(梅干し。これは美味しい奴)

 

 7月30日の今日は、「梅干しの日」だそうです。和歌山県みなべ町の農家が制定したとのことで、難が去る(730)という語呂合わせだそうで。しかし「農家が制定」って程度でそんなに簡単に「○○の日」が制定されるなんて知りませんでした。

 そこはいわゆる「南高梅」という美味しい梅干しの産地です。和歌山県は全国の梅の約60%を生産しているそうです。うちの近くだと小田原の梅が有名で梅まつりとかも行きますが、スーパーで時々、南高梅の低塩分の梅干しを買ったりもします。

 

 我が家には昔から立派な梅の木が一本あり、季節になると綺麗な花をつけ立派な実がなったものでしたが、母は三河の農家の生まれなのに農産物で何かを作るということがとても下手で、なかなか今食べる南高梅の梅干しのような美味しい梅干しを食べさせてもらえませんでした。

 母が梅と何かの材料から作ったものは梅酒、梅干し、梅ジャム、梅の砂糖漬けでしたが、このうちまあマシなのは梅酒だけで、梅干しと梅ジャム、梅の砂糖漬けに至っては作らない方がマシ、それだから作った本人も持てあましてほぼ食べませんでした。

 

 梅干しについては、南高梅のちょっといい梅干しだと塩分3%とかの低塩分梅干しがあって、なかなかに美味しいのですが、母が作る梅干しは「低塩分が良いのである」という考えから塩分をケチして漬けたものを単純に天日干しするので、塩分が低いとか以前に、単なる「日干しになった梅の皮がからからに種にへばりついている梅干しとは言えない何か」になってしまっていました。そのからからになった梅の皮自体も塩分をケチしすぎるものだから梅干しらしくもない妙な味でした。

 ところが、少々思い込みの激しい母は「塩分が少ないのは健康にいい」とか言って毎年のようにそのような無理な「梅干しもどき」を作ってはどこか台所の奥の方にしまい込んでいきました。50年くらい昔のアメリカのホラー映画、殺人犯がチェーンソーを振り回すあの「悪魔のいけにえ」の家族を思い出すような猟奇的作品を作ってはしまい込むのでした。それで余りにもまずいので「もう捨てよう」と言っても「梅干しは100年保存できるのである」とか言って威張りだして捨てさせないのです。

 

 今、父も母も私たちが買ってくる南高梅の塩分控えめの梅干しは食べますが、自分で作った梅干しには見向きもしません。どこにあるかも知らないでしょう。

 そんな食えない梅干しでも私が子供の頃にはやはり「親のお手伝いをしないといけない」という思いで梅を収穫し、竹のざるに干したり部屋に取り込んだりしたものでした。そうした作業の時に鼻の奥にしみ込んだ梅の良いは記憶に刻み込まれていて、それは子供の頃の思い出にはなっても、実際に「食べて美味しかった」という記憶には1㎜も結びつくことがありませんでした。

 

 梅ジャムも同様で、「砂糖がすくないほど健康的」と思い込んで、色々なメーカーの低糖度のジャムがなぜ低糖度で良いのかを調べることもせず、ただひたすらに梅を長時間砂糖と煮ることを繰り返して、またまた誰も手を出さない代物をつくるのでした。「梅と砂糖であった何か」はまともなジャムになることもままならず、たんなるぐじゃぐじゃの梅と砂糖のゲロみたいなものになったのでした。

 

 孫が生まれてからはそんな怪しげな「梅ジャムもどき」を孫に食べさせていたり炭酸水で割って食べさせたりしていましたが、孫たちも少し知恵がついてくると「ヤベーものを食わせられてるのではないか」と一向に見向きもしなくなりました。それでまたまた大量の誰も食べない、燃料代と原料の砂糖代を多量に消費した「梅ジャムもどき」が冷蔵庫の中のかなりの部分をずっと何年も占拠して、どろどろの何かが冷蔵庫の中に常駐していく、冷蔵庫の床にドロッとしたものが接着剤の役割をしてくっついて離れない、という事態になるのですが、母はそれには目をそらしながら冷蔵庫を開け閉めして、「とにかくもう捨てる」と言うと、「勿体ない、自分が食べる」と意地を張り、決して自分は食べることはないのでした。

 

 梅の砂糖漬けは梅酒のためのホワイトリカーを抜いて少し煮た「梅ジャムもどきに似た何か」で、それも梅酒づくり用の大きな瓶を毎年のように買い込んではその中に保存し、それだけで満足し、決して食べることはない、台所の奥の方、台所のテーブルの下の方、居間の隅っこ、廊下、納戸に置かれて単なるほこりをかぶった不潔な場所ふさぎとなっていくのでした。

 

 子供が出来たときに同居するようになった時に、そうした不潔な「かつて食べ物として多大な材料費と手間と燃料をかけて作られた何か」を捨てようとしたのですが、捨てた庭からまた掘り出して拾ってきてしまい、大げんかになったものでした。

 さすがにその「本物の食べ物ではない何か」を作ることもなくなり、少なくとも我が家からそうしたものが追加されることはなくなりました。

 

 この頃は母がさらに歳をとって認知症が進んだので、見えないところでその「かつて食べ物を志した何か」を捨てて整理していますが、捨てられたことも分からず文句も出なくなりました。家を綺麗にし整理していくのになんでそんなこそこそしなければいけないのかと情けなくなることがあります。