【執筆ノート】『キャンパスの戦争──慶應日吉 1934─1949』
三田評論ONLINEより
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阿久澤 武史(あくざわ たけし)
慶應義塾高等学校長
本書のカバーには、写真家の芳賀日出男氏が慶應予科時代に撮ったスナップ写真を使わせていただいた。1942年3月、卒業アルバムの中の1枚である。本書の主題は、おそらくこの写真に集約されると思う。光に満ちたキャンパスの中庭、陽を浴びて白く輝く第二校舎、それと対照的な第一校舎の内部の暗さ、背を向けた2人は何を語り合っているのだろうか。戦争の時代に翻弄されていく青春は、このキャンパスの持つ光と影でもあった。
日吉には全長5キロに及ぶ旧海軍の地下軍事施設群がある。私は日吉台地下壕保存の会で見学ガイドをしている。現在、唯一入れるのは連合艦隊司令部地下壕である。地下30メートル、厚さ40センチのコンクリートに覆われた空間で、「特攻」に象徴される戦争末期の作戦を立案し、指令を出した。何度そこに足を踏み入れても、自分の日常との折り合いがつかない違和感が残る。壕の中はまさに漆黒の闇で、明るいキャンパス空間とのギャップ、それだけでなく、ここで確かに戦争をしていたという事実に、地上での感覚がついていかないのである。それは私が教壇に立つ第一校舎(慶應義塾高校)についても同じで、かつて旧制予科の生徒がここで学び、学徒出陣で戦場に送り出され、海軍軍令部第三部が入り、敗戦後は米軍が来た。
自分がいるこの場所の記憶を辿ってみたい。その思いから始めて10年が経ち、幸いにも1冊の本にまとめることができた。この間、日吉に関係する戦争体験者にお会いし、貴重なお話を伺うことができたが、多くの方が亡くなられた。ここであった戦争を、若い世代に語り継いでいかなければならないと感じている。
慶應で学んだ陸軍少尉上原良司は、特攻出撃の前夜、「所感」と題する文章で最後の思いを綴った。そこに記された「自由主義者」という語を大切にしたいと思う。本書で見つめたキャンパスの15年は、「自由」が急激に失われていく時間であった。地下壕は闇の中で今も静かに眠っている。光を当てなければ存在を主張することもない。地下作戦室の無機質な空間に身を置く時、そこが明治以降の近代化政策の歪んだ帰着点ではないかとも思うのである。
『キャンパスの戦争──慶應日吉 1934─1949』
阿久澤 武史
慶應義塾大学出版会
288頁、2,970円(税込)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。