【特集:エンタメビジネスの未来】 上岡磨奈:「推し活」「オタク」「推し」の現在地 | ねぇ、マロン!

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【特集:エンタメビジネスの未来】上岡磨奈:「推し活」「オタク」「推し」の現在地

三田評論ONLINEより

  • 上岡 磨奈(かみおか まな)

    社会学研究者、慶應義塾大学文学部非常勤講師・塾員

「推し活」という言葉を日常的に耳にするようになったのはいつ頃だっただろうか。2021年には「ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされるほどの市民権を得ていたらしい。「推し活」と名前が付けられたのは2020年代だったとしても、現在この名称で呼ばれている行為、つまり誰かの、または何かのファンとして特定のコンテンツを楽しんだり、味わったり、そこから派生してファン同士の交流を楽しんだり、ということは少なくとも50年以上営まれてきただろう。学術的にもカルチュラル・スタディーズの領域における1970年代のオーディエンス研究に端を発し、90年代のファン(またはファンの集団を意味するファンダム)研究へと紡がれていった蓄積がある。メディア環境の変化などはあれど、「推し活」に類する行為はとくに新しい現象ではない。しかし、「推し活」と名が付いた諸々はこれまでとは異なる潮流をもたらしているようにも感じられる。それは1989年の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件を境に起こったとされる「オタク」バッシングの時代とは明らかに違う、「オタク」イメージの変化によるものでもあるかもしれない。

2024年現在、我々が目にしている「推し活」とは一体なんなのか。推し活をめぐるカルチャーに関連する具体的な事例に触れながら、「推し活」の現在について思案する。

「推し活」ムーブメントを概観する

1990年代後半に使われるようになった「就活」(就職活動)をはじめ、婚活(結婚活動)、朝活(朝の時間帯に活動すること)、終活(人生の終わりを準備する活動)などさまざまな〇〇活がメディアを通じて、日本社会に定着してきた。「推し活」も紛れもなく、この「〇〇活」の波によって誕生した言葉だろう。冒頭でも触れた通り、誰かを、また何かを愛好したり、応援したり、楽しんだりする行為は、とくに目新しいものではない。しかし、好んでいる対象を「推し」と総称し、「推し」に関連する消費行動などを含めて「推す」と言い表すことが一般的になり、「推し活」とパッケージングされたことによってこれまで「推している」という認識のなかった行動も「推し活」とされたり、「推し」がいない人にも「推し活」がしたい、と思わせたりするような影響力を持ったように思う。それは、頻繁に購入するお気に入りのコンビニスイーツを「推し」と言ったり、恋人や友人のように「推し」が欲しいと言ったりする人の言葉に表れている。

もともと「推し」という言葉は特定のジャンルのファンの間で使われているジャーゴンであった。初出には諸説あるが、個人的にこの言葉を知ったのは、1999年頃である。当時、モーニング娘。とハロー!プロジェクト(初期はハロー!)のファンの間で、1番「好き」なメンバーを「一推し」、2番目に好きなメンバーを「二推し」と呼ぶ文化があった。ハロー!プロジェクトに限らず、他の女性アイドルファンの間でも使われていた可能性はあり、またそれ以前のアイドルファン用語が流用されていたのかもしれないが、その後、2005年のAKB48劇場オープンを経て、「推し」という言葉を使っていたアイドルファンがAKB48のファンになることで「推し」はAKB48のファンコミュニティ内でも用いられるようになる。

その後、AKB48のコンテンツやプロダクトで積極的に「推し」という言葉が取り入れられたことをきっかけに、メディアなどでも頻繁に使われるようになり、徐々に一般にも浸透していった。海外のファンも、とくに日本のアイドルやその姉妹グループのファンは特別好きなメンバーに対してOshiという言葉を使っている。例えば、インドネシアのアイドルファンダムでは、Siapa Oshinya?(あなたの推しは誰ですか)というフレーズがファン同士の会話のとっかかりになることも多い。

2019年改訂の『大辞林』第4版には、「推し」は「推すこと。特に、『応援していること』『ファンであること』をいう若者言葉」として定義されている。「推し」以前は、素朴に一番好きな〇〇として話題にあげたり、また〇〇に「ハマってる」(夢中になっている)という言い方が一般的であったように思うが、おそらく「推し」という言葉は使い勝手がいいのだろう。カルチャーによっては「担当」や「贔屓」という言葉も同様に使われているはずだが、現在は「担当」や「贔屓」を説明するために「推し」という言葉を使うことがあるほど、「推し」が包括的な要素を持っている。そのため「応援している」わけでなくとも、「ファン」でなくとも、興味関心がある対象全般に対して粗雑に「推し」という言葉が当てはめられている状態になっている。

「推し活」のエコシステム

2024年2月29日、株式会社サンリオによるスマートフォン向け推し活応援アプリ「おしきゅん」がリリースされた。同アプリは、2019年5月に発売され、その後新商品の発売を重ねてきた「サンリオキャラクターエンジョイアイドルシリーズ」の一環として「アイドルや俳優、キャラクターやコンテンツなどありとあらゆるものを推す全ての人に向けた、ファン活動(推し活)をサポートする」機能を提供する*1

アプリ内には「コミュニティ」という予定共有機能があり、「推し」ごとのコミュニティをユーザーが作成するのだが、各コミュニティのカテゴリは「アイドル」「K - POP」「バンド」「アーティスト」「劇団/ミュージカル」「2.5次元」「俳優」「声優」「アニメ/マンガ/映画」「ゲーム」「キャラクター」「スポーツ」「YouTuber」「Vtuber」「お笑い芸人」「歌い手」「インフルエンサー」「タレント」「その他」と多岐にわたる。「その他」の中には首都高速道路や特定の蕎麦店のコミュニティもつくられているほど、推し活の対象は非常に幅広い。

そして「エンジョイアイドルシリーズ」は開発担当者自身がアイドルファンであり、実際に使いたい商品やサービスを社内で提案しているという。つまり企業側が「推し活」を行うファンとして消費者の「推し活」に積極的に関わるという構造になっている。ファンはすでに消費する側のみではなく、またメディア研究者のヘンリー・ジェンキンズが指摘したような2次創作などの「コンヴァージェンス・カルチャー」のムーブメントでもなく、コンテンツを提供する側としても「推し活」のエコシステムの中に存在している。それはファンによるファンのためのファンの商品や作品、サービスとして「推し活」する側、「オタク」のカルチャーにより近づいていくことで商業的な活性化を狙うのみならず、親近感や安心感を高め、消費者との結びつきを強める動向と言える。そして「推し活」向けの商品やサービスを目にした「推し」を持たない人が「推し活」そのものに興味を抱き、「推し活」がしたい、「推し」が欲しい、という発想に至ることもある。

「オタク」イメージの大きな変化

かつて「推し」を持つ人は「オタク」として、決してポジティブではない視線を向けられてきた。「オタク」であると認識されただけで心ない言葉をかけられる、誹謗中傷やいじめのような暴力行為の対象となることもめずらしくなかった。「オタク」であることは隠すべきこと、恥ずかしいこと、と認識されていた時代が長かったが(個人的には、あくまでも自分に対してと限定するが、今もこの感覚が根強い)、現在の10代や20代前半の世代に授業などを通じて聞いてみると「オタク」に対するイメージはネガティブなものではないそうだ。

国立国語研究所の柏野和佳子が神奈川県の中学校で行った出前授業では、自身が編者を務めた『岩波国語辞典』の第8版(2019年刊行)における「オタク」の語釈について、第7版(2011年刊行)からの変化を取り上げたという。「同語の第7版での語釈は「自分の狭い嗜好的趣味の世界に閉じこもり、世間とはつき合いたがらない(暗い感じの)者。」とネガティブな意味が顕著です。それを読み上げると、生徒のみなさんから「えー」と、意外とも失望ともつかない声が上がりました。それに対して第8版の語釈は、「特定の趣味的分野を深く愛好し、人並み以上にその分野の知識や物品を保有・収集したり、行動したりする者。」と現代的でポジティブな意味に変更されており、生徒のみなさんは「それそれ!」と言わんばかりに一斉に賛同を表す声を出し、場が盛り上がりました」*2

ちなみに「推し活」という表現がメディアで多用される一方、実際には「推し活」を「オタ活」(オタク活動)や「オタク」と呼ぶことも少なくない。元は「お宅」と相手を呼びかける2人称であったはずが、「オタクする」「オタクしたい」と動詞化もしている。一例だが、ライブイベントやコンサートに行くこと、グッズを購入するために出かけること、友人同士で集まり映像ソフトなどを鑑賞することなどが「オタ活」や「オタクする」ことに該当する。

また「オタク」であることは、特定の関心事を最優先するため、時間や金銭をその他の日常生活には使わないとも考えられてきたが、例えば「オタク」(=「推し活」)のために新しい服を買う、美容院に行くなどの行動も「オタク」(=ファン)の間では珍しくなくなっている。推すことについて検討を重ねる筒井晴香は、近年、とくに女性のオタクについて「オタク的趣味(アニメ・マンガ・ゲームやアイドル)」と美容や化粧品などの趣味がわりと積極的に結びつけて語られるようになったことから、メイクやファッションのためのアイテムが「推す」ための道具になり、またそれら自体が推される対象にもなっていることを指摘している(そして筒井は、オタクとしてあることと他者からの視線やコミュニケーションの中にあるジレンマについて議論を展開する)*3

「オタク」イメージの変化が如実である一方、筆者には、「オタク」という言葉が自身の趣味嗜好とともにある人にとって、自虐的な表現であるということも含めてマイナスの意味を持っていた、また実際に「自分の狭い嗜好的趣味の世界に閉じこもり、世間とはつき合いたがらない」性質をたしかに持っていた「オタク」という表現が、「推し活」パッケージの中でただオープンにポジティブに受けとめられていくことへの違和感もある。

「推し」という言葉が消し去るもの

前述のとおり、「推し」という言葉も、近年非常に一般的な語彙として普及している。しかし「推し」が意味するところはあまり吟味されることがないまま濫用され、「推し活」文化だけがあらゆる方向に拡散されているのが現状ではないだろうか。コンビニスイーツから身近な友人までその対象は幅広く、好ましいという含意があればまずは「推し」という表現に誘導される傾向がある。

興味関心を持っているとか、好きであるとか、夢中になっている状態について、そこで個々人が抱えている感情は実際には非常に多様である。例えばアイドルに限って言っても、ステージや音楽作品、映像作品を鑑賞することによって満足感を得られる状態について単純に「応援している」かどうかは人それぞれであるし、日常生活の中心に対象となるコンテンツがあってほとんど生活の一部のような愛着を感じている人にとって、「ファン」という言葉は馴染まない可能性がある。「推し」といってもその意味合いはケースによって異なり、そもそも「推し」という言葉を避ける場面も少なくない。特定のファンの間だけで使われていた当時は共有されていたはずの細かいニュアンスなどは、一般化するにしたがって失われ、そうした人によって異なる思いを現在の「推し」という言葉は、些か乱暴にまとめてしまっているきらいがある。

「推す」には、推挙する、推薦するという意味合いが読み取れるものの、それも必ずしもどのような状況にも馴染むわけではない。自分が好きなことと誰かに薦めることはつねに同時に起こらないだろう。しかし、そうした機微を伝えることなく消し去ってしまうことによって、現在「推し活」と呼ばれる行為において何が行われているのか、何が起こっているのか、は若干見えにくくされている。

また「推す」ことが単に正当化される不安もある。推挙するという意味で言えば、もちろん好きなものを誰かに薦めることはあるが、好きであることで対象に成り代わって過剰に宣伝したり、関心を持った人に感謝を伝えたりする行為について冷静に考えると、かえって対象の存在を蔑ろにしているのではないかと感じることがある。また献身的な「推し活」は美談にもなりやすいが、果たしてそこに取りこぼしている視点はないだろうか。何かに対して興味関心を持っていることで起こしてしまう行動の中には、倫理的な葛藤を呼び起こすものもある。しかし「推し」だから、「推し活」だから、と留保をつけずに行ってしまう。こうした「推す」うえで検討すべき論点はいくつもあるものの、なかなか立ち止まることがないのはブーム化の課題だろうか*4

筆者はかつて俳優やアイドルとして活動していた経験があり、また30年来の「オタク」でもある。パフォーマーとして、クリエイターとして、またファンとして、「推し活」と呼ばれるようになった諸々のカルチャーの中に身を置いてきた者として、現在は何かと「推し活」、「オタク」の明るい面だけが強調されがちなのではないかという危惧はある。「生き甲斐」、「命の源」などの言葉で、個人にとって「推し」と呼ばれる存在が生活に不可欠であると声高に語られる陰で、詐欺行為やハラスメント、違法転売、多額の支払いに伴う借金や強要される売春行為など多くの社会問題も浮かび上がっている。なかなか目が向けられないが、推される側の精神的な重圧もある。

安易に表裏をひとまとめにして批判するのではなく、耳あたりのいい表現の中で何が起きているのかを注視していく必要がある。「推される」ことは、エンターテインメントビジネスでの商業的な成功において必須であるが、それは言うまでもなく「推し活」ブームとは関係なく、構造上当然だ。ブームが呼び水ともなっているからこそ、つぶさに実情を見極め、「推し活」「オタク」「推し」が意味するものを課題も含めて検討していきたい。

 

〈注〉

*1 サンリオ、2024年2月29日、「業界初!推し活応援アプリ「おしきゅん」2/29(木)待望のリリース!」 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000559.000037629.html

*2 ことば研究館、2023年8月7日更新、「出前授業:捜真女学校(中学部)」 https://kotobaken.jp/event_reports/news-230807-01/

*3 筒井晴香、2020、「孤独にあること、痛くあること――「推す」という生き様」、『ユリイカ』2020年9月号「特集=女オタクの現在──推しとわたし」(青土社)

*4 「推す」ことについての倫理的な課題については、筒井晴香「「推す」ことの倫理を考えるために」、『アイドルについて葛藤しながら考えてみた──ジェンダー/パーソナリティ/〈推し〉』(青土社、2022)。

 

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。2024年4月号