(「食べ物は何でも好きですよ」とビーグル犬まろさんオス8歳)

 

 私が生まれたのは1950年代の終わりころなのですが、「世界食糧デー」にちなんで昔と今の食べ物の違いについて考えてみます。

 

1.フルーツ

 まず、随分変わったなと思うのが「フルーツ」です。昔はリンゴ、バナナ、スイカ、イチゴ、ミカン、ネーブルオレンジ、ブドウ、梨、柿等、算数の教科書にあるようなフルーツしか目にしませんでした。

 それが今やキーウィフルーツも、ドラゴンフルーツも、アボカドも、マンゴーも、グレープフルーツも、パパイヤも、時にはチェリモヤも、普通に近所のスーパーマーケットや農協の直売施設で売られるようになりました。ブドウなんかだと昔は紫の小粒のデラウェア一択でしたが今はシャインマスカットだの美味しそうな奴が普通に売られています。梨も昔は長十郎梨か二十世紀梨かなんて選択肢だったのが幸水だ豊水だ菊水だとか色々な種類が売られています。イチゴも昔は小粒で酸っぱいのでイチゴを潰して砂糖をかけたものが定番の食べ方だったのですが、今では大粒で甘くてそのまま食べるのがデフォルトになっりました。リンゴも昔は紅玉(こうぎょく)か国光(こっこう)か印度かみたいだったのが、ふじは当たり前、秋映(あきばえ)、ジョナゴールド、王林、千秋(せんしゅう)等、随分と品種が増えました。で、増えただけでなく美味しい。

 「アボカド」という単語を最初に見たのは作曲家(「ぞうさん」の...)でエッセイストの團伊玖磨さんが書かれた「パイプのけむり」というエッセイのシリーズの一つだった気がするし昔は「森のバター」とか言われていました。キーウィフルーツなんて雑誌で見かけた謎の形状の食べ物でした。グレープフルーツは輸入自由化で反対者が大騒ぎだった記憶があります。あれからもう51年。ドラゴンフルーツは沖縄で栽培していたのを食べたのが最初だった気がします。

 果物で知る時代の変化です。

 

2.イタリア料理

 昔からあるイタリア料理っぽいものといったらナポリタンですが、厳密に言うとイタリア料理でもないし、ケチャップ味のパスタはグズグズに茹でて腰の無いのが当たり前で芯が少し残るアルデンテなんて昔はありませんでした。あとはミートソースはありました。

 それがいつの間にやらバブル景気の頃だったかイタ飯ブームで普通に「イタリア料理というものはこういうのです」って紹介されて、いつの間にかサイゼリヤ(サイゼリ「ア」ではないです)が色々なところに広がって、ペペロンチーノだのもっと凝ったパスタも薄めのピッツァもまったく普通の料理になりました。そう言えば昔風の言い方だと「スパゲティも薄めのピザも」ですね。そういえばオリーブオイルも昔は出回ってなかったと思います。

 

3.ラーメン

 少なくとも私の生活範囲ではラーメンと言ったら中くらいから太めの面を茹でてナルトとメンマとチャーシュー一切れと、場合によってはゆで卵半分にもやしくらいがのっているような「ラーメン」しかありませんでした。

 それがいつの頃からか九州のとんこつラーメンだとかのこってりしたものがポピュラーなラーメンとしての人気を得、喜多方だのその他の地方発のも出店してきて、種類が随分と増えました。やたらに大盛りのラーメン店も人気だそうで。

 インスタントラーメンだって、昔は油で揚げて縮れているもの一択だったのが、途中から「ノンフライ麺」だのって開発されて茹でたときにより「本物」に近い食感が追及されたものも出回るようになりました。私は一時、生めん風のものの方が良いなと思った時期もありましたが、この頃は昔風の「サッポロ一番」みたいな奴の美味しさを見直しているところです。

 カップヌードルが出ると聞いた時は「○○ヌード〇」なので変な想像をしたこともありました。いやあれは全国の男子で私だけではないはずだ。「なんだ、カップ入りラーメンならそう言ってくれよ」って思ったのって。

 

4.お米

 昔はお米は「お米屋さんが配達してくれるもの」だったのですが、いつの間にか自分で買うようになりました。制度的には1981年までは米穀配給通帳というのに基づいて米の配給を受けている、という形式だったのです(1942年の戦時中に米の配給制度が始まりました)。昔は「自主流通米」なんて言う言葉もたびたび聞いたものでしたが、今は聞かなくなりました。

 なんだかんだ言って、私が小さかった頃は戦争の影響がまだ残っていたのだと思います。

 お米ではないけれど、小さい頃に母がたびたび作ったものに「すいとん」がありました。小麦粉を練って、しょうゆを薄めたような煮立ったまずい汁の中にその小麦粉の塊を落として火を通しただけのもので、美味しくもなんともなかったのですが、面倒くさいのか安上がりなのか、子供の頃には度々食べさせられました。文句を言うと「食べ物に文句を言う子は出世できない」とか言って押さえつけたのですが、親には一時的にお金をけちるより貧困な食事をさせて発育を悪くする方がその後の人生にどれだけの悪影響を及ぼすのか分かって欲しかったものです。

 

5.野菜

 野菜の種類は昔はキャベツ、ホウレンソウ、ピーマン、ニンジンとか限られたものでしたが、いつの頃からか空心菜とかロマネスコ(つい「フラクタル」と言ってしまいます)とか、甘みの強いトマトとか、菜の花とか、ルバーブとか、ズッキーニとか、水ナスとかみたいな珍しいナス、コリンキーとか、サツマイモも安納芋とか、バジルとか、つるむらさきとか、モロヘイヤとか、ヒラタケとか香菜とか、そういった野菜は昔は出回っていなかったです。今は、そういうものが出回るようになったので、なんとも料理にバリエーションが出たものだと思います。

 

6.酒

 子供の頃には男の子は酒の蓋を集めて勝負して遊ぶみたいなのがあったのですが、銘柄が月桂冠とか黄桜とか全国的に名の売れた銘柄ばかりで「地酒」の蓋というのはなかなかお目にかかることはありませんでした。これも私が大人になってずっとたってからのバブルの頃以降に地酒にお目にかかっるようになったのでした。

 

7.すき焼き・ビフカツ

 子供の頃に食べたすき焼きは、豚肉を使ったものでした。我が家ですき焼きに牛肉を使うようになったのは私が大人になってから以降のことだと思います。これは経済の問題なのか親の出身地の問題なのか知りません。関西の方だとすき焼きに牛肉は当たり前ですが。同じように、私は首都圏出身ですが大学で京都に住む前は「ビフカツ」というものを食べたことがありませんでした。それで、学食の薄い牛肉のビフカツも感激しておいしいおいしいと食べていました。この頃になって、、、といっても何年も経ってるとは思いますが、首都圏の方でもビフカツとか牛カツとかいうものを出すレストランが増えたように思います。

 

8.パン

 子供の頃は、デニッシュと言われるパンはなかったと思います。アンパン、ジャムパン、クリームパンとかコッペパンになにか挟むとかばかりでした。それでなければ食パン。「アンパンマン」の世界です。

 デニッシュと言われるような、少し上質な感じの菓子パンが出回ったのはこれも私が大人になって以降のことだったと思います。そうは言うものの、大学院時代は駒塲野公園近くの名前は忘れたけれども昔ながらのコッペパンに具を挟んだパン屋のパンが懐かしくてよく食べたものでした。

 

 というわけで、他にもいろいろあるとは思いますが、昔食べていたものと今とでは結構違うものだと思うもので直ぐに思いつくものを挙げました。

 ウクライナとロシアとNATOとアメリカ、台湾と中国とアメリカ、北朝鮮と韓国とアメリカ、とかそのせいで物価が上がったりまあ色々と難しい世の中で、もしかしたら「昨日食べていたものが、海外事情で輸入できない」「円安で食料の値段が高くなって輸入しても売れないから輸入しない」とか色々な事情で食べられなくなる世の中がもうそこに来ているような不安を感じますが、少なくとも飲み食いできるうちは楽しんで飲み食いしたいものです。