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nana`s ×× diary

What`s aijin??
This space is nana`s “aijin diary”.
since 2010

最近忙しくて、めっきりブログを書く機会もなくなっちゃいました。

今日は久しぶりの記事。

こんな記事を読んだ。
というかこんな記事ばかりが目にとまる。。

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・35歳以上の女性が結婚できる確率は、約2%。


この数字を見ると、驚くほどに確立は低いと感じてしまうのではないでしょうか?


女性の場合は卵子が老化してしまいますので、35歳が区切りとして見られることが多いのではないでしょうか?

つまり、35歳以上で結婚できたとしても、今度は、出産できる確率を気にしなくてはならなくなります。


そもそも、信頼出来るパートナーと共に歩みたいと考えているのならば、20歳を過ぎた段階で準備しておくべきなのではないでしょうか?


スポーツ選手だって、幼い頃からトレーニングをし続けて夢を叶えるのです。

35歳になってから慌てて大リーガーになりたいといってもアホなだけです。

それと同じだというと語弊がありますが、おおよその意味では同じです。



35歳まで自由を謳歌したとしても、35歳過ぎてからでも結婚はできるでしょう。


しかし、結婚してからのパートナーと共に歩む時間は減ってしまっているのです。


35歳以上の高齢で結婚した場合は、若い頃の「辛いかもしれないし、その都度の選択も間違っているかもしれない」という時間を共に歩んではいけません。


お互いがしっかりしてしまっているのですから、当たり前です。



自分も相手の条件をしっかりした価値観で選ぶのでしょうけども、相手も同じようにあなたの事を選ぶのです。



これでは、結婚できる確率が極小になるのも当たり前ですね。


つまり、35歳(35歳以上)を過ぎてから結婚できる確率や40代で結婚できる確率を気にするぐらいなら、もっと若い頃のチャンスを活かしておくべきだった・・・・と言っても、時既に遅しですね。


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最近彼との別れを考えていたりする。
理由は自分の年齢と今やってることに未来が描けないから。

新しい仕事始めたけど、頑張ってるけど、結局突き詰めると彼と居る為の暇つぶしみたいなもの。

でも、何もしないでももう三年も経っちゃった。
彼との結婚は望まない。
できればずっと一緒にいたい。
なんかおかしい。。?

彼の事が大好きすぎるけど
自分の未来が描けないとか思うなんて結局自分の事が1番可愛い証拠。
彼の事が大好きなんて言えるのかな?
矛盾してる。

三年前に悩んでいた彼と結婚を考えてる。
だけど、また悩んでる。

何にも変わっていない自分に辟易する。

一体私の賞味期限はいつなんだ。
どうせいつか期限がくるなら
いっそのこといま居なくなってしまいたい。

もう板についた生活。
最初はそわそわしていたけれど
三年も経てば当たり前の毎日。

日々の生活が小瓶の中に詰めて眺められたらいいのに。
うざったいと感じた時もあるくらい当たり前になった日々を。

別れるなんてつらすぎる。
でも、このままを続けるのもつらすぎる。







そんな彼は本当に素晴らしいなって思ったのと同時に


陽だまりの中で隣に座る彼を見ながら私は

『私はこんなに幸せだけど、彼は幸せと感じる瞬間はあるのかな?彼に幸せを上げれているのだろうか?』

とふと疑問に思った。


(『私の事が重荷じゃないのか?』と散々ずっと考えてきたけど

それを考える事はもうやめた。

この間占いでもやめろと言われたし。笑

なによりこれを考えて良い事なんか一つもなかったから、それに既に自己責任だからな。)


で、彼を見ながら私が感じたことは

幸せなんだろうけど、私が思うような幸せは彼から感じる事が出来なかった。

なぜなら、彼はあまりにも背負っているものが多いと感じたから。


そんな時頭に浮かんだことがさっきの『無欲』だった。

最近の私は、何かを手に入れなければ入れないほど幸せと思った。

なんでそう思うかというとちょっと矛盾があるかもしれないけど

何かを手に入れてしまうと、また何かが欲しくなることが頻繁にあったからだ。

永遠に続いていく欲望の深い海に沈んでいってしまうののが怖いと感じた。

心から欲するそして必要なものでないともう今は欲しくない。


そして

その流れを自らストップしてしまうと、じわじわと自分の中から幸せが湧き出る感じがしたのだ。

深海の底からやっと地上に出た感じ。


彼は理想の何かを求めて、耐久レースに挑んでいるように見えた。

その途中の水飲み場みたいなところが、もしかしたら私の存在なのかもしれないし

別にそれでもなんでもいいんだけど

何なのか分からないけど、彼なりの答えが見つかるまでそれは続くのかもしれない。

というか男の人はもっと深い所まで考えているのかもしれないけど

今の私にはそう思った、とは言え私もまた変わっていくから今後どんな考えになるのか分からない。


そんな事を今日は考えていた時に

夜ポストに行くついでに近くにできた本屋さんに寄ってみた。

何かいい本があったら買おうかなとおもって2000円だけ持ってでたら

結構いい本に出会えてまさにその本は今の私の気持ちにぴったり!!


新しい価値観を構築するために入り口となってくれる本になりそうですにこ



「金持ち」の不幸、「貧乏人」の幸福/ひろ さちや
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彼が休みの日の昼間。

一緒に部屋で過ごしていた。

彼はPCで作業をし、私はアイフォンで最近ハマりのブログを読んでいた。


窓ガラスからは冬なのに暖かい幸せの象徴のような日差しが差し込み

お互い違う事をしていたから言葉は交わさなかったけど

なんとなく居心地がいい空間が出来上がっていた。


先日、今の自分の気持ちについて感じる事を表にしてみた。


それで私はクリスマスの食事中にひどい事を言ったんだけど

言ったくせに呑み込めなくて少しそれについて考えてみた。


それから考えて、きっとわたしは今幸せなんだと気付いた。


色々理由を考えて、動こうとするんだけどことごとくうまくいかない。

それは変わろうとしているのに過去の価値観にとらわれてしまっていたからなんだと思った。


今私は食べるものにも着るものにも住むところにも何も困っていないし

困っていないどころか外から何も知らない人が見たら多分妬まれるような生活をしているんだと思う。


でもそれに関して私は幸せという言葉は不適切だとずっと思っていたし

何とも言えない虚無感を感じる時もあった。


最近感じることは、形はどうあれ

この目に見える現実はいつかの昔私が描いた生活そのものだったから。

きっと時間差でそれが叶っただけなんだと思う。

今の現実をこの年末になって受け入れる事ができて、なおかつ

それで分かったことは

物質的なもので満たされても満足しないんだという事が分かった。

私が求めていた幸せな世界は、思っていたような世界じゃなかったってこと。


いやらしい言い方になってしまうけれど全然そうじゃなくて

不思議なのが、『ほぼ何でも買える』って思っていると『何にも欲しくなくなる』って思いが出てきたことだ。

もちろんなんでも買えるっていっても

・クロコダイルのバーキン

・一等地の家

・自家用ジェット機


などなど(これくらいしか浮かばない・・・)

こういうものは買えないけど、自分の欲しいと思える範囲の物を買えるっていう充足感があれば

もう既に上記のようなものはいらないと考えてしまうという感じ。

ていうか、1900円のバックとクロコダイルのバーキンが一緒に思える感覚?

更にていうか、、自分が好きな物ならクロコのバーキンであろうが、1900円のバックだろうが

使えて気に入れば何でもいいじゃんという感覚。


私なんかブランド信仰でミーハーの部類だけど

そういう気持ちが少し薄くなってきたかも・・・

でも、ブランドは流派みたいなものだから可愛いのは可愛いけど・・・←結局我を捨てられてないのかな。笑


物も今は必要な物しか欲しくない。

洋服も自分ではあまり買わないというかあまり欲しくない。

形に残らない食べ物とか、知識として残る本とかしかあまり欲しくない。

そう。

満たされていると『無欲』になるんだという事に気が付いた。


最初は

『私どうしちゃったんだろう・・・』

と心配になっていたんだけれど、一向にやる気も起きず、物欲も沸かないし、無理やりかっても部屋に負のエネルギーを入れたような気になってしまったり。。

ふと気が付いたら、私は満たされていたんだと気が付いた。





あ、でね。

幸せについて。


今私はすごく幸せなんだっていう気持ちに気付いて

この幸せと感じる気持ちをベースにいいままでの価値観にとらわれずに人生を歩んでもいいのかなって

心の底から思ったことが最近。

幸せって、パーティーのような大げさな感じのノリで来るのではなく

結構静かなんだなってことも分かった。

もちろん幸せにも色んなシーンがあるんだと思うんだけど。

こういうのは初めてなので、新しい感覚。


人にこんな幸せを与える事ができる彼は本当に素晴らしい人だと思った。