートたけし氏の方だと思います。

 そもそもが松本氏は「被害を受けたと声を上げた女性を(間接的にでも結果的に)嘘つきだそんな事実はなかったと糾弾する立場」、たけし氏は「自分が交際をしていた女性が怪我をさせられたことに対して抗議をする立場」でした。たけし氏の行動には男気があって、松本氏には女性に対してそのかけらもない。性加害があろうがなかろうが、後輩芸人を使って好みの女性を集めさせた、ということまでは認めているだろうから女性に対して「見た目や好みのスペック」はあっても、「好き」という感情は一つもなかった。たけし氏は(松本氏と同じように妻子がいたのはいただけないが)、交際女性に対しての「好き」という一途な思いがあった。私は男性だけれども、たけし氏の不倫という面は別にして「好きな女性」という心情は共感を覚える一方、松本氏は共感しない。松本氏については「ひたすらに、己の権力欲を満たしたいだけの寂しい人なのかな」と思ってしまう。

 

 後輩に対しても松本氏は「騒動に巻き込んで済まない」という意識はなさそうに見えてしまう。一方、たけし氏は警察に連行される際でも弟子たちに巻き込んで悪かった、一生面倒見るみたいなことを言ったとされている。この差が、リーダーの資質の差を感じる。松本氏にとっては「単なる後輩で弟子ではない」、たけし氏にとっては「弟子」、そういう違いはたしかにあるのだけれど、それでも師匠が「出版社に抗議しに行く」と言って一緒についていく、結果的に傷害事件というのは、なかなかの絆だと思うのです。私から見れば松本氏みたいに「威張って都合よく後輩を使うだけの先輩」なんてどうしようもない嫌な奴なのです。少なくともそう見えてしまう。松本氏は裁判では「性加害」を問題にされているようなのですが、それ以前の問題として「男気のある人か」「人間力がある人か」ということについてのイメージダウンもかなり大きいのではないかと思うのです。なんとなく、松本氏にはどうしようもなく陰湿なイメージがついてしまった、そのことが一番のダメージかもしれません。弟子にわびたビートたけしと後輩を利用しただけの松本人志、そういうイメージの差。

 

 時代が違う、のかもしれない、今は万事「コンプライアンス重視」とか言う時代だという人たちも多い、のかもしれない(その割に政治家の皆さんは当時より今のが1986年当時より勝手なことしてる印象がありますが)。でも、「訴える側」(松本氏)と「暴力事件で訴えられた側」(たけし氏)の表面的な違いはあっても、大衆はどっちを支持するのだろうかな、少なくとも後者の方だろう、だからたけし氏は残ったし、監督した映画も評価された、一方松本氏は裁判後の休止明けに居場所があるのか、また監督した映画が評価されなかったのも人間力の差かなと私は思ってしまうのです。