(「僕も、若い頃に比べると大分歳を取った容貌になりましたが、相変わらず『カワイイ』と言われます」とビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 この頃は電車の中でもマスクをしている人がかなり減ったし、どこに行くにもまずマスク着用と言われなくなったようなので、楽になりました。それだけに、インフルエンザや再びコロナが流行してるぞみたいな情報もありますが、それでも一応、街は平常モードを取り戻しているようです。

 コロナの間は人々の集会みたいなものは厳しく制限されて、パーティなんてとんでもないとか、場合によっては他県に旅行するだけで激しく非難された人も結構いたと報じられています。石田純一さんの叩かれようは気の毒な感じもしました。

 コロナの間は、そんな状況だったので当然のように同窓会なんかも開催はなく、「コロナが明けたらね」なんていうのを合言葉にしていたものでした。

 コロナの前の同窓会とかそれに類する集まり、私はなるべく出るようにしていました。なんだかんだ言って昔の仲間は懐かしい。

 

 先日、中学生時代の同窓会のお誘いが届きました。それ自体、コロナの前は毎年のように開催され、毎年私も出ていたものです。それでも、3年ぶりくらいになるからか、もはや心が引っ込み思案になったものか、なかなか行くのをためらう自分がいるのです。

 

 中学生時代のお友達は小学校の頃から知っているいわば「幼なじみ」で、まあ平和な学校だったので...先生方は気負ってたのかなんなのか、或いは私があまり認識しないところで不良なことしてる生徒がいたものか、妙に暴力的でビンタする先生達とかいはしたものの...生徒の間ではギスギスしたところもなく、だからこそもう十数年前からか毎年のようにクラスの同窓会を開いてきたのでした。会えば、「やあ、元気?」みたいな感じで。

 だから、そう言った面では良いのですが、「自分が昔の中学生時代の頃によく知っていた子供」と「それから半世紀以上たって、既に祖父とか祖母とか言われるような人が出てきて、それなりに歳を召された人」とのギャップが段々と激しくなってきているなあと、既に段々とコロナ前の同窓会の時から感じていたのです。それって、なんだか悪夢を見ているような感覚で、相手の昔を思い出して、その間の過ぎ去った50何年と言う時間が過ぎてしまったことを痛感する、浦島太郎が一瞬にして白髪白髭のお爺さんになったみたいな感覚なのです。

 自分が老いていくことは毎日鏡を見ればわかる、家族の老いや成長も毎日のことだから許容できる、でも他の人ならこの年代の3年4年は大きい。「お互い様」ではあるのだけど、だからこそ、「ああ、年取ったんだな」なんてお互いに思い合うのも寂しい、悲しい。懐かしいけれども。子供の頃に自分が属していた「若い集団、これからの集団、未来の希望に満ちていた集団」が、いまや「年寄りの集団」になっていく...というか既にそうなっている怖さ。

 

 これがもっと若い頃の同窓会だったら、たとえば高校生になりましたとか大学生になりましたとか、社会人になりたてです、みたいな時期だったら、「あ、○○に行ったんだ、良かったじゃん」とか、「大人になって、あの子は綺麗になったもんだな、お付き合いできないかな」とか、希望に満ちた、欲望渦巻く色んな意識の混在する集まりで面白いのです。「あの綺麗になった子と、ワンチャンないかな」とか。

 

 もう少し経って仕事に脂がのってくる頃だと自分はこんなことしてるとか、少し自慢めいた奴もいたりして、でもお仲間だから微笑ましいというか、「うんよかったじゃん」って思ったりして、「同窓会に出る人はそれなりに幸せなんだよなあ」ってことを実感するものです。私生活が嫁姑で苦労してるとか離婚だのなんだのごたごたあると、なかなか同窓会にも出る気にもならないでしょうし。でも、まだそんな頃って、まだまだ「落ち着いた大人になったなあ。みんな『落ち着くところに落ち着いた』なあ」ってことを思うものなのです。

 

 それが段々、仕事を引退するような人が増えてくるような年頃になると、「自分はまだ現役で仕事してる、生き残ってる正社員」なんてアピールしている人がいて、ご苦労なことだなと内心思いながらも「うん、すごい、すごい」とか合いの手を入れるような雰囲気になったりして、微笑ましいけど少しうざいみたいな感じも。中学生の頃の見知っていた姿と、歳を取ってからの変貌を脳内で比べて絶望的な気持ちになったりします。お互い様だって?そう、お互い様ではあるのだけれど、ああ、皺だらけだなとか、白髪を染めて欲しいなあ、まるでお婆さんではないかとか、あの美少女だった人がこんなにお婆さんになったのか、とか、ふさふさした髪だった奴が随分薄くなったとか禿げたなあとか、元の姿を知っていると悪夢のように見えるのです。悪夢というのでなければ、元の姿に似せて化けた妖怪(言い過ぎか...)。人間、声はよっぽど衰えないと変わらないのでそれがなおさら「昔の姿」と「今の姿」とのギャップに反映されて悩むのです。脳内補正をして、段々と昔の面影を見出すようになるのは確かなのだけれど、怖い。この「怖い」という気持ちは、おそらく「死を恐れる」という気持ちとつながっているのだと思います。自分にも相応の時間が過ぎたんだ、そんな長い時間、自分は何をしてきたんだと。人生を棒に振ったのではないか、そこそこの才能はあったはずなのに人生で何をしたんだ、お前はそろそろ死ぬぞと。

 でも、本来、そうやって集まって無事をたたえ合うみたいな昔の仲間がいるということ、ずっと同窓会が開催され続けていることは、幸せなこと、ではあるのです。そういう雰囲気もなければそういう会も開催されないでしょうから。懐かしいし。当時のことを明白に思い出すし、良い思い出だし。でも、「今後一切、同窓会には出ません、辛いから」って選択肢もあるし、で、色々と考えるわけです。

 

 まだ返事はしていないけどそんなこんなで懐かしさと恐怖の間を揺れ動く同窓会なのです。