(「僕にしてみれば、こんな景色のいい場所に連れてってくれれば自動車なんてなんでもいいんですけどね」とビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 私は自動車の運転免許を初めて取得した年齢が29歳とかなり高いのですが、その理由は(1)勉強・研究で論文を書かないといけないとかで自動車どころではなかったから、(2)単純にお金がなかったから、(3)公共交通が発達している便利なところに住んでいるし彼女もいなくて自動車を運転するという必要性を感じなかったから、(4)事故を起こしたら大変とか運転するのは怖いことだと思っていたから、(5)自家用車を持つなんて夢の夢の世界で、自分が自動車を運転する身分になるなんてことは起きないとかなり長く思っていたから、さらには(6)乗りたいと思えるようなカッコいい車種がなかったから、というのがありました。

 

 (1)~(5)までは多分に私の個人的事情の困窮話がメインなのでここでは(6)について記します。

 私は大学院で博士をとった後にオーバードクターで相模原の某研究所でアルバイトをするようになりました。それまでの大学院時代は、駅と自宅が近いし通っていた大学も駅を降りたらまあまあ直ぐだったしで、日頃は長い時間自動車の流れを見ることもなく、自動車には全く目が向いていませんでした。子供の頃に自宅にトヨタのセールスマンが来て今で言う「だるまセリカ」、つまりトヨタのセリカと言う車種の最初のモデルを見て少し憧れたり、日産のチェリーとかいすゞのベレットやフローリアンなんてのも印象に残ってはいたけれども、そこまでカッコいいとは別に思えなくて。

 ところがその相模原の研究所にバスで通ううちに、毎日、自動車の流れは目にするし国道16号線沿いの中古車屋の前を通るわけで、「お?なんだかカッコいい」と思うものが目につきました。

 それがホンダの3代目プレリュードのリトラクタブルヘッドランプのモデルやアコードのエアロデッキという、アコードというセダンの派生車種のシューティングブレイク(ワゴン車)でした。その時代のホンダ車は他にもアコードのセダンのモデルも、インテグラというモデルもリトラクタブルヘッドランプで、比較的車高も低いスポーティな形という印象で、一般車ではあるから性能はそこそこでしかなかったと思うのだけれど、当時の私にはスポーツカーみたいに凄くカッコよく思えたのでした。つまり、それまでは「自動車は便利だろうけど、自分が買って乗ってみるほどに愛着がわくほどにカッコいいとは思えない乗り物」としか思えなかったのが、そんなスポーツカー的なリトラクタブルヘッドランプを装備した低くてカッコいい自動車なら自分も乗って運転してみたい、と強烈に思えてしまったのでした。

 しかも、当時はF1グランプリでホンダのエンジンを搭載したチームが勝ちまくっていたころですから、「やっぱホンダだよな」と思っていました。

 

 結局、免許が取れた頃にはリトラクタブルヘッドランプのモデルは過去のモデルで中古車でしか買えなくなっていました。リトラクタブルヘッドランプを持つモデルが消えたのは安全性のための基準の面と、ランプを上げたときの空気抵抗やランプの重さなどの性能面の理由があるそうです。

 免許取り立てで中古車というのも「中古車には前のオーナーの運転の癖がついてる」と思うのと、故障や保証が短いリスクも感じていたので、中古車は買わずホンダのインテグラの当時のモデルを買いました。それは「カッコインテグラ」と、あの、当時「バック・トゥー・ザ・フューチャー」のマイケル・J・フォックスが盛んにテレビで宣伝していた横長のヘッドランプの4ドアモデルで、リトラクタブルヘッドランプではなかったけれども、まあカッコいいからいいや、これで決めた、と。後年、なんと現・上皇様が長年運転されたモデルだと知って驚きました。

 思い出すのですが、当時は先のホンダのプレリュードだの、インテグラだの、CR-Xだの、日産のシルビアだの、トヨタのセリカだのレビン/トレノのAE86とかAE92とか*のカッコいい自動車が普通に多く走っていたのでした。割と四角っぽいワンボックスとかSUVとかの自動車のスタイルを好むような今の若者の目で見ると、それらはカッコいいと思われるのか分かりませんが少なくとも当時の私には「ようやくカッコいい自動車が走る世の中になった」と思えたのでした。

 

*私には昔の86は「スポーツモデル」でもないセクレタリーカーとしてごく一般の大人しい自動車という印象です。うちに来て母から華道を習っていた若い女性も普通にAE86レビンに乗っていました。後年、AE86が後輪駆動FRでドリフト走行しやすいことに目をつけられて「頭文字D(いにしゃる でぃー)」という漫画で人気が出ましたが。

 

 そこで今の世の中で買い物や美術館や様々な機会の外出先で他の自動車を見ると、軽自動車、ワンボックス車、SUV等がかなり多くて、トランクが設置されているような自動車に乗る人がかなり少なくなっているなあと感じます。その傾向、既に何年も前からそうなのですが。ときどき見るセダンとかはベンツやBMWとかの外国製の自動車だったりして、日本のメーカーは半ばその分野を捨てているかのように感じてしまいます。

 私がその昔に「カッコいいから自動車に乗ってみたい」と思えるような若者向けのモデルは今は無いような気がします。スバルのBRZにしてもトヨタの86にしても3百数十万円以上の価格で給料が伸びない、伸びるあても少ない今の時代に若者にはなかなか手が出せないのではないかと思えるのです。価格高騰は数々の安全装備のせいと言う説もありますが、でも昔みたいに大した性能でなくてもカッコだけは良いよ、って自動車で「これなら乗ってみたい」って思えるようなのはもうメーカーは出せないのだろうかなと少し寂しく思えます。

 

 さらには電気自動車やハイブリッド車も増えたのかエンジン音でなくキュルキュル言う静かな音がします。エンジン車だとエンジンをかけたときにはいかにも「私、目覚めましたよ!」みたいなエンジンがかかる音がするし、少しエンジンを高回転側に回せば「ブオーーーッン!」って音がして「うんうん、自動車に乗ってるねえ」って実感がするのですが、電気自動車ではそれも望めないでしょうし、それだとなんだかつまんない気もします。私は暴走族とかそういうのではなく、エンジン音が好きなだけです。

 

 私の自動車への興味を開いてくれた本田宗一郎さんは1906年の今日、11月17日に生まれました。トヨタや日産やホンダなどの日本の自動車産業が発展して、私が子供の頃には自家用車なんて夢のまた夢だったのが次第に変わりました。月日がたって誰もが自動車運転免許を持つようになり、今の人は自動車のカッコより機能優先なのか人のデザインの好みが変わったのかずんぐりした印象の自動車が流行り、社会の分断で結婚もできない自家用車も持てない人もこれから先増えるだろうし、この先どうなるのでしょうね、と考えることがあります。それこそ「空飛ぶ車」が普通になる世の中がくるのだろうか?でも住宅地で飛ぶのは何か故障とかのトラブルがあった時に危険が増すし。もしかしたら、今のように自動車が普通に一般の人に所有され運転される時代なんて、案外と短いのかもしれません。

 

 それで、考えてみたらそんな世の中の変遷なんてのは、このたった数十年の間に起きていること、生きている人間の一生の間に起きていることなのですね。計算機だって私が大学に入って直ぐの時代には学生実験の解析用に使われていた計算機は紙のテープのプログラムを読み込ませていた、なんてことがまだ辛うじておこなわれていたくらいだから**、その後のコンピュータの発展とか凄いものです。今の自動車にはコンピュータが組み込まれているようなものですし。さて今後の世の中はどうなるのでしょう。

 

**少し後の大学院の頃は重い大きな磁気テープを持って大型計算機センターに通いました。