【特集:主権者と民意】 河野武司:若年世代の投票率を上げるには? | ねぇ、マロン!

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【特集:主権者と民意】河野武司:若年世代の投票率を上げるには?

 

三田評論ONLINEより

 

  • 河野 武司(こうの たけし)

    慶應義塾大学法学部教授

1.投票率と民主政治

若年世代に限らず投票率は全体的に低下傾向にあるが、それが顕著になったのは1990年代に入ってからである。政権選択と直結する衆院選に関して言うと、それまでは50%を超える数字を残してきた20歳代までの投票率であるが、1990年に実施された第39回衆院選において57・76%を記録して以来、若年世代の投票率は47・46%、36・42%と2回の選挙を経て20ポイント近く低下した。自民党から民主党への政権交代があった2009年の第45回衆院選では49・45%と上昇するが、それ以降再び低下傾向にある。参政権が従来の20歳から18歳に引き下げられた2015年6月以降も、衆院選に関して言うと、直近の2017年10月に実施された第48回における投票率は全体で53・68%であったが、10歳代で40・49%(全国調査)、20歳代で33・85%(抽出)と、若年世代の投票率は最も高い60歳代の72・04%(抽出)と比較すると半分弱となっている*1。もっとも、初めての国政選挙への参加となった2016年7月の第24回参院選において10歳台の投票率は46・78%と20歳代の35・60%を10ポイント以上も上廻る全体の48・80%に近い投票率を記録した。

しかしその後の選挙における投票率は低いレベルに留まり、第24回参院選において比較的に高かった10歳代の投票率は、まさに「初めて」を意識した主権者教育実施や増大したメディア報道による「初回効果」でしかなかったのではないかと考えられ、主権者教育の有効性や持続性に疑問がもたれている。もちろん主権者教育は、政治参加のベースとして重要な役割を果たす。政治や選挙について何らの情報も持たない若者に、自発的な投票を期待するのは無理筋であろう。最低限の情報を得たり、主権者としての心構えを育成する場として主権者教育は欠かせない。ベースとしての主権者教育は前提としつつ、それに加えて、投票参加を促進する他の様々な方策について、検討・紹介しようというのが、本小論の目的である。

そもそも若年世代に限らず全体の投票率低下が強く意識され、投票率の向上策が本格的に議論されるようになったのは、1995年の第17回参院選での投票率が44・52%(選挙区)と50%を下回ってからである。1988年の夏に発覚したリクルート事件以来、日本政治は改革の嵐の真っただ中にあった。東京都や神奈川県で筆者もそのメンバーの1人として参加したが、各所で投票率の向上策を検討する研究会が立ち上げられた。若年世代の投票率に関しては、最初の選挙における低い投票率が将来的にどのようになるかという観点から、年を重ねても低いままに推移するという世代効果と年を取るにつれて投票率は上がっていくというライフサイクル効果とが話題になった。政治に参加し始めた時期の低い投票率は年を重ねてライフサイクル効果が働き確かに上昇するにしても、かつての世代のようにそのピークは70%を超えることはないのではないかという懸念である。

投票率が低いことが民主政治にもたらす最大の負の効果とは以下のものであろう。まずは、低い投票率で政権を担当することになった統治者に対するマンデート(mandate:負託)の問題である。仮に投票率が50%を切るような選挙で過半数を超える議席を獲得し国政を担う者達が決まったとしても、そこで決定され実施される政策に対して、その政権を選択していない多くの国民が「聞いていないよ」という反応を示すようになるとするならば、選挙で選んだ代表を通して政治に参加し自分たちの未来を決めるという代議制民主主義というシステムの正当性は大きく揺らいでしまう。まさに代議制民主主義の危機と言っても過言ではない。また、特定の私的・特殊利益の下に組織化されたある団体のメンバーが特定の政党や候補にまとまって投票する、いわゆる組織票が低い投票率の下で選挙結果やその後の政治に及ぼす影響も見逃せないであろう。

このような事態に陥らないようにするためにも、選挙に初めて参加する新有権者の投票率を上げていく必要があるのは言うまでもない。ではどのような方策があるのであろうか。以下にはその方策を考える際の理論的基礎と実際とについて紹介していくことにする。

2.投票参加の計算式

これまで投票率の向上策は、各アクターは自己の利益の最大化を目指すという経済学的な合理的選択という観点から構築されてきた投票参加の計算式に基づいて検討されてきた。

投票参加を有権者の合理的選択という観点から説明する試みは、そもそも経済学者のダウンズ(Anthony Downs)の議論に端を発する。ダウンズは『民主主義の経済理論(An Economic Theory of Democracy)』(1957年)の中で、選挙から得られる利益と投票参加に関わるコストとの比較から、投票参加を説明する論理を提示した。利益とコストとの比較で利益がコストを上回れば投票に行くが、同じか下回れば棄権すると言うのである*2。ダウンズが示したこのような投票参加の論理を、今日期待効用モデルとして知られる計算式として定式化したのは、政治学者のライカー(William H. Riker)とオードシュック(Peter C. Ordeshook)である。彼らの計算式は以下のようになる*3

R = P ・B-C+D

B= 自分がより選好する候補者が勝利した時に得られる便益と、最も選好しない候補者が勝利した時に得られる便益との差、すなわち候補者間の期待効用差
P = 自分の投票によってBを得ることの主観的確率
C = 投票のコスト
D = 投票への義務感
R = 投票によって得る報酬

 

この式における計算で、R > 0 となる市民は投票するし、R ≦0 となる市民は棄権する。ライカーとオードシュックが10のマイナス8乗と計算したように客観的にはPはほぼ0である。また主観的にも、いわゆる無風選挙において投票率が極端に低いことは、まさに自分の一票は大海の中の一滴にしか過ぎず選挙結果は変わらないといった市民の思いを反映している。またPが0でないにしても、政治に無関心であるが故に選挙に関する情報を持たず、各候補者や政党間の政策の違いを分からない市民や、情報を収集した結果、政策に違いはないと判断した市民にとってみれば、Bは0となる。そこでP・Bの項は0となり、R > 0となるか否かはCとDとの間の比較で決まることになる。

Dは以下のように説明されている。

(1) 投票の倫理に適うことから得られる満足感
(2) 政治システムに対する忠誠を果たすことによって得られる満足感
(3) 党派的な選好を確認することから得られる満足感
(4) 決定したり、投票場へ行くことから得られる満足感
(5) 政治システムにおける自分の有効性を確認することから得られる満足感

すなわち、Dは選挙結果にかかわらず、Dを構成する諸要素に高い価値を持つ者でかつ投票に参加した者だけが確実に得ることのできる個人的報酬である。DがCを上廻る市民が存在するからこそ、投票率は0%にならない。またこのDは、Bが誰かによって一旦供給されたならばその供給に貢献しなかった者でも利益を享受できる非排他性という公共財的性質を持つのに対して、フリーライドできない私的利益である。

投票参加を促すためには、利益にかかわるP、B、Dの項目の数値を上げ、一方でコストであるCを下げる方策を検討すればよいということになる。しかし、PとBに関する向上策は長期的な政治的社会化や主権者教育がもっぱら果たす役割として、ここでは短期的かつ直接的に効果が期待できるCを下げ、Dを上げる向上策に関して検討したい。

 

3.コストの削減

投票参加のコストとして主要なものは時間にかかわるコストである。選挙に関する情報を収集し分析する時間、投票という行為自体に割く時間などである。前者の情報のコストは、近年インターネットの発展により、新聞やテレビといった伝統的なメディアの時代と比較して、自らが探すことなく場合によってはネットの方から通知され、隙間時間に読んだり観たりできるようになったことや、他者の投票の動向を参考にできることなどから大幅に削減されたであろう。

またこれまでも実施されてきたが、投票時間の拡大、期日前投票、郵便投票の拡充、さらには投票場に有権者を来させるのではなく、駅やショッピングモール、大学キャンパスなどの人の集まるところへの投票場の設置の拡充は、投票という行為自体に割く時間のコストの削減に繋がるものであろう。このコストを削減するための究極的手段は、エストニアが既に実施しているが、選挙期間中での期日前投票として可能としているインターネットを使った在宅投票であろう。しかし、ブロックチェーンなどの最新の技術を用いてセキュリティの確保はできても、本人確認や、多くの有権者が存在する日本ではアクセスの集中によるシステム障害の発生する可能性が高いことなど、わが国への導入には超えなければならない高いハードルがある。

4.投票参加におけるフリーライダーの抑制

さて、私的利益としてのDの向上に注力することはフリーライダー問題の解決に繋がるのであろうか。この問題を考察するには、オルソン(Mancur Olson Jr.)が1965年に著した『集合行為論(The Logic of Collective Action: PublicGoods and the Theory of Groups)』で提示した副産物理論が参考になる。排他性を持たない共通の利益を有するが故にフリーライダーの発生が不可避な大規模集団が組織として維持、存続できるのは何故かという問題に対する解答として展開されたのが副産物理論である。このような副産物理論においてフリーライダー問題の解決に関してオルソンが提示したのは選択的誘因の提供である*4。正の選択的誘因と負の選択的誘因、すなわちアメとムチの提供である。

ライカーらが規定するDも一種の選択的誘因であるが、負の選択的誘因でないことは確かである。投票参加における負の選択的誘因とは罰金の支払いや公的な証明書類の発行停止、さらには公職に就くことへの制限などの物質的かつ実質的な不利益を伴う義務投票制である。ではライカーらが説明しているDの内容は正の選択的誘因であるにしても、Dは個人の心理的な問題であり、投票に行けば減税されるといったすべての投票者が確実に手に入れることができる外部から提供される物質的な便益とは異なる。政治的社会化の過程でこれは涵養されるが、Dに対して高い価値を置くか否かは完全に個人的問題であり、Dを強調することをもってして、すべての新有権者を投票に誘うことは不可能であろう。

しかし、高い義務感を持つ人ほど自発的に投票に参加する可能性が高くなることは確かである。罰則を伴う義務投票制の導入は究極の制度的な投票率の向上策であろうが、これには憲法の改正が必要となる。そのハードルは高い。だが、罰則を伴わない義務投票制の導入は、罰則付きと同じように憲法改正が必要となるであろうが、そのハードルは比較的に低いと思われる。憲法27条第一項は、「すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。」と規定している。罰則を伴わない勤労の義務と同じように、第15条一項を「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利であり、義務を負う。」と改正することは不可能であろうか。権利としてだけではなく罰則を伴わない義務として投票を規定できれば、主権者教育の場で「投票は義務である」と繰り返し強調できることになり、投票を義務と認識する若者が増え、結果として投票率の向上に繋がるであろう。明るい選挙推進協会が全国の有権者3、150人を対象に第48回衆院選後の2018年1月に実施した郵送法による世論調査(回収率:70・1%)によると、18~20歳代で投票を「国民の義務」と答えた調査対象の81・1%が投票に行ったと答えているのに対して、「個人の自由」とした者では30・8%しか投票に行っていない*5。投票を義務、ないしは公務として認識することが持続的な高い投票参加に繋がるとするならば、主権者教育もそのような内容を伴うものである必要がある。

合理的選択という観点から、より直接的に投票を促す正の選択的誘因とは、何らかの物質的な私的利益を投票した人のみに提供することである。これは現状でも既に「センキョ割」といった名称などで一部の自治体で行われるようになっている*6。投票場で公的に発行される「投票済証」などを、選挙後協賛する店舗や企業等に提示することで、その協賛店が独自に提供する割引や優待のサービスを受けられるというものである。

5.おわりに

第49回衆院選の実施にあたって、大学生も含んだNPO法人の代表などがあるプロジェクトを立ち上げた。「目指せ! 投票率75%―あなたの推しは、だれ?」というプロジェクトである*7。政党や候補者という政策の供給側にBの明確化は期待できない。賛否の拮抗した争点であればいざしらず、政権を目指す政党や当選を目指す候補者の政策は似通ってくる。ダウンズが言うところの「絶対多数原理」である*8。争点は何かということに対する有権者の認知については、議題設定機能としてこれまで新聞やテレビの既存メディアがその役割を果たしてきた。しかしネット世代である若者にはその情報は届きにくいといった側面のあることは否めない。そこでこのプロジェクトでは、ネットを活用して争点の明確化を行い、選択に資する材料を、若者を中心としたネット世代に届けようと試みている。まずネットを使ったアンケート調査を通してその参加者に争点を尋ねる。その結果を10の争点に集約した後、それを次には候補者を対象にその立場を質問するアンケート調査を行う。その結果を公表し、若者をはじめとする有権者の投票に役立てるとともに、政治に対する関心を高めようというものである。このような取り組みにより、有権者自身が強く関心を持つ政策を掲げる候補者が当選し、そのような政策が実施され続けたら、自らの1票で「政治は変えることができる」という思いを強くした有権者の育成に寄与し、結果として投票をはじめとする政治参加の拡大に繋がることは大いに期待できるだろう。

 

 

〈注〉

 

*1 総務省がまとめている国政選挙における年代別投票率を参照。https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/ (2021年9月3日閲覧)

 

*2 Anthony Downs, An Economic Theory of Democracy, NewYork: Harper & Row,1957, chap.14.(アンソニー・ダウンズ『民主主義の経済理論』古田精司監訳、成文堂、1980年、14章)

 

*3 William H. Riker and Peter C. Ordeshook, “A Theory of the Calculus of Voting,” American Political Science Review, Vol.62,No.1, pp.25-42(March 1968), pp.25-28.

 

*4 Mancur Olson Jr., The Logic of Collective Action: Public Goods and the Theory of Groups, revised ed., Cambridge, Mass.:Harvard University Press, 1971(マンサー・オルソン『集合行為論─公共財と集団理論─』依田博・森脇俊雅訳、ミネルヴァ書房、1983年)

 

*5 明るい選挙推進協会『第四八回衆議院議員総選挙全国意識調査:調査結果の概要』2018年7月、38頁。http://www.akaruisenkyo.or.jp/wp/wp-content/uploads/2018/07/48syuishikicyosa-1.pdf(2021年9月3日閲覧)

 

*6 「選挙割」については、以下のURLを参照されたい。https://senkyowari.com/(2021年9月3日閲覧)

 

*7 このプロジェクトの詳細については、以下のURLを参照されたい。https://mezase75.jp/(2021年9月3日閲覧)

 

*8 Anthony Downs, op. cit., pp.54-55(邦訳、55~56頁)

 

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。