(「私はいつも三毛の毛皮を着てるしかないんですよ、暑いなあ」とビーグル犬まろさんオス8歳)

 

 私の祖父母がまだ生きている頃、私が小学生の頃ですから50数年前のことです。

 当時、祖母はせいぜい60代前半でしたが、既に祖父とその息子である長男(つまり私の伯父)は亡くなっていたので、祖母と長男の嫁とその子供たち、つまり私より少し上の年齢の男ばかりの3人兄弟で、田舎の家に暮らしていました。

 母屋の前に離れがあり、離れには「大」の方のトイレがあり、「小」は母屋の外の玄関の横にある小便を溜めとくところに。風呂は五右衛門風呂で、大きな釜に簀の子を沈めて入るようなものが玄関の横にありました。食事のためには土間にある竈(かまど)で火おこしをし薪をくべ、大きな釜で炊く、そんな田舎でした。私も母のお里帰りでその家に滞在中に何度か火おこしを受け持った記憶があります。

 

 そんな田舎の農家のことです。

 祖母は私たちが母のお里帰りで行くと、結構な確率で上半身素っ裸でいました。暑いから。下はステテコっぽいのはいて、まるで昔のプロレスラーのアブドラ・ザ・ブッチャーみたいなスタイルで上半身裸で団扇をあおいで「暑い、暑い」と、ピラーッとしたスルメのような胸を当たり前のように出していました。年齢としてはせいぜい60代前半なのに、なんという「恥の感じなさ」だったことか。今なら60代前半の女性が幾ら暑くても夏にそんなかっこうで過ごすなんて考えられないでしょう。そもそも、昔と今では同じ年齢でもなんでこうも老化の具合が違うのでしょう、謎です。

 それはともかく、当時は、そう言えば乗り合いバスとかどこかの人前で乳児が泣いたら若いお母さんが自分の片乳を出して口に含ませて授乳するなんてことも結構ありました。なんという「恥の感じなさ」だったことか。

 いや、そこまで昔でなくても十数年前だったか20年以上前だったか蓼科高原のバラクライングリッシュガーデンで、若いお母さんが庭のベンチで(こっちはさすがに気がひけたのか隠すようにして。よほどの緊急事態だったのでしょうが)乳児に自分の片乳を出して口に含ませていたのを見たときは妻と一緒に「あれは何なんだろうか?」と仰天しました。出して口に含ませた瞬間を見たわけではないのですが、その後の状態を見たということで。もっともこれはものすごい例外ですか。

 

 今はジェンダーレスがああたらこうたらうるさい時代ですが、「だったら、昔のばあちゃん達みたいに、せいぜい60代になったら女性も『男女平等』で上半身裸でいて何も恥を感じないようにするのかい?」と思います。別に婆ちゃんが若い頃でも爺ちゃんから若い頃に女性だからと差別され虐待されてたという感じでもなし、それはそれなりに幸せに暮らしていたのです。で、「暑いから」上半身裸で過ごそうと。誰も年寄りの(とはいえ昔の50-60代だけど)そんなこと気にしないと。

 

 男と女は根本的に違う。

 当たり前のことなのですが、ジェンダーがああたらこうたら言いたがる人達は、都合の良い時に「女だから」と言い出します。

 男女が貧困で結婚できない、男性の稼ぎが低い。稼ぎの低い男性とは結婚したくないと女性は言いたがる。一方、女性の稼ぎが低い、稼ぎの低い女性とは結婚したくない、とはなかなか男性が言い出すことはない。逆に、「自分より収入の高い女性とは付き合えない」という男性も多い。

 学歴も女性は「自分より学歴が下の男性とは結婚したくない」と言い、男性は「学歴について自分がひけ目を感じる女性とは結婚できない」と言う人が結構いるそうです。だから東大女子は在学している間に結婚相手を見つけておかないと結構、一生独身になってしまう確率が高いと言われます。

 

 男女ではそもそもの意識からして違います。その意識を変えるなんらのアクションもせず、ひたすら「これまでは男性社会だった。女性は差別されてきたし、今も差別されてる」とか言い出すのはおかしいのです。そもそも男性並みに世の中で出世したいと思う女性がどれだけいるものでしょう。そうした正確な実態も把握せずに企業などで「女性の管理職・役員比率を○○%に」とか言い出すこともあります。国連関連の機関でも「日本の○○の女性比率は低いのでもっと上げるように」とか言うのですが、なんの実態把握もせずに目標を言うだけなら、バカでもできます。何故、比率が低いのか、本当に低い原因は何かを理解せずに言うだけというのは困りものです。

 

 学校の水泳授業用にジェンダーレス水着というのが出来たそうです。男女兼用。身体を覆い隠す水着。女子は男子みたいに海パン一つでいいわけではないから、男子にも女子みたいに上半身まで覆い隠す水着を着ろと。なぜ、女子も男子みたいに海パン一つでやったらどうだ、という意見にならないか。昔の婆ちゃんなんて、ステテコはいたプロレスラーみたいな格好していたわけで、それに戻ればいいだろうと思いますね。でも戻らない。何故か。

 男と女は根本的に違うから。当たり前です。

 だから、ジェンダーレスだの無理してその滅茶苦茶な主張を広げようとしてほしくないのです。

 

 ジェンダーレス水着について「体形が分かり難くて良い」とか「肌の露出が少なくていい」とか言う人もいるようなのですが、「どうしてそっちの方向に気持ちが言ってしまうかなあ」と思います。体形が分かりにくい方がいいほどにみっともない体形なら、みっともなくない方向に努力すれば良いだけなのでは。今の世の中、極力、努力すること、精進することを否定したい多くの人がいるようでなんだかなあと思います。

 街を歩いていて、この頃は暑いので薄着の人が多いのですが、特にショッピングモールや観光地やその他に行くと若い男性~中年の男性でポッコリお腹が目立つ人が多いです。あれだって、なんで腹をひっこめる努力もせずにだらしなくポッコリお腹になっていて恥ずかしくないのかなあ、と私は思います。子供の体型はあらわになるとみっともない、でもその親世代のみっともないポッコリお腹は許容するのでしょうか。みっともないと思ったらみっともなくない方向に努力すればよいのでは。ダイエットするなり運動してみるなり。隠蔽する方向に走ればそれで良しでしょうか。夏の一時だけやり過ごせばいいって。

 そうかと思えば、精進して体形を美しく仕上げ、体形を隠さず肌を露出してモテたいと思う女性も結構いるわけで。電車の中や色んな場所でそういう人を見るにつけつい見てしまうけれども「ジジイ、この身体、お前に見せたいと思ってるわけじゃなくイケメン限定なんだよ」と言われそうですが、はいすみません、でもつい見てしまうのが男性の性(さが)というわけで。

 

 男と女は根本的に違う。

 俳優や歌手は当たり前だとしても、学者でも演奏家でも政治家でも女性の場合はことさら美人若しくは元美人の方が成功する確率が高いように見えます。だからルッキズム反対、ミスコン反対とか言う人が出てくるのでしょうが、なんだかテレビ番組で妙なコメントをまき散らす学者でも美人だから用いられるので、男性の場合はそこまで容姿にこだわりがないように見えます。そもそもそういうタレントさんを起用するのは男性が多いのでしょうし。

 

 そんな差があるのも、そんなのが世の中の常識であるのも全て無視して、「男女平等」とか「ジェンダーレス」とか、ちゃんちゃらおかしいと思います。男女の意識の根底に「男性が稼がないと。女性にお金の面で楽させないと」という意識がある限り、この低賃金層と高賃金層が分離した世の中では低賃金層の人たちは特に男性はなかなか結婚もできず少子化になっていきます。当たり前。

 ところが政治家はその根本原因よりも「子供が出来たら」前提で「子供が出来た人たちの優遇策」を言うわけだから、少子化がおさまらないわけで。なんだかなあ。