(「僕が下を向くのはなにか美味しいものが落ちていないか、何か他の犬の痕跡がないかを調べているのですが、人間たちが下を向くのはちょっと変です」と語るビーグル犬まろさんオス11歳)
中部電力が静岡県の浜岡原発3号機・4号機の再稼働に向けた審査のために、意図的に都合の良いデータを用い、地震の揺れを過小評価したなどという不適切事案があったというニュースはとても驚きました。
「地震なんて滅多に起きない、とりあえずOKに再稼働にさせれば良いのであって、何か事故が起きれば...どうせ東日本大震災みたいなのは滅多に起きないから...『想定外の地震』とでも言っておけば良い」とでも考えたのでしょうか。
私は理系の人間ですが、理系の人間と言うのは普通は
1.間違ったことは間違ったことと認める
2.都合の良いデータだけ使うなんてことはなく、都合の悪いデータも除外しない
3.真理に正直である
こういうものだと思うのです。だから不器用で、たとえばこと異性関係になると言わずもがなのことを正直に言ってしまったりして異性に嫌われるとか、色々と問題を起こすもので。そういう自覚がある人は「私は発達障害ADHDです」と最初から言って煙幕を張るとかしたりします。東大生の一定数は「自分は発達障害」とか言いたがるそうで、それだけ「思ってもいないことを言う。思ったことを正直に言うのがはばかられる」ことが心の負担というものになるのだよねえと思います。
だから、通常は理系の人と言うのは「正直」、馬鹿正直な人が多い。
で、このバカ正直さがこれまでは功を奏して、「技術立国日本」なんて評判を得たものでした。
ところがいつの頃からか、
「理系の人間は、大学院に行く奴らは、研究者になりたい奴らは、競争させればさせるほど質が向上する筈だから、職も不安定なものにさせれば良い」
なんて無慈悲な考えを推し進めたエラい人がいて、その結果、不正をして研究者として不安定な職で生き残る人が出たりしたわけで、「科学者は正直であれ」という原則が台無しになった気がします。
で、その結果が今回の「地震の揺れの過小評価で審査を通そう」という不正の根底にあるという気がどうしてもしてしまうのです。
今は「中国の研究者の成果が凄いと」世界的にも認められていますが、大昔の日本では「いや、論文が多かろうが奴らは平気でうそをつく」とか、経済のデータにしても「いや、彼らのGDPはそこまでない、嘘ばっかりのデータ」とか言っていたものでした。
しかしそうやって日本人が惰眠をむさぼる間に中国に水をあけられ、結果的にはもはや日本がはるか後塵を拝するようになってしまったみたいです。今は日本が「中国化」してしまったのか?
で、今回の不正。
原発の安全性という、最も重要な問題に関して「不正でも良いから形式だけ整えとけば良い。再稼働優先」という、あまりにも危険な考えの人がいたみたいで。
この不正が「外部通報」で発覚したのがせめてもの慰めで、まだ心ある人は残っていたのだという気にもなります。しかし責任者が不正とは...結局、その「責任者」の地位も不正で得たものなのかな、日本社会は不正をした人が上に行くようになってしまったのかなと、気になってしまいます。
