手に入れる事と捨てる事① | nana`s ×× diary

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彼が休みの日の昼間。

一緒に部屋で過ごしていた。

彼はPCで作業をし、私はアイフォンで最近ハマりのブログを読んでいた。


窓ガラスからは冬なのに暖かい幸せの象徴のような日差しが差し込み

お互い違う事をしていたから言葉は交わさなかったけど

なんとなく居心地がいい空間が出来上がっていた。


先日、今の自分の気持ちについて感じる事を表にしてみた。


それで私はクリスマスの食事中にひどい事を言ったんだけど

言ったくせに呑み込めなくて少しそれについて考えてみた。


それから考えて、きっとわたしは今幸せなんだと気付いた。


色々理由を考えて、動こうとするんだけどことごとくうまくいかない。

それは変わろうとしているのに過去の価値観にとらわれてしまっていたからなんだと思った。


今私は食べるものにも着るものにも住むところにも何も困っていないし

困っていないどころか外から何も知らない人が見たら多分妬まれるような生活をしているんだと思う。


でもそれに関して私は幸せという言葉は不適切だとずっと思っていたし

何とも言えない虚無感を感じる時もあった。


最近感じることは、形はどうあれ

この目に見える現実はいつかの昔私が描いた生活そのものだったから。

きっと時間差でそれが叶っただけなんだと思う。

今の現実をこの年末になって受け入れる事ができて、なおかつ

それで分かったことは

物質的なもので満たされても満足しないんだという事が分かった。

私が求めていた幸せな世界は、思っていたような世界じゃなかったってこと。


いやらしい言い方になってしまうけれど全然そうじゃなくて

不思議なのが、『ほぼ何でも買える』って思っていると『何にも欲しくなくなる』って思いが出てきたことだ。

もちろんなんでも買えるっていっても

・クロコダイルのバーキン

・一等地の家

・自家用ジェット機


などなど(これくらいしか浮かばない・・・)

こういうものは買えないけど、自分の欲しいと思える範囲の物を買えるっていう充足感があれば

もう既に上記のようなものはいらないと考えてしまうという感じ。

ていうか、1900円のバックとクロコダイルのバーキンが一緒に思える感覚?

更にていうか、、自分が好きな物ならクロコのバーキンであろうが、1900円のバックだろうが

使えて気に入れば何でもいいじゃんという感覚。


私なんかブランド信仰でミーハーの部類だけど

そういう気持ちが少し薄くなってきたかも・・・

でも、ブランドは流派みたいなものだから可愛いのは可愛いけど・・・←結局我を捨てられてないのかな。笑


物も今は必要な物しか欲しくない。

洋服も自分ではあまり買わないというかあまり欲しくない。

形に残らない食べ物とか、知識として残る本とかしかあまり欲しくない。

そう。

満たされていると『無欲』になるんだという事に気が付いた。


最初は

『私どうしちゃったんだろう・・・』

と心配になっていたんだけれど、一向にやる気も起きず、物欲も沸かないし、無理やりかっても部屋に負のエネルギーを入れたような気になってしまったり。。

ふと気が付いたら、私は満たされていたんだと気が付いた。





あ、でね。

幸せについて。


今私はすごく幸せなんだっていう気持ちに気付いて

この幸せと感じる気持ちをベースにいいままでの価値観にとらわれずに人生を歩んでもいいのかなって

心の底から思ったことが最近。

幸せって、パーティーのような大げさな感じのノリで来るのではなく

結構静かなんだなってことも分かった。

もちろん幸せにも色んなシーンがあるんだと思うんだけど。

こういうのは初めてなので、新しい感覚。


人にこんな幸せを与える事ができる彼は本当に素晴らしい人だと思った。