(「僕は他の犬の吠え声は嫌いだけど、匂いは大好きなんです」と変態のようなことを言うビーグル犬まろさんオス8歳)

 

 岸田内閣では「少子化対策の一環」として子供優先の政策を打ち出していこうとしていてそれを目玉にしてもいます。

 博物館などの国の施設で子連れの人が並ばずに優先的に入場できる「子どもファストトラック」はその一つですが、「子供の声は『騒音』ではない」とする法制化の可能性について国会で触れられて、岸田首相も前向きな発言をし、しかしこども家庭庁では未検討だけど将来は不明とのことだそうです。「ドイツではそういう法律がある」というのなら他の国ではそういう法律はないのだろうし、そんな特殊ケースにどうして迷い込むのか。「やってるぜ感」のため?

 

 ところで私が結婚したのは36歳、最初の子供が生まれたのは45歳の頃でした。32歳まではアルバイトやポスドクで食いつないできたので、結婚相手もいず「一生独身になるのか」と思っていました。

 で、まず独身の、完全に独り者のときにはカップルも子供も正直言って嫌いでした。就職して定収入があろうがなかろうが、カップルも子供も自分とは関係ないということで。まあカップルに対しては「この野郎」とまでは思わなかったけれども、なんとなく居心地が悪いというか。一方、子どもは全く可愛く思えませんでした。子供が騒いでいれば「うるさい、耳障り」としか思えませんでした。当たり前です、自分に縁もゆかりもない他人の子どもを可愛く思うような理由なんて全然ありません。当たり前のことです。それって、心が狭いでしょうか?

 

 妻と付き合って結婚してからはカップルに寛容になりました。当たり前です、自分もカップルの一員なのだから。でも、相変わらず他人の子どもは可愛くありません。うるさいから、あっち行けしっしっとまでは思わないにしても、結婚後に我が家になかなか子供ができなかったこともあり、子どもについては見かけたら忌避する対象と思いました。

 

 子どもがようやく出来たら、カップルはもちろん、子どもにも、特に他人の子どもにも寛容になりました。他人の子どもが粗相(そそう)をしようがうるさかろうが、「子どもってそう言うものだよねえ」と思う余裕が出来ました。自分達だって子供がいることで世間になんとなくの迷惑だってかけている(たとえば公共の乗り物での場所ふさぎなベビーカーとか)という気はしたので自分の子どもだから他人の子どもだからああたらこうたらということではなく、子ども一般になんとなく寛容になりました。

 

 デズモンド・モリスの「マンウォッチング」だったかの書籍を読んだ時だったと思うのですが、ヒトのオスは独身者が子供を見たときの目の瞳孔の開き方と、子供のいるヒトのオスが子供を見たときの目の瞳孔の開き方が違うという記述があって、なるほどと思った記憶があります。独身者は子供がいないので子供を見る目の瞳孔が嫌悪感で狭まり、子供がいる場合は子供を見る目の瞳孔が好意で広がる、というのです。

 そういう感情って、「人の心が狭い広い」とかいう問題ではなく、オスとかメスとか子供がいるいないの生物レベルで決まっているようなのです。

 

 今の日本、ある程度の収入があって結婚して子供ができた人、ある程度の収入がなくて一生独身でいざるを得ないという状況の人、子供がいる家族でも、学費が高くて子供が借金を背負う人、そうでない人、昔よりも国民が分断化させられている気がします。その責任の大半は政治と経営者によるものだと思います。昔は人口のほとんどが結婚して子供を産んで「一億総中流」といっていたものが、今は男性は四人に一人が生涯未婚、女性の六人に一人が生涯未婚と言われているし、これが改善される見込みもありません。

 「子育て支援」の政策は、ある程度の収入があって子供が産めて、という人しか相手にしていないので、「子供の声は騒音ではない」とか「子連れなら博物館などに優先的にはいれる」なんていうのは、独身時代の私、「収入も十分で彼女ができて結婚して子供を持つ」なんてことが夢のまた夢であった時代の私が聞いたら、「うっせーわ、バカ野郎、こっちは独身で子供なんてできないんだよ!」って荒れたと思うのです。いや、政府の政策がここまで子供優先であろうがなかろうが、彼女なし独身の既に三十路を歩むオスとしては荒れざるを得なかったでしょう。

 

 結局、人間は自分のポジションからしか判断できないと思うのです。

 

 政治家はそれを知ってか知らずか、本当は知ってるけど無視してるんだと思いますが相変わらず「子育て支援」の「子供優先」のとやっていると、本当にどんどん国民の分断が進んで、困窮して凶悪犯罪にバイト感覚で参加して取り込まれていくような人が出てきてしまいます。もちろん、そういう犯罪者は圧倒的に「加害者」ではあるものの、それでも社会状況で「そうせざるを得ないように追い込まれた被害者」という面も持っているように思います。そうなると社会不安にもなりやすいし、それを分かっていて放置してきたというかむしろそうなるように仕向けてきた人たち、政治家達、経営者たちの責任は大きいぞ、と思うのです。

 結局、「子育て支援」も勝ち組の政治家達がそのポジションから判断してるからそうなるのでしょう。そこにいればそこからの目でしか見えないから。