(つつじのイメージです(これは庭のつつじです))
この頃は庭のつつじも大分、咲いてきました。庭の中で一番花が多いのがつつじなので、これからゴールデン・ウィーク過ぎ頃までが1年の内で一番、庭がカラフルになる頃です。
つつじと言えば、子供ができる前、もう20年近く前になりますが、武蔵境に住んでいた頃はゴールデン・ウィークの初日あたりには、とても朝早く起きてクルマで高速道路をとばし、館林ICで降りてつつじが岡公園に向かう、というのが半ば習慣のようになっていた時期もありました。
つつじが岡公園では大きなつつじが群生していて、小高い山には鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞が妻である勾当内侍のために建てた館(現在の群馬県太田市)を建て、そこに植えたとされる巨大な(高さ5mだそうです)つつじ、すなわち勾当内侍遺愛のつつじというものが移植されているのがこの公園のその場所ということだそうです。つつじがそんな何百年も生きているというのがなかなか信じられませんが、つつじにあるまじき巨大さなので、そういう伝説は置いておいてもなかなか見ごたえがあるものでした。
新田義貞と勾当内侍といえば、新田義貞が戦に出なければいけない時期に勾当内侍との別れを惜しんで時機を逸したと、太平記か何か昔に読んだ書物で知った時は、なかなかに親近感を持ったものでした。
そりゃ、奥さんと分かれて戦争だなんてしたくないわな、って。そういうところ、昔の人はやれ刀だの槍だの矢だので戦って、相手を傷つけ殺し合いをして、首をとるだのさらし首にするだのとった首を酒の器にするだの、腹を切って死ぬだの、なにやら昔の人は物騒だなあ、信じられないなあ、といつも思っているのが、「女と離別したくないからいつまでも寝床でグズグズ」とか言われると、なんとまあ、、、と親近感をもってしまうのです。
神奈川県の方だと、新田義貞と言えば七里ヶ浜の磯伝いに兵を渡して海側から鎌倉に攻め込んで幕府を攻め滅ぼした名将、という印象が強いのだけど、そういう面もあったのですよね。
そういえば、足利尊氏だって何やら色々と気弱になったのを弟にはっぱかけられたりとか、兄弟で争ったりとか、まあ鎌倉末期から南北朝の歴史上の人物は、なんとまあ人間臭い人たちが揃っていたものなんだろうな、と思います。
つつじが岡公園に着いておなかがすいたら、極太のうどんやアユの塩焼きを食べるのも習慣のようになっていました。あれがなかなかおいしいんです。アユは特にその近くの城沼でとれたとかそういうのでなく、あの頃食べていたアユはは四万十川のアユだとかいう話でしたが、塩焼きの味がうまくしみ込んでおいしかった。
駐車場に行く途中でもつつじを沢山売っているところのつつじを物色したり、当時はマンション住まいだったのでつつじを植える当てもないので単に見るだけなのですが、そういうものをみたり、お土産物屋のお土産を物色したりするのも楽しみでした。
それが済んだらぶんぶく茶釜で有名な茂林寺にいって巨大な狸のおきものをみたり、茶釜をみたりでなかなか良い時代でした。
子どももまだいなかったので気楽な小旅行でした。もちろん、子供が出来たらそれはそれで良い思い出もできるし、二人だけのときもそれはそれで良かったな、と。
今はコロナでマスクをつけなければいけないとか飲食も気を付けるとか、なかなか面倒な時代ですが、4月10日~5月15日まで、今年も館林市では「つつじまつり」を開催中だそうです。1万株のつつじと言うのはなかなかに見ごたえがありますし、城沼があることで、観光地として素敵さが増していると思います。