築地市場跡地

 

6月21日の私の本会議での質問と区長答弁を紹介します。

 

 その2 築地市場跡地再開発について

 

 築地市場跡地再開発について質問します。

 

 築地市場は、長年にわたる「移転反対」「現在地での再整備を」望む声を押し切って、2018年に豊洲に移転されました。それから6年、間に2020オリンピック・パラリンピックでの駐車場利用を挟んで、この4月、東京都が市場跡地19haの再開発事業予定者を決定し、三井不動産が代表企業となった11企業グループが「ワンパーク・ワンタウン」計画を発表しました。完成予定は2038年とのことです。

 

 改めて、築地市場の経過をふりかえってみると、私たち区議団がかねてから指摘してきたように、1980年代からJAPIC=社団法人日本プロジェクト産業協議会が提案してきた方向で、市場の移転や幹線道路、再開発計画が進んできたと実感します。

 

 JAPICは、日本列島改造計画が破綻した後、大都市開発を共通のテーマとして、鉄鋼、セメント、土木、建設業界などにより1979年に発足、83年に当時の通産、建設、運輸、国土の4省庁共管の社団法人となり、銀行や商社、調査機関等が加わって、現在の組織となりました。

 

 1981年、築地市場の大井移転に失敗した東京都は、大田市場建設方針を策定しましたが、同じ年にJAPICは、「築地は汐留とともに都心一等地として今後めったに発生しない大規模再開発用地」なので、「今後、晴海、銀座などの開発とリンクさせて情報発信基地か都市型高層住宅として活用すべき」という内容のプロジェクトを発表しています。また、JAPICは東京湾埋立地の開発構想も研究し、その後86年には臨海副都心開発として具体化され、臨海副都心と都心とを結ぶ環状2号線、首都高速晴海線など5本の幹線道路を中央区に通す計画が決まりました。

 

 1999年に知事に就任した石原慎太郎氏は、現在地再整備が始まっていたのに、移転に舵をきり、中央区、区議会、関係者の移転断固反対の声を聞かず、移転先を豊洲に決定しました。その豊洲が深刻な土壌汚染で大きな問題になる中、8年前の2016年、小池百合子氏が豊洲への移転について「いったん立ち止まる」と発言し、都知事になりました。翌17年には「築地を守る、豊洲はいかす」と述べて、築地に市場が戻るかのような幻想をいだかせたが結局、築地市場は2018年10月に豊洲へ移転されました。

 

 小池都政は、跡地再開発について、民間に丸投げし、都民の共有財産である都有地を、1㎡当たり月4500円という破格の賃料で70年間貸し出し、企業が利益を上げられる計画として総延床117万㎡となる巨大開発を進めようとしています。

 その事業予定者は、代表企業の三井不動産をはじめ、名だたる大企業が名を連ね、読売新聞グループ・朝日新聞社・トヨタ以外の7社はいずれもJAPICの正会員です。

 

 そこで質問します。

 

 築地市場の移転は、JAPICが当初から掲げていたプロジェクトの方向で、都心の一等地の都有地を、企業の儲けの場として提供するために行われたといえると考えますが、いかがですか。

 

 築地再開発は、市場跡地の都有地を、巨大イベント施設や超高層ビル群に変えるもので、「築地は守る」としていた小池知事の公約は影も形もありません。築地再開発の検討は非公開で進められ、三井不動産やトヨタなど大企業の利益のために都有地が差し出されようとしています。日本共産党は、この計画を白紙撤回し、都民参加で再検討すべきと考えます。区長の見解をお示しください。

 

〔区長答弁要旨〕

 

 区はこれまでも都に対し、築地市場の豊洲移転や豊洲市場開場後の築地市場跡地のまちづくりに関して、幾度も要望し、平成28年には区として築地魚河岸を開業するなど、築地の食文化を守り、活気とにぎわいを継承していくため、地元とともに今日まで取り組んでまいりました。

 

 都有地である築地市場の跡地開発については、都の事業として、まちのポテンシャルを生かしながら、民間の力を最大限に活用して東京や日本の持続的な成長につながるまちづくりを進めていくとしており、本年4月19日に事業予定者が決定しました。

 現在公表されている事業計画は、募集要項に基づき築地市場跡地の敷地内における計画案になっており、4月26日に区と議会が、事業予定者あてに提出した要望書の内容を実現していくためには、周辺地域の実情や区の施設への影響も踏まえた計画としていく必要があります。

 区としては、引き続き、都と連携を図るとともに、事業予定者の検討の動向を踏まえ、まちづくり協議会等を通じて、協議・調整を進めてまいります。