【話題の人】 翁 百合:政府税制調査会会長へ就任 | ねぇ、マロン!

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【話題の人】翁 百合:政府税制調査会会長へ就任

三田評論ONLINEより

  • 翁 百合(おきな ゆり)

    政府税制調査会会長、日本総合研究所理事長
    塾員(1982経、84経管研修)。日本銀行を経て日本総合研究所勤務。2018年同理事長。2024年1月政府税制調査会会長に就任。慶應義塾評議員。

  • インタビュアー寺井 公子(てらい きみこ)

    慶應義塾大学経済学部教授

長期的な視点で税を考える

──政府税制調査会会長へのご就任、おめでとうございます。まず、就任された感想をお伺いしたいと思います。

 有り難うございます。税の問題というのは人々の生活に非常に密接に関わる大変重要な問題ですし、それを政府の中で議論する会議というのは極めて大事な場だと思っています。ですから、その取りまとめをしていく会長職は大変重責で、身の引き締まる思いでおります。

──税制調査会というのは与党の中にもあるわけですが、政府税制調査会は、より長期的視点であるべき税の姿を考えるという役割ですね。

 おっしゃる通り、与党税調が基本的に年度ごとの税制改正をどうするかを決めていく一方で、政府税調は中長期の税制のあり方を検討していくという役割分担になっています。長期というのは難しいのですが、例えば人口推計などで日本の将来の姿を見ながら議論することも必要です。現在世代の税とともに、次世代の子どもたち世代の社会を考えていくことは、大変重要な視点だと思っています。

今回、メンバーには女性が4割入っていて多様性に富み、それぞれが素晴らしい専門家の方たちです。学者、医療にかかわる方、企業経営の方など、様々な専門の方々がいらっしゃるので、そういった方々の知見で、ぜひ議論を充実させて、長期の税のあり方を考えていきたいと思っています。

──税というのは国民にとって非常に身近で、しかも負担が身に沁みるものです。時には、増税を言わなければならないこともあるかと思います。

 誰しも税という負担は増えてほしくないですよね。だからすごく難しい議論になります。政治的にも難しい分野だと思っています。一方で私たちの税が公正に社会のために使われているのか、税の負担は公正なのか、ということには関心がある方は多いと思うのです。

そういったことも含めて、私はエコノミストですので、EBPM(Evidence Based Policy Making) を取り入れて、データをしっかり捉えて考えていきたいと思います。

──働き方の多様化にやはり税制が追いついていない部分があるということですか。

 今、フリーランスや副業の増加など働き方が大変多様化しています。この結果、従来の税制では公正でない部分がいろいろと出てきていると思うので、そこの点検から始めなければいけないのではないか、と思っています。

去年の税調の答申には「公正で活力ある社会」を目指すと書いてあるのですね。私はやはり活力のある社会というのはとても大事だと思います。

今、日本経済もようやく30年の停滞の潮目が変わり良くなってきていますし、そこで効果的に果たせる税の役割もあると思っています。どういうインセンティブが活力に結びつくのか。租税特別措置が法人税などにはありますが、本当にそれが効果的にできているのかなどの検証も含めて、議論していくことが大事ではないかと思います。

発信についても、毎回の税調の議論は全部公開されています。加えて、私自身が毎回、税制調査会の後に、記者会見することになっています。そういう機会も生かして、できるだけわかりやすく発信できればと思っています。

ふさわしい人がリーダーに選ばれる時代

──また、今回女性初の政府税制調査会長ということでも話題になっています。でも、私は結果として適任の方が女性だったということだと思っているんです。女性初ということは、ご自身ではどのように受け止めていらっしゃいますか。

 私は若い頃、金融システムを専門に研究をしていましたので、政府の委員でも以前は女性1人ということは多かったのですが、女性を意識することもあまりなかったです。

ただ、私は日本総研という会社の勤め人でもある一方で、家庭生活において買い物に行ったり、子育てにはお金も時間もかかることを実際に体験してきたので、今、こうして税について議論する時に、それが少しは役に立つかなという感じはあります。

──なるほど。やはりふさわしい人が性別にかかわらず選ばれていく社会にだんだんなっていっているのかなと今回の人事で思いました。

 ふさわしいように頑張らないといけませんね(笑)。先日、慶應の後輩の工藤禎子さんが三井住友銀行の副頭取になられたり、弁護士協会の会長も女性になり、世の中がだんだん変わってきているなという嬉しさはありますね。

エコノミストとしての軌跡

──翁さんは、最初は日本銀行に就職されたわけですが、日銀を選ばれた理由は何でしょうか。

 その頃は男女雇用機会均等法施行の直前で、女性が思い切り働けるような職場はあまりなかったのです。そんな職場を探す中で、日本銀行で話を聞いたら非常に仕事が面白そうで、魅力的だなと思ったのです。最初に会った方は人事局の本家正隆さんという慶應ご出身の方でした。今もお付き合いがありますが、何度か面接に行くたびに日銀の仕事について詳しく語ってくださいました。

マクロの経済を見られることも大きな魅力でした。私は塾経済学部では大山道広先生のゼミで国際金融などを勉強しており、広く経済を見られるような職場が良いと思っていたので日銀に決めました。

──男女雇用機会均等法の前ということですが、女性だから大変というようなことはありましたか。

 「結婚したら、どうするの?」と真顔で聞かれました(笑)。「勤め続けるに決まっているのに」と思っているのに、「えっ。結婚しても続けるの?」って。総合職の枠で入ってもそういう感じでした。

当時、大卒総合職の女性を採り始めて、3年目ぐらいだったのですね。京都支店にも勤務したのですが、そこでも「珍しいですね」と言われてラジオに出たり。まだ当時は本当に珍しい感じで受け止められていました。

日本銀行はとても勉強になり楽しかったです。金融機関の毎日の資金繰りをモニターしたり、ヒアリングをしたり、営業局ではマーケットのオペレーションの真ん中で、日々のマーケットを見たり、調査統計局で欧米経済や金融システムを調査したり。それから金融研究所では海外の学者の方も来られていて、今も交流は続いています。

──そうなのですね。その後は日本総研に移られますが、そこでまた、新たに違う道が開けたのでしょうか。

 日本銀行は「調査月報」に自分の書いた論文やレポートが出る場合、クレジットは日本銀行なのですが、それが日本総研では、レポートを自分の名前「翁百合」で出していかなければなりません。

当時は不良債権問題が大変な時期で、金融機関の破綻処理方法も、預金保険機構などセーフティーネットもしっかりしていないことが大きな課題であるというレポートを書きました。アメリカを担当していたので、アメリカの経験やこの分野の研究も紹介していったのです。

そうすると、新聞に取り上げていただいたり、レポートをまとめて書籍にして出したり、自分の責任が重くなり、個人で分析して発信することの重大さに目覚めました。民間のシンクタンクなので、自由な立場で問題意識を持って客観的に分析し、研究を政策提言につなげることにしっかり取り組んでいこう、と意識が変わっていきました。

社会保障の専門家に

──翁さんは金融とともに社会保障についても専門家です。社会保障というテーマに出会われたのは日本総研に移られてからですか。

 そうです。最初は社会保障の中でも金融に近い年金は興味を持って勉強していたのですが、厚生労働省の年金部会に入り、マクロ経済スライド導入の議論に加わりました。また、規制改革会議に入り、当初は金融タスクフォースで、銀行と証券は当時対立していたので、その垣根を少し崩すような議論をしていたのです。医療・介護・保育分野に関心を持ち始めたのは、2010年代に入り、第2次安倍政権で規制改革会議・健康医療ワーキンググループ座長になった時からです。

──今の日本の基礎となるようなところの意思決定に関わってこられた。

 そのような議論に参加する機会をいただいたことは勉強になりました。医療介護分野は「翁さんは規制改革会議が長いから、一番大変な分野をやってくれ」と言われて(笑)。保育は保育園が働く女性に必要なことが生活実感としてあり、使命感を持って取り組みました。医療や介護もこれから大事だと思い、躊躇したのですが、結局お引き受けして勉強を始めました。

──そうすると、もう10年ぐらいでしょうか。

 約10年ですね。医師会の方や厚生労働省の方と、この規制を変えたほうがいいのではないかとディスカッションしました。保険外併用療養費制度とか、オンライン診療など、国民にとって大事だと思うことに国民目線で取り組みました。

重大な病気になって自分がこの薬を試したいと思い、医師も了解していても、例えばアメリカでしかまだ承認されていない時、今までの診療費や検査費が全額自己負担になるのは理不尽ではないかと思いました。安全性を担保しつつ患者の希望を叶えるにはどうするか議論を積み重ね、患者申出療養制度ができたのです。

規制改革会議が終わった後、未来投資会議の構造改革徹底推進会合に入り、そこで医療の改革、医療・介護のデジタル化、マイナンバーと健康保険証の連携、オンライン診療などを議論してきました。続けて全世代型社会保障検討会議や、「選択する未来2.0」懇談会などで、少子化の問題や男女の賃金格差、男性育休の問題などにもかかわり、視野が大きく広がりました。

──本当に途絶えることなく政府の委員をやられてきたのですね。

 最近は、「えっ、翁さんって金融をやっていたのですね」と言われるようになってしまいました。金融のほうにも関心を持ち続けており、今も財務省の中央銀行デジタル通貨の議論にも加わったり研究も続けていますが、今回報道で社会保障の専門家と紹介されたりして、今はそのように見られているのだなと思いました。

──1990年代からは人口構造の転換が大きいわけですが、翁さんはその時々の政策課題の議論の場にいらして、その結果が実際に私たちの生活に非常に影響を及ぼしている。これは率直にすごいと思います。

 いえ、私は何もやっていないのですが、いただいた仕事は子どもたちの世代のためと考えて取り組んでいます。

経済もやはりダイナミズムが大事だと思います。労働市場が最近ようやく少し変わってきましたね。終身雇用は、社会の安定のためにいい面もありますが、一方で雇用が流動化することで、人々がキャリアを自律的に歩めるようになります。環境変化によって産業構造が変わるので、積極的労働市場政策は大事だと思います。

それから、「選択する未来2.0」などで議論して、やはり長時間労働などの働き方が、女性の可能性をすごく狭めていると思うようになりました。

「L字カーブ」(女性の年齢階級別正規雇用比率)と言われていますが、女性は20代後半が正社員のピークで、以降ずっとその比率が下がっていく。でも、女性が年収100万円程度で就業調整をしているのは、もったいないですよね。女性活用のポテンシャルはすごくあると思うので、制度や慣行を変えていけば、もう少し日本もいろいろな可能性があるのではと感じます。

力の源泉となった経済学の学び

──最後に慶應義塾大学時代のことを伺いたいのですが。

 私は父も慶應で、当然のように慶應大学を受けて、進学しました。女子校だったので、もっと広い世界に行き、社会人になって長く働きたいという気持ちがあり、漠然とした感じでしたが経済学部を選んだのです。

ゼミは国際経済の大山道広先生のゼミに入りました。いろいろな方と会って勉強して、多方面に充実した大学生活を送りました。大学時代はテニスや音楽などもやっていました。

──やはり、その頃から国際経済などに関心があったのでしょうか。

 2年生の時のマクロ経済理論の先生が大山先生だったのですが、その説明がわかりやすく面白いと感じました。国際経済には関心があり、ゼミでは私は国際金融のパートに入りました。現実の経済を分析する経済学って面白いなと思いましたね。ゼミは楽しかったです。

あと、当時はそれこそ後に税調会長になられた加藤寛先生がいらっしゃいました。加藤先生の授業は大変面白くて人気がありました。その頃は米価審議会に入っていらして、授業は漫談みたいな感じで始まって、記者にもみくちゃにされて背広が破れたという話をされたり(笑)。

経済学部の女子学生はクラスで4人だったのですね。皆女子学生のノートのコピーで試験を受けて、貸して返ってきた私のノートに、みかんの筋とかが入っていたりして(笑)。

──それから、大学院は経営管理研究科(KBS)に行かれたんですね。

 そうです。当時は厳しい就職環境だったので、もう2年間勉強をと思ってKBSに入ったんですね。

──KBSで学ぶ内容は経済学とはまた違いますよね。

 国際投資や財務の勉強は今も生きていると思いますし、広く企業経営が勉強できたのもよかったと思います。そこで勉強してやはり私はエコノミスト的な仕事でやっていこうと思ったのです。あまり学者向きではないのでは、と考えていました。

実際、日本銀行でも、例えばマーケット、営業局の市場課というのは債券市場や株式市場はどうなのかということが肌感覚でわかる。理論は大事だけれど、現場の感覚も大事という、両面を見られたことが私の特徴だと思います。産業再生機構の仕事をした時も市場の失敗は必ずあることもわかり、現実は経済学の理論通りにいかないことも知りました。

でも、やはり基礎として大山先生のゼミで経済学の理論を学んだことはよかったなと思うのです。自分が物事を見る切り口は経済学だと思います。それを学んだことはすごく大きかったので、今の学生の皆さんもゼミなどで視座を取得し、後は社会人になってから、それを基礎にして新たな学びを足していけばいいと思うのです。社会の見方や視座を大学時代に学ぶことは極めて大きいと思います。

──ぜひ学生に伝えたいです。やはり翁さんのようなリーダーが女子学生にとってロールモデルになるのではと思います。

 私はリーダーになろうと思ってやってきたわけでは全然なく、ただ、1つ1つの仕事を誠実にやろうとしてきただけです。その人による持ち味で、いろいろなリーダーシップがあるのでは、と思います。

──わかりました。最後に、塾の評議員として、慶應義塾の人材育成に望むことは何かありますか。

 今、伊藤公平塾長がいろいろなことにチャレンジされているし、慶應は、医学部も薬学部もあり、私学の総合大学として日本を引っ張っていくリーダーたる存在だと思います。また、慶應は外に出てみるとすごく結束力があり、お互いに助け合います。愛校心が他のどの大学よりも、おそらく強い。

そういう結束力と、先進性を上手く生かして、新しい時代を切り拓いていってほしいと思います。教育面でもどんどん新しい試みをして、有為な人材を輩出していっていただきたいと希望しています。

──本日は貴重なお話を有り難うございました。

 

(2024年3月8日、三田キャンパス内で収録)

 

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。