(「僕はいつも自然体。大げさに喜ぶけど演技じゃない」とビーグル犬まろさんオス8歳)

 

 10月18日からTBS系列で「君の花になる」というドラマが始まって、主演の本田翼さんの演技が下手なので「#本田翼の演技」が10月下旬にはトレンド入りしていたそうです。

 ちなみにこのドラマ、本田翼さん演じる元高校の先生が芸能事務所の寮母になって若いボーイズグループの8LOOM(ブルーム)を支えて頑張るというドラマです。

 8LOOMはこれまで鳴かず飛ばずで売れなかったので芸能事務所からは「半年後にはクビ、でも半年後までに1位をとればクビ撤回の余地あり」と言われている崖っぷちグループで、本田さん演じる寮母とともに仲間同士ぶつかり合い助け合いながら目標に向かって前進していくというドラマです。

 

 本田翼さんはこれまでも演技下手を指摘されることが多かった女優さんだと思うのですが、今回また演技が叩かれています。のみならず、「演技下手との評判に心が折れて女優引退か」なんて噂も流されているようで。

 

 酷い話です。

 

 私には本田さんの演技が酷いとか下手だとか全く思えないのです。いや、別に私が本田翼さんのファンであるとかそういうレベルの話ではなく、別に棒だの不自然だの演技下手だのというのが、幾つかのドラマを見てきた限りではまったく思えないという単純なことです。

 本田さんのドラマで一番印象深かったのは2015年に福士蒼汰さんと共演された「恋仲」で、あのドラマは主題歌の家入レオさんの「君がくれた夏」とともにとても印象深いものでした。我が家のビーグル犬まろさんの故郷が栃木のブリーダーの方のところで、そのドラマのロケ地に栃木の町が沢山使われていたので、自分の個人的なまろさんとその故郷への思いとドラマのストーリーやヒロインへの胸キュンが合体しているという面も少しはあるにせよ、しかしそれでも話に感情移入できなければ「つまらない」と記憶にも残らなかったでしょう。

 

 本田さんに限らず、演技が下手だの棒演技だの、このSNSの時代にいいように叩く人はうじゃうじゃ湧いてくるのですが、そもそも私は思うのです、「演技が上手い」とは何なのか?

 

 一口に「演技」と言っても「人に見せる演技」と「人に見せない演技」と「人に見せないように見えて、その実、ちゃんと見せる演技」と少なくとも3種類あるように私には思えます。私は演技論の専門家でも何でもないですが常日頃から思うことを述べます。

 

 「人に見せる演技」とは、歌舞伎や狂言みたいな伝統芸能で少々大げさでも舞台の上で「この役はこういう気持ちだ」みたいなことをあからさまに表現する演技です。だから見ている人は分かりやすい。家庭の中では、たとえば母親が小さな子供に大げさに「ママは怒ってるんだぞー」とか「ママ悲しいな」とかやって見せるあれ。

 ドラマでは例えば「半沢直樹」で香川照之さん演じる大和田常務が屈辱にまみれながらも膝を屈して土下座する場面。あれは確かに名場面、ではある、、、けれども、あれって「演技が上手い」なのでしょうか?ああいうのを見て「香川は演技ヘタ」とは記憶にある限りでは全く言われませんでした。あれを見て「さすが香川」と視聴者は湧きましたが、大和田常務のようないささか感情表現過多のような人は、そんなに世の中にいるものでしょうか。香川さんが見得を切る歌舞伎役者なのと無関係だとは私には思えないのです。

 

 「人に見せない演技」は、舞台の人でも映像の人でもない私たちは比較的よくやるやつで、心の中の動揺を他人に見破られないようにするとかのことです。たとえば、試験で良い点だった時、周囲の目を気にして満点なのに「いや全然ダメでしたよ」みたいな無表情に取り繕おうとしたり、もうプロポーズで胸ドキドキでも気の小さい奴だと思われないようにあくまで自然を装うようにつとめたり、相手に振られて胸が張り裂けそうでも必死に無表情にその場を取り繕ってみたり、家族に隠しているワルいことがバレそうになってビクビクしている状態でも、家族から話しかけられたときに平常心のふりをしてみたり、何かの賞レースの表彰で自分が呼ばれるのではないかと期待一杯なのにまるで自分はそんなこと期待していないんですよ、みたいなふりしてみたり。

 上の例は極端であっても、人と言うもの、心の中がそのまま外に出す人の方がむしろ稀なのではと思います。どこかしらで無意識的にでも感情を隠しがちになるので、日常生活ではよほど親しい間柄とか家族とかで喜怒哀楽をそのまま表しても許容されるのでなければ、そのままダダ洩れの人は「天然」とか言われてしまいますね。

 

 「人に見せないように見えて、その実、見せる演技」、これが本来のドラマや映画で最も不自然でなく見える、「自然体に見える」演技だと思うのです。

 以前、何かのバラエティの番組でバイプレーヤーの方が「本当は、自然な状況であれば平板なのに、いまどきのドラマで求められるのはわざわざ大げさにした芝居であって、本当はいつもとても不自然に思っている」と言われて、その場で両方の演技をしてみせていらっしゃいました。

 これ、私も非常によく分かるのです。たとえば刑事ものでベテラン刑事が「どこどこで殺しがあった」、という電話を受けるときに、自然な状況であればベテラン刑事なのだからいちいち動揺して声を抑揚をつけて大げさに「何!○○で殺しだって!よし!わかった!直ぐいく!」なんて眉毛を上げ表情豊かに言わずに、淡々と「了解。そちらの状況はどうだ。直ぐいく」と言い、少し眉を動かす程度だろうと思うのですが、ドラマでは絶対的にベテランでも大げさに騒がせるようなのです。その方が分かりやすいからでしょうか。

 リアリズムを追求すればそんなに表情豊かでもなく大げさに声を荒げることもない。でも、それだとお年寄りも子供も見ているので「分かりにくい」。だから演技が(本当は)不自然に大げさになるのだけれど、本来は「名演」とは、名優とは、そんな感情の機微をほんの少しの表情変化で表すことができるものだったのではないかと思うのです。

 

 本田さんの「演技下手」を叩く人たちは、演技のことを本当に考えたことがあるのか、疑問に思うのです。子供や年寄りでも分かりやすい大げさな演技に慣れ過ぎれば自然体なのは「棒」と見えるかもしれないな、と思います。本田さんの演技が自然体なのか、単に棒なのか私が言うのはおこがましいですが、少なくとも本田さんの演技の場合は私には「まあそういう人もいるよな、多いよな」としか思えない、つまりリアリティをもって受け止めてしまえるのです。世の中、「何考えてるのかわかんない」って表情も感情も読み取りにくい人もたくさんいるし、そんなにいつも喋るときに抑揚をたっぷりつけて感情をこめて話す人なんているのかいな、とも思うのです。岸田首相がいい例です。あの方、言うことがどうもウソ臭く感じられてしまう。話すことが他人事のように見えてしまう。なぜなら岸田さんは会見で「原稿棒読み」みたいに平板に言ってしまうことが目立ってしまうからです。で、重要なことは、確かに原稿棒読みでなく抑揚をつけて芝居がかった言い方をする人は世の中に沢山いるのだけれど、その一方で、通常は原稿棒読みみたいに抑揚をつけないで言う人だって、沢山いるということです。むしろ抑揚をつけすぎて芝居がかって何かを言う人が身近にいたら、やはりそれはそれで「コイツ信用できるのか?」って気持ちになる人だって大勢いるのではないでしょうか。というかむしろそっちの方が多数派なのでは、とも思います。

 

 SNSの時代だからって、よく考えもせずなんでもかんでも他人の尻馬に乗って他人を非難するような叩くような「その他大勢」になる人が多いのは止めようもないですが、あまりネガティブなことをつぶやいて、人をつぶしてほしくないな、と思うのです。私は女優としては特に白石聖さんや永野芽郁さん、稲森いずみさん、奈月セナさんに注目しています。でも本田さんも悪評にめげずに今後も頑張って欲しいものなのです。今は多様性diversityの時代ですし、色々な人がいて欲しい。