この展覧会、ずっと行こうか行かなくてもいいか迷っていて、もういよいよ会期終了になってしまいそう、という頃になってようやく行くことにしました。

ホーム|川崎市岡本太郎美術館 (taromuseum.jp)

 

 なんで迷ったかと言うと、そもそも岡本太郎美術館は好きで、カフェテリアの海老と玉子のサンドイッチとTAROブレンドの組み合わせも好きで、面白そうなら一も二もなく行ったのだけれど、この企画展はなんだかおどろおどろしい感じを受けたのです。いや、おどろおどろしいのは良いのだけど、「顕神」とか「幻視」とか言われると小難しい感じがして、つまんなそうと。

(海老と玉子のサンドイッチとTAROブレンド 海老も卵もふんだんに使われていて美味しい。ただ以前のが美味しかったかも。今日たまたま?)

 

 そうはいうものの、いこかいくまいかって悩むくらいだから、興味はあったわけで。あと一押しの何かがなかなかなかった、と。

 

 さて、美術館のエントランスを入ると、まず常設展です。

常設展は「岡本太郎と太陽の鳥」

 ここの常設展は以前はあまり代わり映えしないなあ、と思っていた時期もありましたが、今回はこれまであまり目にしてこなかったものも結構展示されていた気がします。つまり結構作品の入れ替えがあった様な気がしました。

(「青空」by 岡本太郎 1954)

 

 今回は、この展示替えだけでも儲けもの、みたいな気になりました。

 

 常設展のゾーンを抜けると「顕神の夢 ―幻視の表現者― 村山槐多、関根正二から現代まで」という企画展のゾーンにいきます。

 企画展は残念ながら撮影禁止でした。

展示の構成は

1.見神者たち (神がかりによってできた作品)
2.幻視の画家たち (常人では感じえない『何か』を幻視する作家)
3.内向的光を求めて (『何か』からの刺激によって網膜を介さずに現れる光を留めた作品)
4.神・仏・魔を描く (『何か』の姿を模った作品)
5.越境者たち (別次元の視点によって『何か』をこの世界にもたらす作品)

 となっているのですが、1632年生まれの円空から1989年生まれの花沢忍さんまで、約50名の作家を、作家ごとにまとめて上に示された構成にそって作家単位で展示されています。

 勿論、こういう企画を考えた方の中ではちゃんと構成が考えられているのではあるのですが、見ていくと構成はどうでもよくなって作家さんたちごとに表現するものが違うよなあと、単純に楽しみました。古い人から並べられているというわけでもなくて、各章のテーマに沿って並べられているのです。各々の作家たちが「章に沿った作品を描く」と言うのでは全くなく、各々の作家たちが表現したいものを描いた結果を作家ごとに章に分類して並べたというだけなので、見る方としては必ずしも企画者の意図に沿う必要もないな、と見ているうちに思ってしまいました。

 こよかこまいか迷っていたのが、そんな風に勝手に思ったら心が楽になったので、自分にはより面白く鑑賞できたような気がします。

 今回の作家たちは、しつこいくらいに詳細に細密に描こうという作家も、大胆なタッチを大事に気の向くままに描くみたいな作家も、時代を超えて展示されていましたが、そんなところが芸術の面白さ難しさを感じさせました。描きたい思いを表現する方法は色々、そもそもの描きたい思いも色々、だから芸術が続いていく意味があるのかな、と思ったのでした。それと、いつも思うのですがそうした作家たちが世間と折り合いをつけて活躍していくのも難しい時代かなと思うのでした。

 

 この展覧会、結局は「顕神」とか「幻視」とかのキーワードに関連付けられそうな人を並べていったのだから、しかもそうそうタイトルからピンとくるものばかりでもなかったので、もう少しなにかタイトルを別のにした方がよかったのではとも思ってしまいました。もっと興味をひきそうな何か。行ってみて、「良かった、面白かった」と思うので、なおさらそう思うのです。