今朝もテレビをつけるとウクライナとロシアの戦争の場面
無残に破壊されてゆく建物、沢山の避難民たち足のなくなった兵士
毎日毎日幼いころの空襲警報の音を思い出します
私は3歳のころ小樽から疎開した経験を幼いながら記憶をもっています
父は戦争にとられ母は父方の親族を頼り家族を連れて疎開列車に乗りました
私と兄を窓から乗せ、母は「子供がいま~す」と叫びながら座席のひじ掛けの上を這いつくばりながら
たどり着きました 私はその光景をしっかり覚えています 兄は全然記憶にないそうですが・・
今の足寄に知り合いの助けでたどり着きました
父はそれから間もなく復員してきました
小樽のテーラーで職人をしていた父はまもなく足寄にお店を始めました
この疎開の記憶は今もしっかり記憶に刻まれています
ウクライナの人々防空壕の記憶がまざまざと甦るのです
今の平和を何としても守らなくては、それウクライナの人達がなんとかして助かるように
いつも祈っております
81歳の私がテレビとはいえ人々の 逃げ惑う姿を映画のようにテレビで見ている
何もできない自分がもどかしいです
今日はスマホがまたややこしいことになってしまいましたので
戦争の記憶として自分の頭にもしっかり焼き付けようと
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平和な日本がいつまでも續きますように