(「僕も人間の法律家の言うことは、全く理解できません」とビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 親の自殺幇助(ほうじょ)で歌舞伎俳優の市川猿之助氏が逮捕されたのが5月18日、それから約5ヶ月後の10月20日に東京地裁で初公判が開かれました。

 求刑は「懲役3年」だそうで、これを超えて「懲役4年」だと「執行猶予」がつかず、即実刑になるのが、うがった見方をする人によると「懲役3年」ということで「執行猶予を付ける」というのを想定したものだそうです。予想されるのが「執行猶予5年」だそうで。

 「執行猶予5年がつく」ということは、刑務所に収監されることなく普通の人と同じ生活を送り5年の間に犯罪を起こさなければ「懲役3年」という刑罰を受けなくて良いことになってしまいます。判決は11月17日です。

 

 しかも猿之助氏も、歌舞伎の世界に早期復帰して「歌舞伎で罪を償う」と言って、歌舞伎公演の松竹の会長も「支援」を表明しているそうなのです。いやいやいや、ありえない。それが、「歌舞伎の世界」の人の感覚なのでしょうか。

 歌舞伎俳優って、どこまで特権階級なんでしょうね。どこまで上級国民なのでしょうね。

 「両親の自殺幇助(ほうじょ)」ということで求刑されているのですが、野次馬の目からすると「幇助じゃないとする、つまり殺人罪を問うには証拠が薄かった」と言う意味であって、真実が本当にそうなっているのかどうなのかというのは、どうしてもモヤモヤしてしまいますから。

 うちも、親子喧嘩をしてきましたが、仮に私がなにやら不名誉なことをしでかして世間に発表されたとしたら、「家族会議でみんな心中する」には絶対にならないのです。父も母も、私のことをあることないこと火のついたように非難して攻撃するばかりになるでしょう。両親は「自分達が先に自殺するから、お前は後片付けをして後追い自殺してくれ」なんて話には絶対にならないのです。もうひたすら、私のことを二人して非難し、なんなら「お前が死んで償え」くらいのことを言って、自分たちは生きる気満々、「不名誉な子供には死んでもらいました、これで家としての罪の償いはすみました」なんてことにして、私だけ死ぬことになるのです、うちの家族では。両親だけがおとなしくビニール袋をかぶせられることはありません。

 

 それでもう喧嘩状態がどうしようもなくなって、それこそバットで私が両親を叩いて死んでもらう...みたいな感情に駆られるかもしれません。うちにバットはないのですけど心情として親子喧嘩の果てについ両親に手をかけるみたいな、そういうのはあり得ます。

 

 家族は家で各々違うから、猿之助氏のご家族では「両親が先に大人しく死にます」で温和に決定して、大人しく亡くなる道を選んだ...というのは、いつまでも「本当なの?」としか思えないわけで。親が、息子の不祥事で自殺するか?変わった家だなと。

 そうした心の奥底では疑念が消えない人だってたくさんいると思いますよ。「家族会議」の結果であれば、「みんな、一気にクスリを飲んで死にましょう。みんなでビニール袋をかぶって窒息しましょう」が一家心中のあるべき姿でしょう。なんでそうなってないのか、当の本人だけ助かっているのか。誰だってモヤモヤします。どうしても「おかしい」と疑いを持ってしまうのです。真相は闇の中だと。判決とは別に。

 であるのに、

 

 両親を(自殺幇助という形であれ)殺しておいて、普通通りの生活に戻る?

 両親を(自殺幇助という形であれ)殺しておいて、前の職に戻る?

 

 ありえない。猿之助氏ご本人は「歌舞伎で罪を償う」って何の冗談だって思います。

 歌舞伎界ってそんなに日本の常識すら通じない甘々の場所なんでしょうか。ちょっと言ってることの意味が分かりません。普通の人なら、当然、以前の勤務先はクビ、なんとかして元の生活水準に戻りたいって四苦八苦するのに、どこぞの有力者だかスポンサーだかいれば「復帰に向けて支援しますよ」ってあり得ませんて。

 

 実のところ、私は「歌舞伎は日本の伝統芸能だから、死ぬまでに一遍は観ておくべきかな、観たらファンになるかな」とずっと思ってきたのですが、そんな猿之助氏が早期に復帰なんてことになったら、もう「日本の伝統芸能」だのなんだのという美辞麗句は吹っ飛んで「犯罪者をかばう甘々な集団の大げさでアホなしぐさ、観る価値無し」としか思えなくなります。

 どうか、司法の方々も歌舞伎に関わる方々も、猿之助氏は永遠に封印されることを望みます。そうしないと、歌舞伎そのものだってもの凄く評判が悪くなりますよ