【三人閑談】 『源氏物語』の世界 | ねぇ、マロン!

ねぇ、マロン!

おーい、天国にいる愛犬マロン!聞いてよ。
今日、こんなことがあったよ。
今も、うつ病と闘っているから見守ってね。
私がどんな人生を送ったか、伊知郎、紀理子、優理子が、いつか見てくれる良いな。

曽田歩美様に頼んでマロンの絵を描いていただきました。

【三人閑談】『源氏物語』の世界

三田評論ONLINEより

  • 西村 和子(にしむら かずこ)

    俳人。
    1970年慶應義塾大学文学部国文学専攻卒業。塾在学中から清崎敏郎に師事。96年行方克巳と「知音」創刊、代表。俳人協会副会長。句集に「心音」等。著書に『季語で読む源氏物語』がある。

  • 林 望(はやし のぞむ)

    作家、書誌学者。
    1972年慶應義塾大学文学部国文学専攻卒業。77年同大学院文学研究科後期博士課程単位取得退学。専門は日本書誌学、国文学。『謹訳 源氏物語 一~十』(2010~2013)で毎日出版文化賞特別賞。

  • 毬矢 まりえ(まりや まりえ)

    俳人・評論家。
    1987年慶應義塾大学文学部仏文学専攻卒業。同大学院文学研究科前期博士課程中退。俳人協会会員。国際俳句交流協会実行委員。『A・ウェイリー版源氏物語 1~4』(2017~19)の現代日本語訳でドナルド・キーン特別賞。

『源氏』は読まれない?

 何しろNHKが、紫式部を大河ドラマにするという事態が突発しまして、世の中を挙げて「源氏、源氏」になってきました。

でも、僕が常に反発を感じるのは、「『源氏物語』は日本文学史最大のベストセラー」というような言い方。それは違います。

西村 読み通した人、少ないですものね(笑)。

 「どの時代でも、源氏をちゃんと読んだ人の数は限りなくゼロに近い」と言っているんです。すると、皆が驚くんですけど、実際そうなんですね。

『源氏物語』が貴族などではなく普通の人たちの読書の中に入ってきたのは江戸時代です。それも江戸の註釈無しの古活字版なんかでは読めないので、結局、北村季吟(きぎん)の『湖月抄』が出るまでは、『源氏物語』は誰にとっても名前だけは知っていて、読んだことがないという作品だった。

同じ平安朝の文学でも『伊勢物語』などの短いものとは全然違う。とにかく膨大な量で、しかも非常に複雑に入り組んでいて、その上、部分、部分は極めて精緻に書かれている。

これは世界文学史の中の、もう奇跡と言うべきもので、少なくとも世界中探しても同時代に比類するものが全くなかったんですね。

毬矢 おっしゃる通り、『源氏物語』は「世界文学」として広く知られていると思います。私が最初に読んだのは、母の本棚にあった『谷崎源氏』で、ついでアメリカ留学後に『円地源氏』を読んだんです。それが素晴らしくて。そして大学院の時にアーサー・ウェイリーのThe Tale of Genji(1925~33)に出会ったんです。

感動しました。けれど、まさか自分がそれを訳すなんて思ってもいませんでした。何十年たってから思い立って妹(森山恵氏)とともに英語から現代日本語への「戻し訳」に挑んだんです。

英語を通して、もう一度『源氏』に出会い直した感じです。ご存知のようにウェイリー訳は正宗白鳥も高く評価しています。

西村 私は『源氏』に俳句を通じて再会したという感じですね。塾の国文の原典講読で、必ず『源氏』を読みますが、その時は『更級日記』とかのほうが好きだったんですよ。

それで俳句をずっと作り続けてきたのですが、しばらくして原文ではなく訳文を読み返した時、「どこの帖にも必ず季語が出てくる」ことを発見したんです。それで興味を持って、全部読み返しました。

林さんがおっしゃったように、全部読んでいる人ってすごく少ない。日本人で、『源氏物語』の原文に一度も触れたことがない人と、原文で全部読んだ人の数は同じぐらい少ないそうです。それはとても憂うべき状況なので、どんな形ででも『源氏物語』に触れていただきたいなと切に思いますね。

『ウェイリー源氏』を訳す

 僕は原典しか読んだことがないんですよ。現代語訳されたものは、もちろん名前は知っていてチラチラ見た程度ですが、例えば『与謝野源氏』だったら和歌が出てくるけど、和歌の解釈がない。

『源氏』の和歌って、掛詞・縁語などの修辞が複雑で理屈っぽいじゃないですか。だから解釈がないと一般の読者は放り出されてしまいますよね。

登場人物の気持ちを表すとか、何かを伝えるメディアとして使われていて、しかもそれは露骨に言わない。そういう意味でとてもわかりにくい和歌を、全然訳さないのはちょっと不親切だなと思いました。

と言って現代語訳だけだと、絶対、元はどういう歌なんだろうと思う。それはやはり難しいところだなと。毬矢さんの訳は、ちゃんと元歌が出ていますね。そしてウェイリーの訳が出てくるんですが、ウェイリーの訳だけ読むと、「何だかな」という感じがちょっとしますね。

西村 そうね、ちょっと不安ね。萩がライラックになってたり(笑)。

 ウェイリーの訳は全然日本のことを知らないイギリス人が読むと、例えば宮廷(court)はバッキンガム宮殿のようなものを想像させるのではないか。これはわざと西洋の景物(けいぶつ)らしく訳してあるんですよね?

毬矢 はい、工夫して訳している。

西村 そういう意味では新鮮でした。だけど、ウェイリーは、「king」ではなくて「emperor」を使っているんですか? emperorというと、私は中国の皇帝みたいな感じがしてしまう。「帝(みかど)」というのはkingじゃないのかなと、少し引っかかりましたね。

毬矢 ウェイリーはそこもよく考えて「帝」を「emperor」と訳したと思います。戻し訳も「エンペラー」にしました。

 「ミカド」でよかったのではないかと思う。エンペラーって大体独裁的だったり、わがままだったり。でも、日本の帝は、統治しないですから。

西村 生まれ育ちが違うのが帝ですね。訳は悩まれたんだろうなと。「靫負(ゆげい)の命婦(みょうぶ)」なんかも、「~の娘」って訳されているけれど、それはウェイリーがそういう語を使っているんだろうと思って(笑)。私たちは、もう名前のように「靫負の命婦」と、その人を指している言葉として受け取っているので。

 新鮮であると同時に、ちょっと居心地が悪い。でも、そのちょっと居心地が悪い感じこそがお訳しになったポイントじゃないかな。

毬矢 そうなんです。それをそのまま古典に戻してしまったら、ウェイリーが訳した時のあの新しさを、感じられないのではないかなと思ったのですね。

 でも、ウェイリーって人はすごいね。

西村 日本に来たこともないし、日本語が話せたわけでもないのに、どうやってあの『源氏』をあそこまで読めたのだろうと、不思議でしようがないですね。

毬矢 そうなんです、深い読みなんですよね。それこそウェイリーは『湖月抄』も読み込んで翻訳していますし。

 『湖月抄』は当時すでにイギリスに持ち込まれていたんです。でも、『湖月抄』は草仮名で書いてあるわけですよ。まだ活字本は、ウェイリーの時代にはイギリスに行ってないと思うんです。

そもそも毛筆草体の写刻体のテキストは現代の日本人はほとんど読めないですよ。でも僕の相棒のピーター・コーニツキ君なんかも、スラスラ読む。イギリスの東洋学者はわれわれが思う学者というレベルとちょっと違って、今の言葉で「レベチ」なんじゃないかと(笑)。

毬矢 ウェイリーはもともと語学の天才で、十何カ国語できる人です。ギリシャ、ローマの古典は特に強いですし。アイヌ民話の翻訳もしています。

 えーっ、驚きですね。

毬矢 「日本の古典も4カ月で読める」と豪語して、実際に和歌も能も手がけています。

 あの時代のイギリス人には、しばしばそういう天才が現れますね。アーネスト・サトウもそうだし、ウィリアム・ジョージ・アストンもそう。語学というものが、われわれが考える語学と違うんですね。

名文である理由

西村 私は訳本を通して読んだのは林さんの『謹訳源氏物語』が初めてでした。やはり原文の言葉は重いな、という思いはあるんですね。

「さかしさまに行かぬ年月よ」とか。そういう言葉は現代文に訳しても迫力がなくなると思うんですよ。そういう名文のところは原典に触れてほしいなと、つくづく思います。

 『源氏物語』を本当は原文で読まなければいけない理由は、例えば形容詞なんかの使い方が極めて細緻にできていて、ちょっとした違いが大きな違いになっているわけです。

例えば「胡蝶」で、源氏がそろそろ玉鬘(たまかずら)のことも、紫の上に言っておかないとまずいかなと思い、聞かれもしないのに白状するところがあるじゃないですか。

それで紫の上は「またか」と思いながら、何か皮肉のようなことを言って、「とほほ笑みたまふ」と書かれている。この「ほほ笑みたまふ」は、紫の上をよく表しています。責めもしない、泣きもしない。ちょっと「あてこする」ようなことを言って、にっこりと笑う。

玉鬘は、紫の上にとって自分の立場を脅かすような人じゃないから、にっこり笑うんです。だけど女三宮となると、そうはいかない(笑)。

西村 そうですよね。

 女三宮のことを源氏が言った時、紫の上はどうしたか。「とて、少しほほ笑みたまふ」と書いてある。

毬矢 あ、すごいですね。

 同じ「ほほ笑みたまふ」でも「少し」が付く。この「ほほ笑む」はにこにこするのではなく、うっすらと冷たく笑うことで、反感のようなものを表しているわけです。女三宮のこととなると、のっぴきならないので、その笑いが「少し」になるんですよ。僕はここは「ひんやりと微笑んだ」と訳したんですけど。

西村 そのへんのニュアンスですね。

毬矢 ウェイリーは、「あはれ」という言葉は決まった言葉で訳さないんです。「あはれ」はsympathy だったり、melancholy だったり、sorrow だったり、間投詞の「Oh Dear!」だったり、全部違う。

他にもbeautiful とか、facinationとか、いろいろな単語で訳していて、繊細にニュアンスを使い分けているんです。

 ウェイリーのその態度は、すごく納得できますね。「あはれ」も前後の状況によって全然意味が違ってくるわけですから。

一番難しいのは「なまめかし」という言葉。これは辞書には「優雅である」とか書かれているけど、もともと「なまめかし」の「なま」は「生」だから、生の美しさ、つまり飾り気のない美しさなんですね。例えば葵の上でも紫の上でも死の床に就いている時、「なまめかし」という形容で書かれているんです。

つまり元気な時はきらびやかに着飾ってお化粧もしているけど、死の床に就いている時は、全ての虚飾を取り払ってそこに生身の人間がいる。それこそが美しい。これが紫の上に対する最大限の賛辞なんです。

とはいえ「なまめかし」は生の美しさだから、官能的な場合もあるんです。だから原文と訳語は一対一では絶対に対応しない。文脈の中で訳していかないと。

毬矢 ウェイリーはその点は細やかに気を遣っています。精密に、深く読み取っていて、それには感嘆しました。

西村 『源氏』の原典講読の時、佐藤信彦教授がよく「チャーミング」という言葉を使われた。私は、その時は異様に感じたんですよ。「そんな外来語に訳していいのかな」と。

でも、「いや、チャーミングっていうことは、こっちの心が引きつけられるような魅力なんだよ」とおっしゃって。それで後になってから納得したことがあります。

ウェイリー訳が喚起させるもの

 ウェイリーの英訳をちょっと見てきましたが、訳は正確だな、と思いました。原文の意図を、どうやったら英語で表現できるかに、すごく意を用いている気がしました。

毬矢 そうなんです。よく意訳だとおっしゃる方がいますが、かなり正確です。

 非常に正確で、それゆえに原文よりも細かく、長く書いているところがありますね。

毬矢 そうです。そして和歌は本文に織り込むような形で、オペラのアリアみたいなんですよね。相聞のように、オペラのアリアのように、2人がこうこう、詩で言いました。詩でこう答えました、と訳していて、当時の読者は立ち止まらないで読めたのかなと思います。

 謹訳英訳ですね(笑)。とても大切なことだと思う。実はウェイリーの英訳って、世界最初の英訳じゃないですよね。

それより早く末松謙澄(すえまつけんちょう)が英訳したものがありますが、これは全訳じゃなくて、「絵合(えあわせ)」までしかない。比べてみたんですが、ウェイリーのほうが正確かと思いました。ただ謙澄の訳の方が日本人にはわかりやすい。

毬矢 でも謙澄も、思っていたより立派な訳ですよね。

 ええ、すごく。これをイギリスで出版したところがすごい。

西村 ウェイリーは萩のことをライラックと言っているみたいですが、萩はイギリスにはないんですか。

毬矢 もちろん「萩」の訳語はあるのですが、ウェイリーの訳は、イギリス文学に重ねているんですね。例えばシェイクスピアだったり、イギリスのロマン派の詩だったり、『旧約聖書』だったり。すごく重層的に訳している。

ライラックというと、イギリス人の中に詩的なイメージが湧くわけです。だから日本語に戻す時も、萩ではなく「ライラック」とそのまま訳すことが、逆に面白いのではないかと。当時のイギリスの読者の気持ちになってほしいという思いでした。

そしてmoor(荒野)は、当時の読者は『嵐が丘』の情景が浮かんだと思うんですね。私たちもそれを生かしたいと思いました。

西村 毬矢さんたちの訳されたものを拝見して、当時のイギリス人は、非常にエキゾチックなエンペラーを中心とした世界の物語として、あれを読んだのかなと思いました。

毬矢 彼の文章はモダニズム文学の流れを汲んでいます。プルーストなどの(stream of consciousness「意識の流れ」)の文体ですね。

西村 ウェイリーが使っている言葉や文章は、いわゆるその時代の現代文なんですか。

毬矢 ええ。林さんの『謹訳源氏物語』のように当時の読者は現代文として読めたと思います。

微妙な言葉の使い分け

西村 『源氏物語』は主語がなくても敬語で誰なのかがわかるように書かれている。でも、林さんの『謹訳源氏』の画期的なところは、敬語を現代小説を読むように原則として排除なさったところです。

毬矢 ウェイリーの英語もとても上品です。会話は、wouldやmay haveなどを使い、丁寧に階級意識を反映している。Sir やYour Majesty という言葉もよく出てきます。

 米語では失われているけれど、謙譲の意識みたいなものがイギリス人にはあるんですよね。

だから、ウェイリーの英語は、当時のイギリスの庶民が読んでも、ろくにわからなかったと思います。やっぱりオックスブリッジを出ている程度の人じゃないと。

毬矢 おっしゃる通りですね。

 そういう意味で言うと平安時代の貴族、天皇家から摂関家とか、それから中級貴族、下級貴族や地方豪族も、いろいろな階級によって、皆、使う言葉も違ったわけです。

『源氏物語』は、微妙な言葉の使い分けによって、「こんなやつは下品」とわかるようになっている。だから私もあえて下品な言葉で訳しているところもあるんです。

毬矢 紫式部って、そこがまた素晴らしいですね。下層の人々の言葉もちゃんと書けている。

西村 「夕顔」のところなんかね(笑)。

 そうそう。見てきたように書いてある。

西洋の文学だと、例えばギリシャ古典や聖書など、いわゆるクラシックスの中に使われている言葉や何かを、巧みに織り込むというレトリックがありますね。ウェイリー訳にはそういうことが非常に使われているんじゃないか。それは『源氏物語』が和歌や漢詩文を巧みに織り込んでいるのと、パラレルなものがあると思っています。

毬矢 おっしゃる通りです。紫式部は「長恨歌(ちょうごんか)」など多く引用していますよね。ウェイリーも白居易が好きで評伝も書いているので、それも織り込まれ格調が高いです。

源氏は顔出しNG?

西村 『源氏物語』が大河ドラマにならなかったのは、やはり触れてはいけない世界だったからだと思うんですね。今回の大河も主人公は紫式部なわけでしょう。「考えたな」と思いました。

 よく「ドラマにしたら、源氏は誰がやるといいと思いますか」と聞かれるんですが、私は「誰がやっても駄目です」と。

毬矢 ああ、確かに(笑)。

 もし僕に「映画化しろ」という話が来たら、「源氏は最後まで顔を出しません。後ろ姿ぐらいは見せるかもしれないけど」と言いますね。

毬矢 ウェイリーは光源氏を「Shining one」「Shining prince」と訳していて、「ああ、光源氏って光ってたんだ」と初めて思ったんです。それまで普通名詞のように感じていたんですが、「光っている人」と思ったら、神に近い存在のように思えてきて。神話のゼウスとか。

 そうそう。

毬矢 だからおっしゃったように、顔を見せないほうがよいと思います。

西村 生身の男性では演じきれない。むしろ宝塚の男役のほうが案外、許せるかもしれない。

 でも天海祐希が光源氏をやったのをチラッと見ましたが、あまり感心しなかったな。歴代、長谷川一夫や、伊丹十三もやったんですけど、もう薄気味悪い以外の何者でもなかった(笑)。

共感できる女性たちの悩み

西村 『源氏物語』は、特に最初のほうは、光源氏は狂言回しであって、実はいろいろな女性たちの魅力が書かれている小説なんですね。たぶん道長が紫式部に若い時の失敗談を語ったんじゃないですか(笑)。

 女房という立場の人たちは、先任の女房たちからいろいろな噂を聞いたり、自分が現実に見聞きするいじめの世界だとか、きっと切実な体験もあったと思うんですね。

「光源氏」は光っている天皇の息子の貴族という意味です。ただ「光っている」という意味は漠然としている。それと関わりを持った女たちの心は、非常に巧みに奥深く書かれているけど、少なくとも第1部では、源氏の心はそんなに深く追求されてはいない。

だから時によって、人によって源氏の態度が違って、ある人に対してはばかに素っ気なかったりする。ただ後半の「若菜」以降になると、源氏が俄然いやらしいおとこ・・・として存在感を増してきますね。

西村 女性から読むと、女性たちのいろいろな悩みだとか価値観に、今の私たちでも共感するところがあるんですよね。

朝顔の君の、大勢の中の1人にはなりたくないという、精神的な愛を貫く態度とか。それから空蝉(うつせみ)のように、逃げおおせたらずっと思ってくれるとか。夕顔は特別ですけれど、でも虜にしておいて、そのまま死んでしまって、その後玉鬘のところに流れが行くわけじゃないですか。

そのように現代の私たちが読んでも、女心をとてもよく描けていると思うところが、読み継がれる理由だと思うんです。

佐藤信彦先生が「『源氏』は若菜から読みなさい」とおっしゃったことがありました。そのへんから源氏の男としての苦悩や成長が描かれているじゃないですか。

 そうおっしゃるのは無理もないけど、ただ若菜から読んだんじゃ、きっと訳(わけ)わからないですね。

毬矢 そう、わからないでしょうね。

 実際、「藤裏葉(ふじのうらば)」までのところは短編物語の集合なんです。でも若菜からは、1つの大きな山あり谷ありの物語になっていく。

そういう意味ではドラマツルギーとして、やはり非常に格が高いというか。あの母が恋しいナイーブな少年だった源氏が、須磨から帰ってきて以後は返り咲いて准太上天皇まで成り上がる。それであの柏木に対する、いけず・・・なるやりようといったら、男から読んでも「ひでえな」と(笑)。

「女三宮」論

西村 男性からご覧になって光源氏は魅力的な男性ですか。

 いや、わからないですね。どう魅力的なのかは。ああなりたいものだとは思うけど(笑)。

西村 あ、そうですか。

 源氏の魅力とはある意味、女たちに投影されたものだから。誰も源氏にはなかなかなれないと思うわけ。例えば朧月夜なんかでも、いきなりズバッと部屋の中に連れ込んで、「どんなに騒いでも無駄ですよ。私は何をしてもいいってことになってるんですから」って。そんなこと今言ったらお縄ですよ(笑)。

毬矢 思い上がってますよね(笑)。

 でもそういうことを言う源氏って、ちょっと「しようがないな、こいつは」と思わせる。

でも後半の懊悩する源氏になると、どんなに人間は権力や何かを持ったとしても、人間としての苦悩はそれゆえに深まっていく。

紫の上という素晴らしい女性がいながら、女三宮を迎えなければいけないというのは、紫の上の苦悩だけど、源氏だってすごく苦悩しているわけですね。でも朱雀院の言うことは聞かなきゃいけなくて、最初の3日間はどうしても通わなければならず、源氏はおろおろしながら通っていたに違いない。

西村 いえいえ、私はあそこにも藤壺に対する永遠の恋人の面影を確かめたかったという、下心があったと思うんですよ。それが裏切られたんですけれど。そう思われません?

 女三宮に関しては、あんまりそれは感じないんです。女三宮というのは、どちらかというと非常に否定的に物語では書かれている。

例の蹴鞠の垣間見の場面にしてからが、発情期の雄猫に追いかけられて、猫が簾(すだれ)を引っ張ってしまう。するとそこに女三宮が見えたわけだけど、それは廂(ひさし)の間で見ていたということですよね。それは紫の上だったら絶対あり得ない。

西村 そうですね。そこは佐藤先生もおっしゃっていましたね。深窓のお姫様というのは、絶対に簾がまくれ上がったぐらいで見えるようなところに立っていないって。

光源氏の心の奥底には、もう1つ、男の魅力が、まだ自分にもあるかどうかを確かめたかったんじゃないかと。

 それはありますね。でも、紫の上が藤壺の身代わりだということはよくわかるし、だいたい藤壺自体が、桐壺の更衣の身代わりです。すると母恋いに行き着いてしまうわけです。そういう意味で言うと女三宮は、源氏はむしろ息子のお嫁さんにしてくれるといいのにと思っていたわけです。

西村 しかし、身分からして正妻として迎えなければいけなかったというのが、紫の上の苦悩の始まりですね。

 それは非常な苦悩で、もう大丈夫だろうと思っているところへ、横紙破りのようにして女三宮がやってくる。これはものすごいショック。

西村 天から降ってきたような災難だったと。

 でも女三宮は源氏には愛されないで、柏木の愛を受け入れて不義の子を産んでしまった。これは確かに藤壺が不義の子を産んだことの因果応報なんだけれども。

確かに見ないうちは、ちょっとは期待があったかもしれない。でも実際にお輿入れしてきてからの女三宮の態度を見て、期待した分だけ非常に失望した。そして失望した3日目の暁に、紫の上の夢を見て慌てて帰っていくわけです。ああいうところも非常に巧みな描き方ですね。

素晴らしい自然の描写

西村 そうですね。それに先ほどおっしゃった猫が追いかけられて、簾をまくったというところなんかも、季語で言ったら、「あ、これは猫の恋だな」と思わせる。

紫式部は人の心の奥底までもよく見通している人だけど、自然のありようも見尽くしているんですね。動物にしても、植物にしても、その観察眼が素晴らしいからこそ、バックグラウンドミュージックのように、季節の描写を愛の物語に入れていく。これは日本の文学の特徴だと思うんです。

 そうです。例えば恋の場面が煮詰まって、にっちもさっちもいかなくなったりした後、ふとカメラがパンしていくように、窓の外の景色なり何なりにパッと移っていく。その描き方がもう実に美しいんですね。これがやはり僕は『源氏物語』というものの、古今を絶した見事さではないかなと思います。

西村 虫の音なんかも、「折知り顔に」鳴き出したとか。

 野宮(ののみや)でね。

西村 そう、野宮のくだりはもう本当に素晴らしい。

 あの場面なんて何十遍読んでも完全無欠ですね。しかも時間の経過が、来た時は夕月、それから月が正中(しょうちゅう)して、だんだんと西へ傾いて有明の月で帰っていく。

毬矢 ドナルド・キーン先生に一度だけお目にかかったんですね。『ウェイリー源氏』で先生は日本文学に出会われたんですが、「どこが一番お好きですか」と伺ったら野宮の別れの場面とおっしゃっていた。

 あそこはもう名場面ですね。

西村 それから桐壺の更衣の死後、嵐のような風が吹いた夕月夜の頃に、靫負の命婦を遣わせるわけです。それで最後が「月も沈みぬ」。

夕月夜が上ってきた頃にお遣いを出して、「どうしているか」と尋ねて帝は帰ってくるまで待っているわけです。それで「どうだった」と聞いたら、「こういうお返事をいただきました」と報告する。そうすると「月も沈みぬ」って。

もう本当に1行で時間の経過が、語られていて、これはすごい文学だなと思いましたね。

ドラマづくりの巧みさ

 夕顔というのは、藤壺のゆかりとはあまり関係がないんですが、どこまでも「らうたき」人。もうかわいくてなよなよしていて、何とも言えない蠱惑的魅力がある。そうすると源氏は、そのなよなよした女らしさについ夢中になるわけです。でもすぐに死んでしまうんだけど。

すると、今度は夕顔に対する憧れが出てくる。つまり自分のお母さん同様、夕顔もあっという間に死んでしまったから、もう一度ああいう女がいないかと思っているところへ、末摘花(すえつむはな)が出てくるわけ。この落差。

ちょうど某(なにがし)の院に連れていって、その翌朝に源氏が蔀(しとみ)を手ずから上げるシーンがあるわけです。手ずから上げると庭の荒れ果てた風景が見えるという場面が末摘花の常陸宮のほうの屋敷でもある。

「ご覧なさい」というところも同じなんですね。つまりこういう書き方は夕顔の身代わりとして、末摘花に期待したんだけれど、実は全く正反対だったということ。ドラマづくりとして非常に巧みなんです。

毬矢 『ウェイリー源氏』で末摘花を読むと、背が高くて、色白で、額が広くて、やせていて。今のモデル体型の美女に見えてくるんです。

 なるほど(笑)。

毬矢 当時の日本は大陸の渤海国と交流していましたから渤海の血が流れていたのかなと想像したり。末摘花が全く違う人に見えてきます。

西村 末摘花は、私は磐長姫命(いわながひめ)だと思うんですよ。それで木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が紫の上。あの神話もすごくよくできていて、「木花咲耶姫を私にください」と、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)がお父さんの大山津見命(おおやまつみのみこと)に言ったら、「二人をあげましょう」とセットでくれるわけじゃないですか。だけど磐長姫命はあまりにも座高が高かったり、骨張っていたりしている。

まさに末摘花です。咲耶姫のほうはもらうけど、磐長姫命のほうは結構です、と返してしまう。

男の人は、皆きれいなほうが好きじゃないですか(笑)。末摘花はずっと待っている。気が長い。

 あの叔母君(おばぎみ)が連れにきても、言うこと聞かないですもんね。

西村 そう。頑固で、まさに磐長姫命。でも光源氏は瓊瓊杵命とは違って、長いこと面倒見るじゃないですか。だから理想的な男性で、実際にはそういう男性はいない。

 いないですよ(笑)。だから光源氏って、もう夢のような存在です。

世界文学としての『源氏』

毬矢 ウェイリーは扉に「眠りの森の美女」の一節を使っているんです。「王子様、随分お待ちしましたわ」と。ウェイリーは、あの時点では900年眠っていた物語を、ついに目覚めさせて「世界文学」にしたという誇りがあったんだと思います。

 なるほど、物語自体が眠り姫になっている。これが900年前に書かれたものだと知ったヨーロッパ人はびっくり仰天ですよ。

毬矢 はい、高級紙に次々と驚嘆の書評が出ました。イギリスの文学青年は夢中になり、強烈な美的体験だったそうです。

 しかも、それも神話みたいなものじゃなく、微に入り細をうがって人の心のひだを描いていく。

毬矢 そうなんです。ヨーロッパで心理小説が生まれる何百年も前に、日本という小国の女性作家がこれほどのものを書いていたなんて、と皆衝撃を受けたのですね。

それこそベストセラーになりました。もちろん文化人たちの間でですが。どんどん版を重ねて、その年のうちに7000部だったかな。「これは世界文学の傑作だ」と、口を極めて一流紙の書評が褒める。これが世界文学へのデビューだったと思います。

西村 世界文学になったのは『ウェイリー源氏』のおかげですね。

毬矢 はい、たいへんな種まきをした人です。今、英語版は70年代に出たサイデンスティッカー訳。次いでロイヤル・タイラー訳があり、デニス・ウォッシュバーン訳と4つも個人訳が出ています。

 今、何カ国語に訳されているんですか。

毬矢 32、3カ国語に訳されているという話です。

フランスも1980年ぐらいにルネ・シフェール訳という個人全訳が出ていて評価が高いです。現在、INALCO(フランス国立東洋言語文化大学)とパリ第7大学との研究チームが、緻密な研究に基づいて翻訳を進めていますが、今のペースでいくと150年かかると言われています。

西村 フランスのマダムの家で、フランス語で句会をやっているというので行ったことがあるんです。その家には『源氏物語』の分厚いきれいな絵入の本が置いてありました。

ちゃんとした逐語訳ではないにしても、日本文学に興味がある方はそういう本を持っている。それから絵が素晴らしいじゃないですか。絵も一緒に楽しむような形で、かなり普及しているんだなと。

毬矢 パリのフランス国立ギメ東洋美術館で「源氏物語展」が開かれているということですね。

西村 来年、高橋睦郎さんが、『源氏物語』の話をしに行くとおっしゃっていました。京都の山口伊太郎・山口安次郎兄弟が「源氏物語絵巻」を織物で作り、ギメ美術館に寄付なさったんですね。

季節に対する感受性

西村 紫の上を略奪したのは冬ですよね。霰(あられ)が降っていて紫の上は寒くて、寂しくて鳥肌が立っているんですよ。それを見て光源氏は父性本能が刺激されて、「あ、この子を温めてあげよう」と思って、衣でかき抱くように連れて行ったわけじゃないですか。そういう意味でも季節背景はちゃんと計算されているんだなと。

毬矢 自然の描写、季節の描写が素晴らしい。

西村 日本人というのは、季節のめぐりの中で生かされている。いろいろな人生の思い出も、季節の風物と一緒に「ああ、あのときあそこで、あの人と月を見たな」「あのとき雪が降っていたな」「桜の花がきれいだった」という思い出と非常に密に結び付いていると思うんですね。

季節に対する感受性は、外国の人にもわかってもらえるのかなと、私はちょっと心配なんです。

毬矢 そうですね。でも日本とは違っていても、海外にも季節感はありますね。

 ただアラビアの砂漠をラクダと歩いているような人たちに、日本の梅雨の湿潤なる五月雨(さみだれ)の……、というのはわからないかもしれない。

西村 雨夜の品定めとか。

 あれは全然わからないだろうな。

毬矢 ウェイリーはrainy night’s conversation としていますね。

 rainy night’s conversation だと、イギリス人が思うにはおそらく秋から晩秋にかけての感じになるんですね。日本の梅雨の5月、6月は、イギリスでは一番天気のいい時で、カラッとして乾燥しているから。

そこはウェイリーも困ったなと思ったんじゃないかな(笑)。

西村 しかも五月雨の時は、帝でさえ恋人と会ってはいけない時期なんですよね。

 そう、「物忌み」の時期だから。

文化の差異をどう訳すか

 僕は「日本文学とは何か」と聞かれた時、「四季と恋です」といつも答えるんです。しかもその四季の中にも恋の歌がある。恋の歌にも必ず四季が入っている。

それはなかなか西洋の文学とは違うところです。実際僕はイギリスで暮らしてみるまで、イギリスの風土がわからなかったから。

例えばフラッド(flood)という洪水。日本では洪水というと、台風か何かで泥水がダーッと押し寄せてきて、皆水没してしまうような災害ですが、イングランドの人たちにとってのフラッドは全く違うものです。

イギリスは真っ平らな国だから、日本と違って川が流れていないんです。真っ平らで水が貯まっているところに雨がザーッと降ると、そのままヒタヒタヒタッと水面が上がって、そこら中が水浸しになる。これがフラッドなんです。

だからfloodを「洪水」と訳すのは間違いだと僕は思いますね。

毬矢 おっしゃる通り、ウェイリーは須磨の洪水を「flood」ではなく、「deluge」と訳しています。それは『旧約聖書』の「ノアの方舟」から来ていると思います。

 さすがだ、なるほど。

毬矢 当時のイギリスの読者はピンと来たと思います。須磨と明石の風景が、ノアの方舟の状態と重なるように訳している。

 大災害的な、滅ぼすものとしての嵐ですね。

毬矢 はい、神話的洪水ですね。そこに明石から遣いが来る。

 また、イギリスの植物の名前って牧畜と結び付いているんですね。ノラニンジンがcow parsley、ぺんぺん草がshepherd’s purse など。ものの名前には全て、その国の風土と歴史がまつわり付いているんですね。

毬矢 そうですね。ウェイリーはherbやhemlockという言葉も使っています。そのように当時のイギリス人にわかるように文化的背景のある単語に変えていて、それは正しいと思います。

 僕は毬矢さんの訳を読むと、全くあの時代のイギリスかなっていう感じがする。最初は、ウェイリーの英訳を日本語に訳して、何の意味があるんだと思った。でもウェイリーの訳が世界的な業績であるならば、それを私たちがすらすら読めないのはちょっと残念ですからね。

毬矢 そう、日本人だけが知らないのはもったいない。『源氏物語』をよく知っている日本人にこそ、ウェイリー源氏を伝えたかったんです。

いい男の条件

西村 源氏はよく泣いていますよね。夕顔が急死した時なんか、馬から落ちんばかりに泣いている。男は泣いちゃいけないという価値観は、武士の時代になってからですかね。

 そうです。やはり日本のいい男の条件というのは、髭黒の反対なんです。筋骨たくましく体毛濃くなんていうのは、野暮天という以外何者でもない。色は白く、骨は細く、肌はきめ細かく、そしてめそめそと泣く。これが『伊勢物語』以来の美男の典型です。それは西洋人には、理解できないところかもしれません。

西村 芭蕉も『奥の細道』では10回泣いている。もうそれは光源氏の頃からの系譜なんです。「時の移るまで涙を落としはべりぬ」と言ってるぐらい、2時間泣いている(笑)。

 男も女と同じように泣く。男性性というのは非女性性ではなくて、男性性も極まると女性に近づくというのが日本のスタイルです。だから「女にして見まほし」という表現が、しょっちゅう『源氏』に出てくる。

西村 ありますね。

 非常にハンサムな人は男にしておくのはもったいないということ。これを女にしてみたいものだという言い方です。これこそが当時の美男の基準です。その正反対があの髭黒なんです。髭黒って、女から見て一番魅力のない男、野暮天なやつ。

西村 女心もわかってない。

 わかってない。そんなやつに玉鬘を取られるところで、紫の上は慰められると僕は思っています。

毬矢 紫式部って偉大ですよね、そういうところも。

様々な発見に満ちた物語

 「宇治十帖」はいろいろな意見があると思うけど結構面白いですよ。

毬矢 ウェイリーは宇治十帖が好きでした。一番近代小説に近い傑作だと。

 それは正しいとい思う。本編のほうが上質な文芸大作映画だとすれば、宇治十帖のほうは上等なテレビドラマという感じがしますね。浮舟の継父の常陸介(ひたちのすけ)の家の中の事情なんて、全く今のドラマみたいじゃないですか。でも深みという意味では、やはり本編のほうが深いな。

西村 そうですねえ。

 それから宇治十帖のほうが、エロチシズムがあるでしょう? 浮舟を匂宮が拉致していって。

西村 そう、抱っこして舟に乗せて。「冬のソナタ」ですよ(笑)。それと大君が最後まで拒絶するじゃないですか。あれは『狭き門』のアリサですよ。ああいう現代人にもわかる心理状態をよく書けるなって。

同じ人が書いていると思います?

 僕は違うと思うんです。これはどうにも解決のつかない問題だけど。ただボキャブラリーが結構違うんですね。本編には全然出てこないような言葉が突如出てくる。センテンスも短くなってきていると思うし。

毬矢 私は紫式部が晩年になって書いているという気はします。藤井貞和先生は、紫式部は15歳ぐらいから書き続けて、もう50代になっているから、当然文体は変わってきたのだろうと。

 けれど、作家の立場で読むと、なにかこう「筆意(ひつい)」の違いを感ずるとでも言いましょうか……。

西村 面白いですね。お二方のように一語一語お読みになった方は、そういうことがわかるのだと思います。話を聞いて、また読み返したいなと思いました。本当に人生経験に応じて、様々な発見がありますよね。

毬矢 そうですね。どうしたら皆さんは読んでくださるんでしょうか。

西村 大丈夫よ。大河ドラマがあるから。

 まあ、光源氏が出てこないので心穏やかです(笑)。

毬矢 『源氏物語』は戦闘シーンがないのもよいですね。

 血を見ない物語ですね。『源氏』で血が出てくるのは1箇所だけ。宇治十帖に月経のことが出てくる。

西村 平和な大河ドラマというのは大歓迎ですね。

 

(2023年11月20日、三田キャンパスにて収録)

 

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。