https://ameblo.jp/maronta3008/entry-12577691399.html
子供たちの立ち直る力はすごいです。
ひとたびいい方向に向かい始めた時、子供たちは自分たちが経験した崩壊という現実を繰り返したくないという思いが強く出るようになっていました。
なにかトラブルがあって、自分たちで解決できないと判断すると、すぐに私のところに来てくれました。そして、私がきちんと子供たちの言い分を聞いて、トラブルの渦中にあった子供の気持ちが収まるのを見届けていました。
これは、学校の中にとどまりませんでした。帰宅後のことも、いいこと、解決すべきことをきちんと教えてくれました。こうして、学校だけでなく、校外でも落ち着くようになったのです。
私は、宿題を出す時、超難問と誰にでもできる視写のような問題を出しました。クラスのどの子にとっても難しいもの、必ずできるものを出しました。
私はできなくてもいいと思っていたのですが、家族ぐるみでトライしてやってくる子供が多くなりました。超難問は、中学校入試問題の中の一流中学校の入試問題から選んでいました。
それは、その学級にいた優秀な子供の力を引き出したかったからです。難問にひるまない心を育てたかったのです。優秀な子供の力がつくと、不思議に勉強に興味を持っていなかった子供も勉強をするようになってくるのです。
ハンカチの端を持ち上げると、ハンカチ全体が持ち上がるように、クラスのレベルはどんどん上がっていきました。優秀な子供は、市内でもトップレベルにまで成績が上がりました。
コンクールに応募するとどんどん入賞していきました。私は、コンクールに応募する時、絶対に赤ペンを入れない主義でしたので、子供自身の本当の力で入賞していたのです。
どうしてコンクールに入賞するのが簡単にできたかと言うと、実に単純な理由でできるんです。国語の作文の単元で書かせた作文に付箋を貼っておいて、色別にしておきます。付箋が貼ってある子供が、コンクールのテーマに合っている子供の作品を清書してもらうだけでいいのです。
いろいろな分野の応募コンクールに目を通して、作文、習字、絵画など、スポーツ以外の文化的な面の活躍をしてほしかったのです。
文武両道です。そして、生活を正す。そのためには、私自身もなにかに挑戦しなければ子供はついてきてくれません。だから、教育論文を書き続けました。子供たちと取り組んだものを発表し、世に問うという姿勢を貫きました。もちろん、子供たちの活躍のおかげでいっぱい入賞できしました。入賞賞金は、全て学校に寄贈されるものだけに応募していました。
こうして、私は子供に育てられたのです。今できることのちょっと上を目指す!その連続でした。どんなに酔っ払って帰った時も、1日も休まず勉強を自身に課して来ました。こういうことができたのは、他でもない、子供と保護者の皆様の励ましがあったからです。