【From Keio Museums】知性とユーモアを備えて──飯田善國の金属彫刻── | ねぇ、マロン!

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おーい、天国にいる愛犬マロン!聞いてよ。
今日、こんなことがあったよ。
今も、うつ病と闘っているから見守ってね。
私がどんな人生を送ったか、伊知郎、紀理子、優理子が、いつか見てくれる良いな。

曽田歩美様に頼んでマロンの絵を描いていただきました。

【From Keio Museums】知性とユーモアを備えて──飯田善國の金属彫刻──

三田評論ONLINEより

飯田善國《無題》
1978年頃、44.0x62.0x30.0cm、ステンレス、ロープ
慶感義塾大学アート・センター蔵
撮影:村松桂(株式会社カロワークス)

三田キャンパスの図書館入口には大きな金属彫刻がそびえている。図書館を利用したことのある人なら誰もが目にしているはずである。巨大ながら、周囲を映し込むその姿は重く押しつけることなく軽やかで、花弁は強い風に揺れる。ステンレスの大型屋外彫刻を数多く残したことで知られる彫刻家飯田善國(1923-2006)の作品《知識の花弁》(1982)である。飯田は慶應義塾大学在学中に応召して中国大陸で軍隊生活を送った後、復学して現在の文学部美学美術史学専攻を卒業した。旧制中学時代から絵を描いていた飯田は画家を志し、1949年に東京藝術大学に入学して梅原龍三郎教室に学んだ。しかし、ローマに留学してファツィーニに彫刻を学び、彫刻家として歩み始める。10年余りのヨーロッパ滞在から帰国した飯田は旺盛な芸術活動を実践していった。

屋外に展開する彫刻では明快な形態や動き、そして磨き上げの鏡面によって軽やかな印象を与える飯田作品であるが、室内作品ではステンレスのみならず鉛なども用いて金属素材を対比させつつ、着色ロープをそこに施し、独自の論理で色彩と言語を統合した知的な造形を生み出した。この作品もその系列に属するものであるが、小品ゆえに黄色いロープ1本のみが側面端から足下にかかっている。その形態とロープのありようになんとも言えないユーモアが漂う。実は幅のある楕円の部分は土台の溝にそっと置かれていて、手をふれればゆりかごの様に揺れるのである。

2003年から11年にわたり飯田の絵画が『三田評論』の表紙を飾った縁も忘れがたい。飯田は昨年生誕100年を迎えたが、今年「IIDA101」というラベルの下、目黒区美術館・足利市立美術館等ゆかりの美術館でオムニバス的に関連展示が行われている。飯田関係資料を所管するアート・センターでも5月末から「飯田善國──時間の風景」展(5月27日-7月26日)を開催予定である。飯田がプロデューサーとしての手腕も発揮した1970年万博につながる「国際鉄鋼彫刻シンポジウム」関連資料を中心としながら、飯田が尊敬し、私淑した西脇順三郎関連など、慶應義塾との関係についても触れた展示を行う予定である。是非、会場で飯田善國に出会って欲しい。

 

(慶應義塾ミュージアム・コモンズ副機構長/慶應義塾大学アート・センター教授 渡部葉子)

 

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。