(「狂犬ピットブルに襲われた直後の病院でのビーグル犬まろさんオス8歳)

 

 長崎の被爆者団体が作る「核兵器禁止条約の会・長崎」が長崎市の平和祈念像前で集会を開き、2年前に発効した核兵器禁止条約(核禁条約)を世界に広めるステップアップの年にしよう、と誓ったそうです。

 こうやって誓われても、ウクライナ侵攻でロシアが核兵器使用で恫喝していることには何も影響ありません。この条約を核兵器保有国が批准する動きもありません。

 「核兵器禁止条約の会・長崎」の代表の田中重光さんという方は、「日本は条約を批准すべき、政府が敵国への反撃能力の保有を明記した安保関連3文書を閣議決定したのは戦争の道への岐路に立っている」と言っていたそうですが。

 

(陽気なビーグル犬まろさんオス、当時1歳)

 

 無駄なこと、単なる自己満足はやめたらどうか、と思います。

 

 このブログの一番上にある写真は、近所の狂犬ピットブルに襲われた直後のビーグル犬まろさんの怪我の状況を写したものです。対処が遅ければまろさんは確実に咬み殺されていたでしょう。まろさんは、普段通りの散歩道を呑気に散歩していただけです。そこに門を開けて放し飼いになっていた凶暴なピットブル2頭が急に咬みついて襲い掛かってきたわけで。別に、まろさんはピットブルたちに喧嘩を売ったわけでも何でもありません。なんの非もなかったのです。でも、襲われました。ピットブルにとっては「たやすいなぶり殺し相手」だと見えたのでしょう。(飼い主は「犬の喧嘩」で済まそうとしても、私も怪我を負い、司法の判断では相手側飼い主の主張する「単なる犬の喧嘩」は一蹴されました。)今の世界情勢では核兵器で恫喝するロシアはピットブルと同じです。

 

 こういう場合、後続の事件を防ぐには、お散歩だったら「その家の前を通らない」という選択肢もあり、「何らかの武器を散歩時に携行していく」という選択肢もあるのですが、前者の方が穏当なので今のところ、前者を選んでいます。ただし後者の、たとえばスタンガンとか、銃刀法違反にならない程度のナイフとか、唐辛子や和辛子(狂犬の鼻や目に塗り付けるために)とかを散歩時に常に携行しようかと真剣に考えたこともあります。

 

 一方、19日木曜日に起きた、狛江市で90歳の女性が強盗に入られ、全身殴打で殺害された事件も、12月の、中野区で複数の男が民家に押し入り40歳代男性から現金3000万円を奪って逃げたりした事件も、その他関東近県でここ最近、同じ犯人とみられる強盗や窃盗が相次いでいたようなのです。で、これって、「無防備だったら、犯罪被害が防げた」というものなのでしょうか?「うちは犯罪者に対して無抵抗を貫き、やられるがままになりますよ」ということを公に表明すれば、犯罪者は狙わないものでしょうか?

 逆でしょうね。

 押し入った先が金属バットでも木刀でも武道でも刃物でも薬品でも鈍器でもなんでも持ち出して反撃するかもしれない、犯人たちの中で怪我人や死人が出る可能性がある、となれば犯人たちも慎重になるでしょう。

 ロシアみたいな国は、基本的にこの強盗の論理に従っているとしか思えません。

 「抵抗が少なそうだから、リスクと報酬を秤にかけて押し入る」というものでしょう。

 

 「平和を訴える」という人たち、気持ちはわかるのですが、余りにもお花畑なのではないかと。もっと現実を見て、頭を働かせてほしいと思うのです。

 誰も戦争になって欲しいと思っていない、というと言い過ぎで、ある種の、戦争をビジネスにする人たちは戦争を起こしたがっている面も、もしかしたらあるかもしれませんが、その他の関係ない人には普通に、「絶対に戦争を起こして欲しくない」なのです。

 その方法として「『侵攻してきたら反撃する』という能力を持ち、そのことを示す」ということが「戦争への道を歩んでいる」とは言わないのですが、この種の人たちは「反撃能力を持たずに防衛能力も持たなければ、どこの国も攻めてこない」とか言い出すのです。「これは、どこかの攻めてくる国からの世論工作の一環?」と疑いたくなるときがあります。

 第二次世界大戦のときに、日本はソ連と「日ソ中立条約」を結んでいたにもかかわらず、日本が敗色濃厚になったらソ連が一方的に破棄、勝手に攻め込んで多くの日本人を殺したりシベリアに連行したりした、そこで多くの人が亡くなったという歴史はこの方達には全く響いていないのかな、と疑問に思うのです。